JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

またサボってましたね。

2019-01-22 16:56:29 | 日記
クリスマスあたりから具合が悪くなり
そのまま年明け、だんだん咳が酷くなり
もうピークか、と言う所で父が急逝したので
益々忙しさが増し、そんな中、ゆっくりするどころか色んな人が色んなことを言ってきて
父の施設の部屋も片付けなくちゃ。
母の様子も見に行かなくては、父の死をどれだけ理解しているかわからない。
まあ、理解していなくても良いのだけど。幸せに過ごしていればね。

家の改築も進み、本格的に引越し準備にとりかからなくては、なのに、寝込んでいます。

吐くほど、呼吸が出来ないほどの咳って体力を奪います。
声は歌うどころか、喋るのも大変でとても聞き取りにくい声で弱々しく話すだけです。
熱は大体平熱ですが、週に2日くらい37度台の微熱が出るくらい。
インフルではないと思いますが、かなりしんどい状態です。

薬はありとあらゆるものを貰っていますが
あんまり続けて飲んじゃいけないのだろうな、という5ミリ×5錠、25ミリのステロイド剤が一番良く効きます。
だけど、続けると抜くのが大変だから、最終兵器に残しておいて、と。
それでも腹筋や肋間筋が痛くなるくらい咳込むので、ここの所、よく使っています。。。
ダメよね。。。

父については
昨年、勝手に大きな病院へ行き、検査をして、胃の幽門閉塞と言われ1ヶ月以上入院してバルーンの治療を受けたのですが
何か改善するどころか、流動食しか食べられないくらいになり
「こんな事なら行かなけりゃよかった。お父さんは美味しいものが食べたいんだ!」と。
その後も我儘爺さんを続けて施設でも我儘を通していました。

主人は幽門閉塞はがんしか考えられない。と言っていましたが、病院からはがんではないと。
こちらもそう言われたのだから、そんなに駄々を言わないで
大人しく過ごしなさい、と言う感じでした。

私は丁度レコーディング中で忙しかったからあまり出向きはしなかったけど、電話はいつものことなので、話してはいました。
だけど一度の電話で30分以上なので、あまり楽しい話はしなかったかもしれない。
それから一時期私の体調が悪くなり、また復活して12月の人生集大成のライブを終えて…
本当に最後のライブになるのかも、というこの調子の悪さです。

1月は正月明けにガンマナイフの施術があり、その間も咳はあまり止まらず
もう、モグラ叩きみたいなんですけど、と先生に言うと
まあ、実際そんなもんだよ。でも転移が小さいうちに叩かないとたいへんだからね、と。
分かりますけどねぇ。
脳転移で死にはしないらしいけど、だんだん物忘れも酷くなるし、常に頭を働かせるのも休養は出来ないのです。

私が退院した翌日、父が福岡の中心部のA病院へ運ばれる事に。
施設に隣接する病院の診察で「がんでは?」と疑われ、即入院。
施設から、すぐに来いと言われましたが、私は前日に退院してきたばかりで、なんてこと!と。

A病院に着くと、父は上機嫌。
やっと願いが叶って綺麗で自分の言い分を聞いてくれて、ホスピスまで揃っている理想の病院に入院出来たので満足そうだった。
「医者でしたからね、そこいらの病院で死にたくないんですよ。
やっぱりちゃんとなのある病院で、出来ればホスピスで死にたいと思ってます。」とても機嫌がよく、あんしんしていたのですが。
ホスピスが空き次第、移るということでその為の面談を翌日に控えた夜、父は息を引き取りました。
あんなに機嫌が良かったのに。

父はもしかしたら、これで死ぬかもしれないから、後のことは頼むぞ!お母さんのこと、頼むぞ、と私と主人にいいおきました。
そして肌身離さずいつも持っていたポーチを渡されて
「この中から使いなさい。入院費もここから出しなさい」と。
珍しいこと。誰にも渡さなかったのに。
(翌日何が入ってるか見ると、同じ銀行の同じ名義の通帳が何種類も。主には母の名だったが母は事務能力のない人だったから、然もありなん)
父のは一度、施設に入った時に私から怒られて1銀行1つだったが、郵便貯金通帳は何冊もあった。
もう。。。。。

院長先生も、機嫌も良かったし快方に一度向くかと思ってました。と。
いや、父は安心して力が抜けて逝ってしまったのでは?
我儘爺さんから、善い爺さんになって、神様が「よし、じゃあ天国へとおしてあげよう」と。
姉が亡くなって本当にがっかりしていたし、姉が全身麻痺になり不自由ながらも何とか暮らせるようになったのに、末期がんで死んでしまった。
命を換えっこしたい、と言っていた。
それから母の認知症は急激に進み、もう施設に入らないとお世話も何もできない!と私と大々的にもめて2年後くらいに施設へ入る事を承知。
家も売り、と言ってもこれがなかなか難航したが、何とかいい条件で売れたし、何とか高級老人ホームへ入り
その後、母の認知症が酷くなり、別の部屋に分かれて住むということになり
結構、我儘で文句の多い人だったけど、色んな趣味を始めて、それなりにエンジョイしているようだった。

面白くない!と言ってたが、施設の文化祭という日には他の入居者のお友達と楽しそうに話していた。

人間。なかなか100歳まで生きるって難しいね。
父は来月97歳を迎えるところだった。

私は酸素量も今のところ足りてなくて、我儘入院でもしたいところだが
やらねばいけないことが多いのと
経理関係というか税金も銀行も私しか出来ないことが多いので、そんなにノンビリは出来ないのです。
主人も一応銀行の通帳繰越や窓口での振込は出来るようになったが、まだ小口のATMからの振込等出来ないので、私がせねば。。。
休養できん!
数日、ちゃんと寝たら治る気もするけど、数時間でも電話が鳴る、メールが来る、ファックスが来る、宅急便が来ると階下まで受け取りに行き、
改築の細かな事も決めねば!
なんでこんなに色々重なるのか
もっと暇な時だってあるのだから、忙しさは分散させてほしい(涙)

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