風の向くまま 気の向くまま

その名の通り、日々思いついたことをそのまま書き連ねたブログです。

ヤジ将軍

2009-10-30 14:17:14 | 時事問題
今、国会中継を見ている。
自民党の質問に対し鳩山首相が答弁しているが、自民党のヤジがひどい。

なんともたちが悪い。どこかで布団を叩いて騒いでいたおばさんと変わらない。こんな連中が国政がどうの教育がどうのと言っているかと思うと虫ずが走る。しかも良識の府である参議院でのことであるから尚更みっともない。
磯崎、西田という連中が映っていたが、ほかにもいるだろう。別画面を使ってでももっと映すべきだ。国会議員の名に値しない恥ずべき議員は白日の下に晒し、次期選挙の際の国民の判断材料とすべきだと思う。

もちろん自民党に限った話ではない。政治主導を訴えるならば民主党もヤジは率先してやめべきだろう。今後ぜひそうすることを切に願う。


天下り批判

2009-10-28 18:52:34 | 時事問題
郵政新社長人事に関して依然として天下りだとの批判がやまないようであるが、国民やマスコミが批判するのはともかく、今日の国会での代表質問等で自民党が批判するのはどうなのか?

より悪質な一般的な天下りや渡りをさんざん何十年にも渡って許してきておいて、ただひとつの人事をもって批判するとはお門違いではないか。まず自省すべきだと思うがどうであろう。

自民党が民主党批判のための天下り批判でなく、本気で天下りをやめようと本気で思っているのならば、だが。

所信表明

2009-10-26 21:57:38 | 時事問題
今日、鳩山新首相の所信説明が行われた。残念ながら全てを聞いていないのだが、ニュース等で一部だけ聞いた。
通して聞いていないので所信表明自体への論評は避けるが、与党民主党の議員達の拍手や歓声はやはり大げさで、私としては不要のように思う。
今回に限らず自民党が与党の時代からそうだが、友党への声援も対立政党へのヤジも正直言ってうるさいだけで不快だ。本会議だけでなく各委員会でも是非やめて欲しい。改革を訴える民主党であれば、まずそうしたところから改めて欲しい。法律を制定する必要もなく、自らが律するだけでよいのだから。

与党も野党も変わらぬという意味では自民党谷垣総裁の所信表明に対する評価もこれまた同じ。自民党が与党だったときの民主党と同じで、とにかく批判するというものだ。ヒトラーやユーゲントに例えたことは今後問題になるだろうが、もう少し気の利いたことは言えぬのかと思う。

とにかく人の意見はまず静かに聞きましょう。大人なんですから。

郵政新社長人事とマスコミの批判

2009-10-24 08:45:37 | 時事問題
ここ最近のマスコミを見ていると、野党はもちろん政治評論家やお気楽なコメンテーターのたぐいまで、案の定、民主党政権が郵政会社の新社長に元大蔵政務次官を起用したことに対し厳しい批判が相次いでいる。
概して彼らの言い分は、民主党は脱官僚を打ち出しているのに元官僚を起用するとは何事かということのようだが、私の認識では、旧来の自民党政権下で行われていたような税金の無駄遣いにつながるあからさまな天下りを否とするのであって、何が何でも元官僚は否定する、というものではなかったように思う。

日銀総裁を決定する際には、武藤某を元官僚と言うことで反対したではないかという意見も引き合いに出されるようだが、必ずしも元官僚というだけでダメ出ししたわけではなく、もう少し微妙な事情があったように思う。
また当時は衆参がねじれている状況下であって、与党自民党の人事を何でもハイハイと聞く状況ではなかった。また自公政権も暫定税率の廃止をはじめ、野党の意見を全くといっていいほど聞かない状況であったのだから、元官僚ということが理由の全てではなかったように思う。

また郵政会社の社長人事について、民間ならばよいかといえばそうとも言えないだろう。現に西川前社長は民間から来たが、自民党の鳩山総務大臣が問題にしたように、かんぽをはじめ問題はいろいろとあったわけだから。
蛇足だが、取締役に人材派遣企業の社長が入っていることなど、まったくもって意味不明だ。彼女は何か郵政会社にとって有益な人材だったのだろうか?結局は小泉竹中のお友達を参画させ、高い報酬を支払って彼らに利益をもたらしたに過ぎない。

話を戻すと、つまりは民間だ元官僚だという前に、まずはやらせてみることだろう、と思う。まがりなりにも株式会社なのだから、成果が上がらなければ新社長は解任されるだろう。
成果が上がるか上がらないか、やってみてから批判をすればいいと思うのだが、今朝の読売テレビのワイドショーには未だに竹中平蔵がいけしゃあしゃあと出演して、この人事を批判していた。
明らかに国民の多くを貧困層に落としたうえ、結果を見届けることもせずに国会の場からとんずらをこいた、私に言わせれば売国奴を批判せずに、その売国奴の意見を電波に乗せるとは、マスコミとは何ともまあお優しいことだと呆れるばかりだ。

私は政官業が癒着した旧来の自民党政治を徹底的に嫌う人間であるので、民主党政治に甘いことは自覚している。本来は公正な視点を保つために、バランスを取って民主党を厳しく見つめるべきなのだろうが、それでも尚やはり、むやみやたらと新政権を批判する気にならない(もちろん批判すべき点はすべきだが)。
大臣をはじめ副大臣、政務官に至るまで、彼らは実に真面目に仕事をしていると思うし、100点満点ではないとはいえ政策の基本的方向は間違っていないと思う。
しかしマスコミはといえば、新政権の方向をただすための批判ならばよいのだが、どうも「民主党は信用ならぬ、自民党の方がまだよかった」という方向に世論を持って行こうとする野心が見え隠れするように感じる。何とも残念だ。

なんと言っても50年以上も続いた自民党政治は終わったばかりで、固く構築された旧来のシステムはそうたやすく破壊できないだろう。したがって新しいシステムが立ち上がるまではじっと待つことも必要だろう。
ムダの削減も脱官僚も、わずか数ヶ月でできるわけがないのだから…。



マニフェストか赤字国債か。

2009-10-20 16:58:44 | 時事問題
子ども手当を全額国庫負担するか地方にも負担させるかで、マスコミは民主党政権と地方の対立構造を描き出している。
視聴率を得るために一定の演出手法があるのだろう。何でもないことでも無理矢理盛り上げようという。もちろん、子ども手当の件は何でもないことではないが。

しかし税収がさらに減少し、赤字国債増発もやむを得ないという状況で、マスコミは批判ばかりでなく何らかの指針も示すべきではないのか。マニフェストは断固実行すべきなのか、赤字国債はこれ以上増やすべきではないのか。各局レベルでも番組レベルでもよい。態度を明確にすべきであろう。

私はむやみに赤字国債を増発するぐらいなら、鳩山総理も言っていたがマニフェストの実行が多少遅れるようなことになってもやむを得ないと思う。子ども手当も当初は13,000円で始めて、半年ではなく2~3年はその金額のままでも致し方ないのではないか。もちろん景気の上昇が見込まれれば26,000円に上げるつもりでだ。

収入がないのにクレクレばかりでは話になるまい。地方の各知事は、ダムや空港は借金が増えてもクレクレ言うくせに、その資金を出せと言うと「独裁政治だ」のなんだの難癖をつけている。
先に述べたようにマスコミも批判ばかりでなく、マニフェスト遅延やむなしなのか、赤字国債増発なのか、表明すべきではないかと思う。

知事の矛先

2009-10-19 18:52:39 | 時事問題
八ツ場ダムの建設中止撤回を求めて、神奈川を除く関東6知事が国に対して共同声明を発したそうだが、アピールする先が違うのではないか?
この先、ダム建設を継続するのであれば、税金を払うのは国民である。ならば国民に対して「自分たち6都県が損をするのは嫌だから、国民の皆さんの税金を使わせてください。赤ちゃんからお年寄りまで一人数千円ずつ」と言うべきだ。もちろんダム建設が無駄ではないと明確な反論をしたうえでだ。

住民や地元、特に知事や市町村長が反対すると、とかくそちらが正しくて国が間違いだという論調がこのところのマスコミにはある。先日の成田と羽田の問題のときもそうだった。

各知事も新政権に文句を言うのは結構だが、その前にずさんなダム計画を改めようともしなかった旧政権の責任をまず問うべきだ。計画を中止することよりずさんな計画を立て、それを推進することの方が悪なのだから。

地方分権

2009-10-13 21:04:00 | 時事問題
ここのところ補正予算の削減や羽田空港のハブ化発言などで、まるで地方、特に知事からの反乱が起きているかのように報道されている。各知事の言い分が正しくて、地方の意見を聞かない民主党政権が悪いかのような伝え方である。しかし本当にそうなのだろうか?

数日前のテレビに出演していた片山前鳥取県知事は、知事の反乱はこれまで自民党がしていたような、政策の方針転換をするときにこっそり耳打ちしてくれていたようなことを民主党政権になってしなくなったから起こったことで、それは知事の都合でしかない、というような趣旨の発言をしていた。
そもそも選挙前から民主党はマニフェストを通じて公共事業削減を謳っていたわけで、知事はどのときからこうなることを予測していなければおかしい、していないとしたら状況判断がなっていないということだ、とも言っていた。
私ももっともだと思う。

地方分権を進めろと言う知事たちが、結局のところ国からの金のぶんどりあいをしている。地方分権とは自ら税を確保し、国の指図によらず自らそれぞれに必要な施策を講ずることではないのか?東国原知事の発言などを聞いていると、これにまったく逆行しているように聞こえる。自分は子分だから金をよこせ、と。

地方分権も時間がかかる。金や権限の譲渡は1年や2年では無理だろう。50年も自民党政治に慣れた国民には、まずは意識の改革こそが必要なのだ。そのためには多少、極端に見えることも実施していかねばなるまい。

それにしても千葉県のタレント知事が怒っている様を見ていると、いい加減、くさい芝居はやめてくれと辟易する。

政治と経済と人情

2009-10-07 06:01:42 | 時事問題
亀井大臣が経団連の御手洗会長に「家族内殺人が増えたのは大企業が人を人間扱いしないで道具扱いするようになったからだ。」と言って叱ったそうだ。
正直、私などは胸がすく思いがしたが、先のモラトリウム発言と相まって、世論には受け入れがたい発言と聞こえるのだろう。
いきなり経団連の所為にしてしまうのは確かに極端かも知れないが、しかし企業というものは基本的に問題を起こしてからでなければ反省しない。であるとすれば、自分たちが社会を崩壊させているかも知れないなどとは夢にも思わないだろう。

余談だが、御手洗会長は直後のぶら下がりで、「そんな話はあったかも知れないがよく覚えていない。」と言っていた。おいおい。ちょっと前のことさえ忘れてしまうような人間に財界のトップをさせておいていいものだろうか?
もちろんとぼけたのだろうが、いずれにしても信用できない人間であることは間違いないようだ。

一方、テレビでこのような話を見た。餃子チェーンの「王将」のとある店で、皿洗いを30分してくれたら定食を1食、タダにしてくれるとのことだ。学生限定ではあるが。
ポスターには確か「お金がない学生さんは食べさせてあげます。ただし皿洗い30分云々」というようなことが書いてあった。
この「あげます」というのがいい。変に客に媚びることなく、素直に好意であり施しであることを伝えているように思う。
ちなみにこの店は店長一人で切り盛りしているので、店としても1食分で皿洗いをしてもらった方が助かるのだそうだ。

かつては企業も従業員を大事にしていただろう。しかし今や何の落ち度がなくても平気でリストラできる時代である。昨年のリーマン・ショックの直後、真っ先に非正規従業員を解雇したのはキヤノンであった。

人員整理をしなければ会社が立ちゆかない。こう言えば何でも許されてしまう。
しかし、何かしらの知恵ひとつで企業も従業員も幸せになれる方法はあるのではなか。あの餃子店のように。

多少、生活レベル、文化レベルが低下しても、みんなが幸せになった方がいいと思うのだが、こうしたヨーロッパ型の社民主義は、言われたことをスグ忘れてしまうような経団連トップがいるうちは到底、無理なのだろう。残念だが。


オリンピック招致の是非

2009-10-02 18:11:09 | 時事問題
夕方のワイドショーではどこの局もオリンピックオリンピック…。
IOCの評価でもそうだったと思うが、果たしてどれほどの日本国民、東京都民がオリンピック招致に関心を持ち前向きなのだろうか?私もそうだがはっきり言ってオリンピックなどどうでもいい。どちらかというと招致に失敗すればいいとさえ思っている。

にもかかわらずテレビではどこもかしこもオリンピック。NHKまでがプレゼンテーションを生中継する状況。冷めた市民をよそにマスコミだけがはしゃいでいるように見える。こういったものはやはり電通だの博報堂だのといった大手広告代理店の戦略なのだろうか?
オリンピックのような大きなイベントがあれば彼等は儲かる。とりあえず仕事が発生してお金が流れ込むからだ。

しかし都民をはじめ一般市民にはほとんど恩恵はないだろう。生活が安定していれば楽しめもしようが、失業者が街にあふれるすぐ脇で、華やかなスポーツの祭典が開かれるとは何とも皮肉だ。

石原都知事にすれば退任前にひとつ名前を残したいのだろうが、それに鳩山首相までがつきあうことはない。

さて招致成功となるや否や。招致に成功したとして大はしゃぎする面々の表情を見るのは何とも嫌だが、きっとオリンピック招致によって何らかの恩恵にあずかる人々なのであろう。

体罰か躾か。

2009-10-01 18:45:23 | 時事問題
Yahoo!のトップニュースにこのようなものがあった。
「小5の自殺、担任の体罰が原因…福岡地裁」

読売新聞の記事だが一部抜粋すると、

「訴状によると、元教諭は06年3月16日、永井君が丸めた新聞紙を振り回して同じクラスの女児に当てたとして、教室で「謝りなさい」とどなって、いすに座っていた永井君の胸ぐらをつかんで持ち上げ、そのまま床に押し倒した。永井君は教室を飛び出し帰宅し、直後に自宅で首をつったという。」

とあり、

「岡田健裁判長は「社会通念に照らして逸脱した有形力の行使であり、体罰に該当する違法行為。自殺の直接的原因となった」と因果関係を認めたが、「自殺は衝動的な行動に陥りやすかった匠君の心因的要因も相当程度ある」として、880万円の支払いを命じた。」

のだそうだ。私とて体罰はもちろん反対であるが、この程度を体罰として880万もの賠償金を払わされたのではたまったものではないと思うのだが、どうだろう。

何の理由もないのに、また個人の欲求を満たすための暴力であればもちろん許されないし、仮に教育的見地からであっても過度の暴力は認められるものではない。しかしここに紹介された訴状を見る限り、生徒の行動に対して注意する目的で思わず手が出てしまったという類のものだろう。

悪いことをすれば近くにいる見ず知らずの大人に怒られる、または殴られるかも知れない。そういった覚悟を教えるのも教育、または躾だと思うのだが、最近では見ず知らずどころか教師が手を挙げただけで訴えられてしまう。これで本当に教育が実践できるのだろうか。

私が子供の頃は、先生に叱られたと言えば親は「先生に感謝しなさい。」と子供に言ったものである。我が子のためによくぞ叱ってくれた、と。

それが今や訴えられる時代。何ともはやである。