【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

怖いのは巨大地震の後_噴火 /藤田英輔(04/nx)_学究達=677

2024-03-20 05:10:19 | 浪漫紀行・漫遊之譜

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月20日<ⰧⰊⰧ

☆ 薩長の攻撃で焼け野原となった寛永寺の敷地の相当部分が、動物たちのパラダイスになる(1882年)。      ☆ 同志麻原コショウ氏により、千代田線・丸ノ内線・日比谷線を用いた霞ヶ関攻撃作戦が実行される(1995年)。      ☆ 湾岸戦争で親父が果たせなかったサダム・フセイン打倒を、12年目にして倅がリベンジ戦を開始(2003年)。 第一回ワールド・ベースボール・クラシックでイチローが世界の野球国を向こう30年敵に回す(2006年)。

本日記載附録(ブログ)

阿蘇山、箱根山、御嶽山など、このところ活発化しているように見える日本の火山だが、本当はどうなのか。

東日本大震災が起きたのは2011年3月11日。その4日後の3月15日深夜、富士山の直下でマグニチュード6.4の地震が起きた。

19世紀以前には、富士山宝永噴火並みかそれ以上の規模の噴火が毎世紀4~6回は発生していた。

  2011年の東北地方太平洋沖地震の影響は?令和6年能登半島地震での地殻変動は?富士山は?そして、火山についていまどこまで分かっているのか――。

  地震や地殻変動の観測し、火山防災に取り組み、噴火の予知を目指す藤田英輔!!!

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 藤田英輔(04) ; 第2回 予知できる噴火、できない噴火 =1/3=

できればないほうがいい。

とはいえ、日本列島に住む限り、目を逸らして済むものでもない。

 ならば、むしろ今分かっている基本的なことは知っておきたい。それこそ、地面の下をのぞき込むみたいに。

 防災科学技術研究所の総括主任研究員、藤田英輔さんの専門は火山物理学。まさに適切なガイドである。

 火山といえば地学で、物理学は物理だろう! と高校の教科の感覚でいるとおかしなかんじがするかもしれないが、「物理学」はどんな学問にだってくっつくことができる特性がある。生物物理学もあれば、経済物理学だってある。なにか探究の対象を物理的な過程として解明しようとしたとき、あらゆる分野に物理学が誕生する。

「火山を研究する者としては、物理屋と地質屋って、自分たちでは呼んでますけど、大体2通りのアプローチがあるんです。その中で、私は物理的なアプローチをする方に入っています。地震とか地殻変動の観測をもとにして、地面の下で何がどう起こっているのかというようなことを考えていく。そして、最終的には噴火の予知ですね。そちらのほうに持っていきたいというのが、基本的な考え方です」

 というふうに藤田さんは、自らの立ち位置を述べた。

 では、具体的にどんなことをして、何を理解しようとするのだろう。

「マグマ溜まりって聞いたことがありますか。火山によって違うんですけど、まず地下数十キロくらいの深いところでマグマが溜まる場所ができて、マグマはまわりよりも軽いものだから、浮力で上がってきます。それが、だいたい深さ5キロから10キロの間ぐらいのどこかで釣り合って滞留するところがあって、箱根にしても桜島にしても、常時、そのあたりにひとつマグマ溜まりがあるんです。それから、それがもっと上がってくると1キロとか、もうちょっと浅いところに小さなマグマ溜まりができて、そこまでいくと、噴火に近くなるわけです」

 高校の地学の教科書にそういう図が出ていたかもしれない。地下深いマグマの池みたいなものから、火道が伸びて火口に至るみたいなやつ。

 ここは、観測点が多く、最近もニュースで取りあげられることが多かった箱根で具体的に見ていこう。藤田さんは、時系列になったグラフを画面に出して指さした。

「箱根には、いろんな機関がいろんなところで観測点を持っていて、当然、気象庁や、神奈川県の温泉地学研究所も持っています。全部で10カ所以上。それで、地震活動がどんなふうに増えていったかを見たものがこちら。これは地震の回数ですけど、2015年5月の連休前に急激に地震が増えてきているので、そういったことでちょっと活発化しているかなと。下からマグマが上がってきてる。上がってくるときにはバリバリ周りを割りながらくるんで、それによる地震活動だろうなというふうにわかってくるわけです」

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

【参考資料】 : 火山噴火予知の現状と課題(4/4)

Ω・-地域防災との関わりにおいて-・Ω

== 藤井 敏嗣火山噴火予知連絡会会長 ・ 東京大学名誉教授 ==

こういう研究者は火山のホームドクターと呼ばれ、すべての火山にこのようなホームドクターを配置すべきとの声も聞かれます。しかし、上に述べたように、すべての火山が観測研究の対象になるわけではありませんから、現実的ではありません。

また、大学の定員減という方針のために、研究者が不在になったり、無人化する観測所も増えてきました。いまや、研究者が常駐するのは有珠山、草津白根山、雲仙岳、阿蘇山、桜島の5火山の観測所だけになりました。大学の火山観測所が火山防災の要の役割を果たすことができる火山は今ではごく僅かになってしまいました。

このような状況を受けて活火山法が改正され、今年度から各火山に学識経験者を含む防災協議会の設置が義務付けられました。本年4月以降、50の常時観測火山のうち、ほとんどの火山で、地球物理・地質、砂防・防災などの分野の学術経験者をメンバーに組み込まれました。今後の火山防災には、この火山防災協議会を積極的に活用することが望まれます。

6. 火山周辺の地域防災に向けて

噴火警戒レベルが導入されている火山では、レベル引き上げ、引き下げの判断基準の精査と公表が行われる事になり、すでに浅間山を含む3火山で公表が行われました。他の火山についても順次公表されることになっていますが、レベル引き上げに至らない段階でも、火山活動には様々な変化が生じることが予測されます。

このような個々の状況に対応して、どのような防災対応をとるべきか、あるいは取らないのかという判断は事前に防災協議会で行うことになっています。このような検討は、行政、学識経験者が一堂に会した場で行われることが望まれます。行政の防災担当者にとって、火山についての学習の場になるからです。

また、避難計画なども防災協議会で作成することになっていますが、その作成に当たっては、防災担当者と学識者だけでなく、地域住民も参加したワークショップなどを考えてもよいと思います。この手法は住民の火山噴火に関する理解を高めるためにも大変有用です。台風対策のタイムラインの作成などでは、住民を巻き込んだワークショップなどが実効を上げてきています。

火山災害についても同様の試みがあってもよいと思います。これまでは、地方自治体あるいは気象庁が一方的に警報や避難警報などの防災情報を発信し、住民はそれに従って行動するという、受け身の体制が多かったように思います。

避難計画づくりに住民も参加するようになれば、住民が自らの課題として防災を捉えるようになり、公助とあわせて、災害を減らす事につながると思います。

おわり

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=今日の足跡記録帖 & 幕間の狂言/ 休刊_ 03月19日(火曜日)=

2024-03-19 05:10:38 | 冒険記譜・挑戦者達

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

☆ はとバスの1羽目が出発する(1949年)。 &so、 西宮市の山奥で幼児2人が誤って浄化槽へ落ちて亡くなり、監督不行き届きだとして保育士が殺人鬼扱いされる(1974年)。      ☆ 大陸の沖合の島々に牛喰らいのタンゴ好きが無断で上陸、ブチ切れた変態紳士が赤道を越えて殴り込みを起こす切っ掛けに(1982年=フォークランド紛争)。      ☆ 1997年- 東電OL殺人事件発生。 2008年- 土浦連続殺傷事件の最初の事件が起こる。 &so、2018年- キタシロサイ最後のオス、スーダンが死去し、絶滅が事実上確定。

  =本日記載附録 【😒 桜のつぼみが堅く / 休刊😘】_◎03月19日 =

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Today’s B.G.M, = Miles Davis - So What (Official Audio)

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怖いのは巨大地震の後_噴火 /藤田英輔(03/nx)_学究達=676

2024-03-18 05:10:37 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月18日<ⰧⰊⰧ

☆ オラガ大将の新居が完成するものの、僅か4ヶ月で昭和天皇に追い出される(1929年)。      ☆ 明治村が開村し、明治時代にタイムスリップが可能になる(1965年)。 &so、識者よ、視野を広く!!! この年に、ソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオノフが宇宙船ヴォスホート2号から離れて、史上初の船外活動を行った。      ☆ 名古屋で勝手に帝王切開をされた妊婦が死亡、執刀医が失踪したまま事件は迷宮入りに(1988年=名古屋妊婦切り裂き殺人事件)。

本日記載附録(ブログ)

阿蘇山、箱根山、御嶽山など、このところ活発化しているように見える日本の火山だが、本当はどうなのか。

東日本大震災が起きたのは2011年3月11日。その4日後の3月15日深夜、富士山の直下でマグニチュード6.4の地震が起きた。

19世紀以前には、富士山宝永噴火並みかそれ以上の規模の噴火が毎世紀4~6回は発生していた。

  2011年の東北地方太平洋沖地震の影響は?令和6年能登半島地震での地殻変動は?富士山は?そして、火山についていまどこまで分かっているのか――。

  地震や地殻変動の観測し、火山防災に取り組み、噴火の予知を目指す藤田英輔!!!

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 藤田英輔(03) ; 第1回 日本の火山活動は活発化しているのか =2/3=

 なんと、「静かだったこれまで」を含めて、活発な時期の一部であるという解釈。時間スケールを変えてみると、違った傾向が見えてくることがよくあるけれど、ひょっとすると、長期的には活発な時期にあって、その上でたまたま少しの間静かな時期があった、という解釈だ。

 さらにもう一点、物事を単純に言えない理由がある。

「最近、火山が噴火する前の異常を我々が検知する能力が非常に上がってきています。例えば、8月の桜島は、結局、噴火しなかったので、『噴火未遂』というような言い方を我々はするんですけど、以前だと単に見逃していたかもしれないわけです。でも、今では、GPSですとか、いわゆるSAR衛星(合成開口レーダーという観測装置を搭載した人工衛星)、日本のものだと2014年から運用されている陸域観測技術衛星の『だいち2』ですとか、リモートセンシングが発達して、地殻変動が非常にとらえやすくなったということがあります。今年の箱根に関しても、小さな噴火はありましたが、以前は捉えにくかった変動を捉えています」

 ああ、こういった現象は思い当たるフシがある。感染症などの調査の仕方が変わったり、がん検診で感度の良い方法が導入されたりしたとき、報告され認知される患者数が一気に増えることがある。あれと似た理屈だろうか。

 これまでのところを、ざっくりまとめると──

 日本の火山が活発化して見えるのは、ごくごく短期的なレベルでは「これまで静かすぎた」とか「検知能力がアップしたから」で説明できることもあるかもしれないけれど、百年のレベルでは活発化しているかもしれないと専門家は疑っている。

 というところか。

 質問があまりにざっくりしていたので、ざっくりした回答にならざるをえないとみた。

 ちらりと出てきた2011年の東北地方太平洋沖地震との関連もぜひ知りたいし、火山噴火の物理的な側面や観測について、もう少し掘り下げてうかがっていくのが、やはり最適な方法なのである。

次回は“ 第2回 予知できる噴火、できない噴火 ”に続く・・・・・

【参考資料】 : 火山噴火予知の現状と課題(3/4)

Ω・-地域防災との関わりにおいて-・Ω

== 藤井 敏嗣火山噴火予知連絡会会長 ・ 東京大学名誉教授 ==

4. 噴火警戒レベルについて

気象庁が、現時点で37火山に導入している噴火警戒レベルは、先にのべたように、火山噴火予知に関する学問水準がまだ不十分な状況で導入されたものですから、噴火予知情報というより、むしろ防災情報であると理解すべきです。しかし、多くの人々は、予知が可能となったから噴火警戒レベルが導入されたと誤解していることも事実ですから、情報の発信にあたる気象庁は、この現実の周知に努力すべきです。

2014年9月27日には御嶽山で突然の水蒸気噴火が発生し、戦後最悪の火山災害となる63名の犠牲者が発生しました。この噴火に先立ち、9月10、11日には1日50回を超える微小な地震が発生しましたが、気象庁は、火山観測情報で地震回数が増えていることを地元自治体等に連絡したものの、噴火警戒レベルは1の状態に据え置いたままでした。

噴火が発生した後では、9月10、11日の地震の多発は噴火の前兆であったとみなされます。しかし、地震が発生した時点で噴火の前兆と考えなかった背景には、御嶽山で2006年に発生した微小な噴火の経験があったと思います。

2006年噴火時には、今回とほぼ同等の観測体制が整っていました。この2006年噴火の際には地震の増加だけでなく、人工衛星を利用した地殻変動観測で、噴火の数か月前から山体の膨張が観測されていましたが、今回は噴火の約2週間前に地震の増加はありましたが、明瞭な地殻変動は観測されませんでした。このため、噴火に至るにはまだ時間があると判断され、噴火前に警戒レベルが2に引き上げられることはなかったのです。

このため、地方自治体による規制などの防災行動はとられず、結果的に多くの犠牲者が発生したのです。

もし気象庁が噴火警戒レベルは防災情報であると正しく認識していれば、10日の段階でレベルを引き上げ、その後の推移を見守るという方法もあったでしょう。噴火に至るとの判断は困難であっても、何らかの異常が検知された場合、レベルを引き上げる事が考えられても良いと思います。

もちろん、このような防災手法が通用するためには、レベル引き上げが行われて、噴火などが生じなくても、大事に至らなくてよかったとする、いうならば警報の空振りを受容する社会である必要があるでしょう。

5. 火山ホームドクターと防災協議会

何十年も噴火をしないような火山では、観測を続けても研究論文を書けるようなデータを得ることは困難ですから、観測研究の対象になりにくいのですが、短期間に比較的規則的に噴火を繰り返す火山や桜島の様に常時噴火する火山では、大学が観測所を設置して、現地に勤務する研究者が火山研究を行っています。このため、常駐する火山研究者と地方自治体や住民との日常的なコミュニケーションが図られ、噴火時には適切な助言が与えられるなど火山防災に役立ってきました。

 続く・・・・・

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怖いのは巨大地震の後_噴火 /藤田英輔(02/nx)_学究達=675

2024-03-17 05:10:22 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月17日<ⰧⰊⰧ

☆ 今や読者層に於いて少年より青年や中年が多数派だったりする『少年マガジン』『少年サンデー』が創刊する(1959年)。      ☆ アサヒビールが麦芽をケチった辛口のビールを売り始め、日本のビールの流れを変え始める(1987年)。      ☆ 巨人真理教が、長らく使われていた神殿に代わり全天候型の新しい神殿を完成(1988年)。更なる全国民への洗脳布教を図るも、この頃からその教勢に翳りが出てくる。理由は簡単明白、教主・監督の体質。

本日記載附録(ブログ)

阿蘇山、箱根山、御嶽山など、このところ活発化しているように見える日本の火山だが、本当はどうなのか。

東日本大震災が起きたのは2011年3月11日。その4日後の3月15日深夜、富士山の直下でマグニチュード6.4の地震が起きた。

19世紀以前には、富士山宝永噴火並みかそれ以上の規模の噴火が毎世紀4~6回は発生していた。

  2011年の東北地方太平洋沖地震の影響は?令和6年能登半島地震での地殻変動は?富士山は?そして、火山についていまどこまで分かっているのか――。

  地震や地殻変動の観測し、火山防災に取り組み、噴火の予知を目指す藤田英輔!!!

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 藤田英輔(02) ; 第1回 日本の火山活動は活発化しているのか =2/3=

 関東地方では、一大観光地である箱根山。4月下旬から、火山性の地震が増加して、5月末には大涌谷で小規模な噴火があるなどレベル3(入山規制)の警報が出された。ふだんは観光地として多くの人が訪れる場所だけに、注目された。警戒レベルは、本稿の時点で、一段引き下げられてレベル2(火口周辺規制)になっている。

 さらに、長野県の浅間山では、4月下旬頃から山頂直下のごく浅いところを震源とする火山性地震が増え、6月19日には噴火が確認された。警報レベルは2(火口周辺規制)。

 年限を今年に限らずに言えば、2011年1月の霧島山(新燃岳)の噴火を鮮明に覚えている人は多いだろう。地域の住民1000人以上に避難勧告が出された社会的な影響だけでなく、巨大な溶岩ドームが発達したり、爆発的な噴火が繰り返したり、火山の持つ力を示してあまりあった。

 そしてなによりも、2014年9月の御嶽山噴火。秋の行楽シーズンで、晴れた週末の日中であったため、死者行方不明者が60人を超える大きな人的被害を出した。1991年の雲仙・普賢岳の大火砕流による被害を超える、戦後最悪の火山被害となってしまった。

 このように列挙していくと、本当に近頃、火山のニュースが、それも人的、社会的な被害をともなうものが「増えている」ように思える。藤田さんが「難しい」というのはどの点なのか。

「たしかに最近、火山活動が賑やかに見えるのは事実なんです。過去15年ぐらい、いや、90年代から見ても、間違いなく活発なんですね。でも、それは、これまでが静かすぎたんです。1991年には雲仙普賢岳の噴火があって、2000年には、三宅島の噴火とか有珠山の噴火がありました。でも、それらを除いたら、その後、ニュースになるような噴火がほとんどない時期が続いていました。ですので、私たちが思うのは、この15年ほどが静かすぎたというところです」

 なるほど、「最近多い」というのではなく、21世紀になってからの15年ほどが「静かすぎた」だけなのか。

「ところが、やはり難しいのは、もう少し大きなスケール、例えば百年っていう単位で見ると、今は、活動的な時期じゃないかなとも取れるんです。東日本大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震の直後にもよく言われましたが、火山活動や地震が活発だった9世紀に非常に似てきているとやっぱり思っていまして。それを考えると、ここ1~2年、活発化しているというよりも、2000年の三宅、有珠あたりからもつながっていて、一連の活発な時期に入っているのかもしれない、と」

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

【参考資料】 : 火山噴火予知の現状と課題(2/4)

Ω・-地域防災との関わりにおいて-・Ω

== 藤井 敏嗣火山噴火予知連絡会会長 ・ 東京大学名誉教授 ==

一般的には、避難後1週間たっても噴火が発生しなかった場合は、しびれを切らした住民が避難指示を振り切って自宅に戻り、被災するという事態が発生してもおかしくありません。2000年噴火の場合は、有感地震発生から3日後に噴火に至ったので、避難した住民から特段の不満の声はありませんでした。有珠山2000年噴火は火山噴火予知の成功例として語られることが多いのですが、ある意味、薄氷を踏む思いの防災対応だったのです。

1955年以来、ほぼ連日のように爆発的噴火を行っている桜島では、地震計や傾斜計、伸縮計という各種の高精度の観測装置で噴火に至る過程をこれまで何千回となく観測してきました。このため、今ではこれらの観測装置を使って、噴火の前兆を確認し、数時間程度の範囲内で爆発的噴火の発生を予測することができます。的中率は9割以上といってもよいでしょう。

しかし、上にあげた2例はむしろ例外的です。火山によっては、噴火前に生じる現象も様々で、噴火のたびに異なる現象が起こることすらあるのです、また、地震計などの観測機器が発明されたのは、およそ100年ほど前なのですが、それ以降には噴火をしたことがない火山も少なくありません。

このような火山では噴火前の観測データがありませんから、噴火前にどのような異常現象が観測されるのかは、必ずしも明確ではありません。類似火山の観測例から類推するほかないのです。この意味で、活発な活動を続けている桜島火山の存在は、火山噴火予知研究を進める上で大変貴重な火山なのです。

3 中・長期の火山噴火予知

 ある火山が、いつ頃噴火するか、数十年後にはどのような活動をしているかなどが分かると土地開発などにも活用する事はできますし、防災対策も効率的に準備する事ができます。しかし、このような中・長期の予知は短期的予知以上に困難です。この理由は、火山噴火は多くの場合、大変不規則に発生するからです。

例えば、富士山では、奈良・平安時代には数十年おきには噴火を繰り返していましが、1707年の宝永噴火を最後に300年以上噴火していません。このように、千年スケールで見ると、噴火間隔は不規則ですが、奈良・平安時代の数百年間は数十年おきに噴火するなど比較的規則的でした。しかし、百年スケールでみても噴火が不規則な例として、浅間山があげられます。

浅間山は1940年代から60年代にかけては、毎年、活発に噴火を繰り返し、1年間に400回を超えるような噴火を行っていた時期もあります。まさに現代の桜島のような火山でしたが、1973年の噴火以降は10年に1回程度しか噴火しないような火山に変わってしまいました。このように噴火の頻度が低くなると、噴火に先立つ異常データを充分に蓄積できないので、噴火前にどのような異常現象が発生するか、どのくらい前に表れるのか明確にいうことは困難です。短期的予知も難しくなるのです。実際、1960年代は地震発生のパターンから噴火を予測することができ、その的中率は高かったのですが、1970年代以降、その規則性は変化し、正確な予測も困難になりました。

しかし、明確にいつ噴火をするかを言えなくとも、平常時から観測を継続していれば、火山の活動度が高まっていて、噴火に至る可能性があることを把握できるケースは少なくありません

 続く・・・・・

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怖いのは巨大地震の後_噴火 /藤田英輔(01/nx)_学究達=674

2024-03-16 05:10:02 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月16日<ⰧⰊⰧ

☆ 『ウォーリーをさがせ!』の影響により第1回バビロン捕囚が始まる(紀元前598年=バビロン捕囚)。 &so、時が下り 鈴木梅太郎が米糠からオリザニンと称する栄養素を抽出する(1910年=ビタミンB1)も、全世界からスルーされた挙句ビタミンと勝手に名づけられてしまう。     ☆ 日本中から有名な景勝地三か所を国立公園に指定(1934年)。但し富士山は指定されず2年経ってようやく箱根一帯と一緒に指定されることに。     ☆ 千葉県は佐倉市の城跡に国立歴史民俗博物館が開館(1983年)、流石にお城風の建築ではなかった模様。

本日記載附録(ブログ)

阿蘇山、箱根山、御嶽山など、このところ活発化しているように見える日本の火山だが、本当はどうなのか。

東日本大震災が起きたのは2011年3月11日。その4日後の3月15日深夜、富士山の直下でマグニチュード6.4の地震が起きた。

19世紀以前には、富士山宝永噴火並みかそれ以上の規模の噴火が毎世紀4~6回は発生していた。

  2011年の東北地方太平洋沖地震の影響は?令和6年能登半島地震での地殻変動は?富士山は?そして、火山についていまどこまで分かっているのか――。

  地震や地殻変動の観測し、火山防災に取り組み、噴火の予知を目指す藤田英輔!!!

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 藤田英輔(01) ; 第1回 日本の火山活動は活発化しているのか =1/3=

最近、火山の噴火に関するニュースをよく聞く。

 日本の火山は、ここのところ活発化しているのではないか。

 そう感じている人は多いと思う。本当のところ、どうなのか。

 茨城県つくば市の防災科学技術研究所には、地震・火山防災研究ユニットという組織がある。総括主任研究員の藤田英輔さんは、火山物理学を専門とする噴火メカニズムの専門家で、研究所の性質上、その応用としての防災にも深く関わってきた。今回、研究室にお邪魔することになった直接の動機は、「最近の火山(および火山研究)、どうよ」だ。

 各火山からの観測データをリアルタイムで監視する部屋のすぐ隣に会議室があって、テーブルを挟んで相対した。そして、まず最初に尋ねたのはまさにその点だった。

「それ、意外に難しい問いでして──」

 藤田さんはソフトな声でこたえつつ、パソコンから会議室のモニタに図表を出力した。

「公開されている資料なので出してかまわないんですが、6月10日に開かれた気象庁の火山噴火予知連絡会で検討された火山のリストです」

 口永良部島、桜島、箱根山、御嶽山、西ノ島、蔵王山、吾妻山、草津白根山、阿蘇山、霧島山、雌阿寒岳、十勝岳、浅間山、とそのリストにはあった。

やはり、最近、報道に挙がった火山の名前が並んでいるし、常時活動しているような、さもありなんという名前も多い。

今年(2015年)に限っても、5月29日、鹿児島県の口永良部島で噴火があり、全島住民が島外避難(警戒レベル5=避難)することになった。

 同じく鹿児島県の桜島では、8月15日、噴火警戒レベル4(避難準備)の噴火警報が出された。この時は、結局、噴火には至らず、ほぼ2週間後に、警戒レベル3(入山規制)へと引き下げられたけれど、鹿児島市を含む近隣の市町村は、緊迫した空気に包まれた。

 そして、9月14日には、熊本県の阿蘇山が噴火。昨年から小規模な噴火を繰り返していたとはいえ、唐突に2キロ上空に達する噴煙をあげる本格的な噴火となった。入山規制(警戒レベル3)の警報が出されて、現時点(2015年9月末)でも続いている。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

【参考資料】 : 火山噴火予知の現状と課題(1/4)

Ω・-地域防災との関わりにおいて-・Ω

== 藤井 敏嗣火山噴火予知連絡会会長 ・ 東京大学名誉教授 ==

  • はじめに

最近、火山活動が活発化しているのではないかということがマスコミ等で話題になっていますが、現時点では火山が活発化していることを示す明瞭なデータはありません。例えば、わが国で年間に噴火する火山は3火山から8火山の間でばらついていて、最近数十年間では、その傾向は変わっていません。年間噴火火山数という意味では活発化しているということはないのです。

「活発化」ということを規模の大きな噴火が増えるという意味で捉えても、この100年近く大規模噴火が発生していないという点からも、まだ活発化していないというべきでしょう。むしろ、19世紀以前には、富士山宝永噴火並みかそれ以上の規模の噴火が毎世紀4~6回は発生していたのに、20世紀には、1914年の桜島大正噴火、1929年の北海道駒ケ岳噴火しか発生していないことを考えると、今後は規模の大きな噴火が増える可能性が高いという意味で、わが国の火山活動の活発化はむしろこれからでしょう。

火山活動の活発化に備えて、火山噴火予知の現状について述べ、火山防災のために何が必要かを考えます。

. 短期的火山噴火予知の現実

火山活動に関する情報は気象庁が発信することになっています。2007年12月に気象庁が業務法を改訂し、火山活動の観測に基づいて、一般の活用に適合する火山活動の予報・警報を発することになりました。

これを受けて、火山噴火は予知して当然と受け止められている方々も多いようです。警報が出されずに噴火が発生すれば、それは観測に当たっている気象庁あるいは大学の火山研究者の怠慢とみなす人々もいます。しかし、火山噴火予知は未だ研究レベルであり、噴火を予知することは一般的には困難なのです。

ただし、比較的噴火の頻度が高く、噴火の前にどのような現象が生じるのか把握できている場合には、事前に噴火の発生を予測して、避難勧告等の情報発信を行うことは不可能ではありません。

例えば、有珠山では1977年まで、江戸時代以降、ほぼ数十年間隔で噴火を経験していました。通常、有珠山では、地震活動はあまり活発ではありませんが、過去7回の噴火では、いずれの場合も噴火の前に有感地震が群発することが知られていました。

したがって、2000年3月に有感地震が群発した際には、噴火の発生が予測され、これにもとづいて関係市町村長が避難勧告、避難指示を行ったのです。被災予想区域から住民1万6千人が避難した後の3月31日正午過ぎに噴火が発生しました。事前の避難が功を奏して、噴火による負傷者や死者は発生しませんでした。

しかし、群発地震発生時には噴火時期が明確に予想されていたわけではありませんでした。ヘリコプターなどからの観測によって、山体に亀裂が発見されるなど、ある程度噴火が切迫していることが分ったものの、噴火までの猶予時間については決め手がなかったのです。過去の事例では、有感地震が発生してから32時間で噴火に至った場合もあったし、数週間後に噴火した例もありました。

 続く・・・・・

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https://youtu.be/4ZPyy8d9fVE   

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=今日の足跡記録帖 & 幕間の狂言/ 休刊_ 03月15日(金曜日)=

2024-03-15 05:10:49 | 冒険記譜・挑戦者達

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

☆ イギリスの映画なのに何故か日本ではこの日がサイコの日。サイコーですか~!?     ☆ 最初の普通選挙でオラガ大将の党がライバルに1議席差にまで迫られ、加えてカマトンカチまでもが議席を獲得したのに恐れを為してコミンテルンの日本支部を徹底的に駆除(1928年=三・一五事件)。     ☆ 東の国から西の国から世界中からの来客が大阪府は千里丘陵でこんにちわし始める(1970年)。&so、カスラックによるカラオケにかこつけた搾取行為に、お上のお墨付きが出る(1988年)。

  =本日記載附録 【😒 ズルズルとずる休み / 休刊😘】_◎03月15日 =

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Today’s B.G.M, = Miles Davis - So What (Official Audio)

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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(14/14)_学究達=673

2024-03-14 05:10:14 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月14日<ⰧⰊⰧ

☆ バレンタインに続き、女子同士で「バレンタインでもらったから~」なんて言ってお互いチョコレートを交換するホワイトデー。かくして、この日は全国の男子校が白けたりする。      ☆ カール・マルクスが逝った日(1883年)。後には家族と『資本論』の読み取ることが難し過ぎるくらい下手っぴな文字で書かれた草稿が遺され、さすがの同志フリードリヒ・エンゲルスも草稿の解読には苦労したとかしないとか・・・・・      ☆ 川口市のアパートで熟睡していたブクロ派のトップが、早稲田界隈からやって来た連中に過激な方法で叩き起こされた挙句に永遠に就寝させられる(1975年)。

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(14/14)

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第5回 「無目的、無制限、無計画」の大切さ =2/2= 

「うちのニホンカモシカの標本って昔はたぶん20くらいしかなかったんですけど、この4年くらい集めまくって、今では、登録しているので8000点、未登録も含めれば9000点くらいです。これだけあると、ヨーロッパモグラの8000点を超える研究ができますね。同じ種でも、必ず変異はあって、この前ためしに500点くらい歯の変異を調べてもらったら、やっぱりいろいろあるんです。一番後ろの歯、第三大臼歯って呼んでるんですけど、その後ろにもう1本歯がはえてるとか。それよりももっと由来不明の謎の歯が生えているのがいるとか。500見て1つ見つけたわけですけど、その1つだけで語るわけにはいかないから、最低でも、数千見ないといけませんよね。雌雄別に見たかったら、その倍ですよね。さらに年齢別に見たかったら──」

 解明したい変異の頻度や、雌雄・年齢などの属性ごとの解像度次第で、8000、9000という標本の数が、決して大きなものでなく、必要最小限にもなりうる、というわけなのだった。

 しかし、これだけたくさん集めて、収納はどうするのだろう。いくら、収蔵庫として専用のビルを使えるからといって、いずれはパンパンになってしまうんではないだろうか。

「いえ、もうなってます。置き場所がないんですよ。新しい建物を建てる予算が得られるのを待つばかりですね。それができなくても、集め続けるしかありません。いよいよ、ということになったら、貸倉庫に手を出しますかね(笑)」

 なるほど、だから、壁際にどんどん箱が積み上げられたりしているわけなのだ。収容能力を超えてまで集める。本当に「無制限」だ。さらに言えば、部外者の心配をよそに、ここでも「無計画」において揺るぎなし、という様子だ。

 収蔵庫を案内していただくうちに、「クリハラリスみたいな外来種ですとか、カモシカの頭だけ何千個というのではなくて、誰もが貴重だと認めるものもどうぞ」ということで、見せていただいたのは、モグラよりもリスよりもかなり大きな仮剥製が入った棚だった。

「アマミノクロウサギ。仮剥製を10以上持っているところはうちしかないと思います。たぶん70点くらいあるはずです。まだ、仮剥製になる前の状態のものも入れると120とか130とか」

 これも、結構な数の「無制限」系の受け入れなのではあった。

「奄美野生生物保護センターというところから提供いただいているもので、猫に噛まれたり、蛇に噛まれたりで死んだやつです。うちに来る前にいろんな研究室で組織のサンプリングをされているので、あちこち切られていて、ちょっと修復士みたいな仕事になってます。もともとウサギって結構、皮を剥きにくいことも重なって、一体で一時間くらいかかってますね。これも、数を集めてよくよく見ると、結構、変異があって、それを研究したいと思っているところです」

 しばらく留まった収蔵庫での時間は濃密で、頭がくらくらしてしまった。

 さらに収蔵庫ツアーを続け、別の階の大部屋に足を踏み入れると、収納棚がなく、まるまる開けたエリアがあった。

 仮剥製ではない、立派な大型哺乳類の剥製が所狭しと並んでいるのである。 いきなりホッキョクグマと目があってドキッとした。

 ああ、これは知っている。よく博物館の展示で見る、「普通」の剥製だ。おまけに、上野の国立科学博物館の地球館3F展示室「大地を駆ける生命」に展示されているヨシモトコレクションの「展示されていない分」ではないか。

 ヨシモトコレクションは、ハワイの裕福な実業家で日系二世だったワトソン・ヨシモト氏が晩年、父母の国の国立科学博物館に寄贈したものだと聞いている。収蔵庫に残された「展示されていない」剥製たちも、非常に迫力があり、まさに博物館という雰囲気を醸し出していた。

 しかし、ぼくの印象に強く残ったのは、しっかりポーズを取った展示用の剥製や骨格ではなく、ひたすら収集され保管されている仮剥製などの圧倒的な存在感だった。

 案内してくれた川田さんは、染色体の研究者として訓練を受け、モグラの研究でフィールドに出て、標本を作り、また博物館の標本で研究をするうちに、みずから、博物館の標本を集める立場になった。モグラが穴を掘ってネットワークを張り巡らすように、あちこちにネットワークを張り巡していたら、自らが「すべての標本が集まる(標本を集める)」自然史博物館という場に行き着いたのである。

 モグラ博士と標本バカ。それは、コインの表と裏のように川田さんを特徴づけると同時に、フィールドと標本、サイエンスと標本、といった自然史博物館のテーマにもつながっている。本当に興味深いものを見せていただいた。

おわり

明日 新企画“ 噴火の予知を目指す藤田英輔 ”続く・・・・・

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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(13/14)_学究達=672

2024-03-13 05:10:00 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月13日<ⰧⰊⰧ

☆ 大阪が初めて空襲されて地下鉄が防空壕代わりに (1945年=大阪大空襲)。&so、事件は起きているけど『見てるだけ~』になる現象を、強▲殺人鬼の某と被害者、その現場の周辺住民38名が身を以て証明する(1964年=キティ・ジェノヴィーズ事件)。     ☆ 親方日の丸の日本国有鉄道にブチ切れた乗客が、上尾駅等の主要駅で一斉蜂起(1973年=上尾事件)。     ☆ 感動映画の超大作『生還トンネル』が上映開始する(1988年)。 &so、ブルトレは衰退しました(2009年)。2015年のこの日 - 寝台特急「北斗星」がこの日発の運行限りで廃止。

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(13/14)

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第5回 「無目的、無制限、無計画」の大切さ =1/2= 

「無目的、無制限、無計画。3つの無、とか言ってます。博物館の仕事は展示と研究だけじゃない。そのために大切なのは標本。そして、標本を集めるスローガンが、『3つの無』です」

 生き物の標本は、情報の宝庫だ。ノボシビルスクのシベリア動物学博物館で、標本の力を実感して帰ってきた川田さんは、世界中のモグラを追いかけると同時に、標本づくり(モグラに限らず)にも邁進しはじめた。当時所属していた名古屋大学のフィールドが、畜産系の実験実習施設でもあり、当時の施設管理者が積極的に動物標本を集める意図を持っていたことも大きい。川田さんは、どっぷりその方針につかって、地元の水族館からゾウアザラシやトドの死体を預かるまでになった。そして、とうとう国立科学博物館の研究員という天職を得た。博士号を取得し「モグラ博士」として世に知られるようになった時には、すでに「標本バカ」(自称)という別の要素を育んでいたのである。

 そして、「3つの無」の境地に至る。

「まず、無目的。研究に役に立つからといって集めるなら、ぼくの場合、モグラばかりのコレクションになるでしょう。ぼくには面白いけど、ほかの研究者には意味がないかもしれない。自分の目的のために集めているだけじゃだめなわけです。そして、無制限というのは、標本って、ひとつだけで分かることもあれば、たくさん見なければ分からないことも多いんです。ヨーロッパモグラの頭骨を8000点見た論文の話をしましたよね。種の中の変異を見るには、やっぱり数を見なきゃならない。ぼくがアルタイモグラを約1800点みて、歯の変異を確認した研究は、8000点の論文に触発されていたんですが、それもやっぱり無目的に無制限に標本化していた博物館のおかげだったわけです」

 いつかやってくるであろう研究者との出会いを待って、無目的、無制限に標本を収容する。それでこその博物館、というのである。これは、字義通りに「すべて」というのは無理なのだけれど、自然史博物館で標本を担当する人たちは、川田さんに限らず、かなり普遍的にそうしたいと思っているようだ。少なくとも、ぼくがこれまで話すチャンスがあった、自然史博物館関係者は、洋の東西を問わず同じ主旨のことを述べていた。

「そして、無計画という要素を僕は付け加えます。哺乳類の標本って、法的にも、倫理的にも、金銭的にも、いろいろ制限がかけられることが多いです。だから、チャンスが大事で、集められる時に集めておかなければ、ということです。真夏の動物園で大型哺乳類が死んで、獣医さんから電話がかかってきたとします。おりしも気温は35℃みたいな状況では、待ったなし、です。いろいろ会議とか計画が入っていたとしても、そっちはなんとか理解してもらって引き取りにいきます。と同時に、僕らは基本的には骨と皮の標本を作るので、軟組織を調べたい研究者仲間に声をかけて、興味のある人にはやはり自分の予定をキャンセルしてでも集まってもらいます。そんなふうに無計画にまわりを巻き込んで、標本集めをしているわけです」

 なんだかすごい。

 博物館のアルタイモグラの標本を徹底的に見る仕事をできたのは、誰かが「無目的に」(自分の役に立つのではないのに)標本化していたからだ。標本を集める立場になった川田さんは、無目的を徹底し、もはや、自分のモグラだけには収まらない標本作製活動にいそしんでいる。そして、それはしばしば無制限だったり、無計画だったりする。

 連載の冒頭に記した、クリハラリスやニホンカモシカの「バカげた」収集は、まさにこういった文脈で集められているものだ。

「誰も興味ないような、研究者的には雑魚と思われてるようなものでも、集めます。例えば、クリハラリスとか、こんなの集めてもしょうがないと、普通の人は思うんですよ。でも、定期的に送ってもらって、ちゃんと皮も骨も残して標本にしていますから。これなんのため、と言われても、数を集めれば分かることもあるでしょうとしか言えないわけです」

 なお、リスというのは、わりと仮剥製が作りやすいため、標本づくりを学びたい人のために、「リス大会」なるものを開催して、みんなで標本づくりをすることがあるそうだ。

「ネズミですとか小さなやつでは、皮が弱くて、力をかけすぎるとやぶれてしまいます。ゾウとか大きなものになると、今度はみんなで皮を引っ張りながら刃を入れていかなければならない。でも、リスは初めての人でもまず皮が破れることはないし、中に綿をいれたら誰がやってもだいたい同じような形になるので、初心者にはいいんです。こういうのもみんなでやると楽しいもんですよ」

 淡々と語る川田さんは、この時、本当に楽しそうに目を輝かせた。

 ちなみに、初心者がリスの皮を剥くのにかかる時間はだいたい2時間。川田さんは10分くらいだそうだ。熟練というのは、すごいものだ。

 そして、「無制限」をきわめているのが、カモシカの頭骨だ。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(12/14) _学究達=671

2024-03-12 05:10:51 | 歴史小説・躬行之譜

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月12日<ⰧⰊⰧ

☆ スイーツの日。この日の存在自体がスイーツ (笑)だと思う。 冗談は置くとして、死刑が戦後憲法の下でもO.K.というお墨付きが最高裁判所で下る(1948年)。 ☆ 「モスバーガーがいいね」と君が言ったから3月12日はモスの日(1972年)。 &so、 「三蔵法師が妖怪に食べられる」ドラえもん映画が封切り(1988年)。 ☆ バーミヤーン巨大石仏の破壊(2001年)でターリバーンの悪名は世界にとどろき、へきへきしたヤンキーたちが故郷に帰る道を探り始めた。

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(12/14)

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第4回 夢は世界のモグラをコンプリート! =3/3= 

ノボシビルスクのシベリア動物学博物館には、哺乳類の標本がなんと11万点も所蔵されている。日本の国立科学博物館の5万点というのは、世界的にみるとそれほど大きなものではないようだ。そして、研究の世界では、数がものを言うことも、しばしばある。

「モグラの研究で、僕が知っているものの中で、一番たくさんの標本を用いたのは、ヨーロッパモグラの頭骨の標本8000点で、その変異を調べたものです。実はこれ、哺乳類の研究で使われた点数でも最大のはずです。僕は、それにはとても対抗できないけれど、シベリア動物学博物館にあった約1800点のアルタイモグラの標本を使って、種の中での変異を見ていきました。アルタイモグラはほかの哺乳類よりもかなり高頻度で歯の数と形に変異があると分かりました。日本に帰ってきてから論文にしたんですけど、そのあたりが実は転機でした。博物館の標本って大事だなあ、形態って大事だなあと強く思いまして、帰国してからは、標本バカです。別にもう、興味があるとか、そういう次元ではなく、とりあえず、標本はちゃんと登録して保存しとくもんなんだっていうのを学んだんですね」

 博物館の標本は、その動物に特別な関心があるかどうかにかかわらず、とにかく、受け入れたものを標本にしていく。だから、ある冬、シベリア動物学博物館を訪ねた日本人の博士課程学生が、シベリア固有のモグラの頭骨約1800点を見せてもらい研究することができた。

 標本って大事! 残しておくのは大事! 川田さんは、標本スイッチが入ってしまい、自称標本バカが誕生していた。

 川田さんの拠点だった愛知県設楽町の演習施設は、様々な家畜を飼育しており、当時の施設管理者(=川田さんの指導教官)の方針のもとに、できるだけ標本を残そうとしていた。冷凍庫にはまだ標本化されずに保管されている動物の死体がたくさんあった。

「ロシアから帰ってきて、まずやったのは、指導教官の先生が拾ってきた大量のタヌキやハクビシンの死体が、冷蔵庫にいっぱいたまっているのを、ガンガン標本化していくことでした。畜産系の演習施設だったんで、牛や山羊もよく標本にしたし、そのうちに、評判が広がって、猟師さんが、イノシシを捕ったからいるか?と声をかけてくれたり。三河湾にスナメリが座礁して死んでいるので拾ってこいって言われたり。水族館でトドとアザラシが死んだので引き取ってこいと言われ、トドって大きいから大変そうだと思いながらいったら、アザラシがゾウアザラシで、トドより大きくて。4トントラックで持って帰ったはいいものの、完全に凍っているのが融けるのを待ちながら作業をして、結局、2体で10日間くらいかかったり。もう完全に標本中心の生活になっていました」

 標本収集スウィッチが入ってしまった川田さんは、まさに「標本バカ」の高みに一気に駆け上がるのだった。

次回は“ 第5回 「無目的、無制限、無計画」の大切さ ”に続く・・・・・

【参考資料】 : 川田伸一郎と世界のモグラたち(5/5)

Ω 国立科学博物館動物研究部/2014年度大会公開シンポジウム記録 Ω

以上のように,筆者は染色体研究から哺乳類学の世界に入り,のちに分類学的研究を進めるために形態学的な観察も行うようになった.染色体分析に必要な新鮮なサンプルを得るためのフィールドワークは,標本採集および作成という行為を伴い,当然のことながら調査個体の種同定が必然となる.思えばいい流れで研究のスタイルを作ることができたと感じている.

最近の研究動向から未来を予見すると,遺伝子解析技術の発達によって分類学・系統学はよりミクロな視点で行われるようになってきた.たくさんの遺伝情報を調べて系統世界のモグラ 319推定を行い,隠蔽種を見つけてそれを新種として記載するための形態情報を調べる,というスタイルの論文が多々見受けられる.もはや遺伝情報は形態分類学者の観察能力を試す「答え合わせ」ではなくなってきたことが,少々残念に思える.

哺乳類学の研究者人口のうち分類学のような基礎を探求する研究者は減少し続けている.基礎研究をやる者の中でも,研究者間のネットワークの発達,遺伝子データ整備など研究自体がやりやすくなってきたこともあり,新たに動物を捕獲して調査するというフィールドワーク志向の研究者は少ない.博物館に行けば標本がたくさんあるのでそれを調べればよいと思うかもしれないが,形態の地理的変異や齢変異を調べるために十分な標本群はそれほどあるわけではない.

また乾燥標本や液浸標本では,本来の外部形態の特徴が変形して失われている場合が多い.また個体を捕獲する作業では生息地の環境や個体の行動などたくさんの情報が得られるのが利点である.便利な時代になったもので,インターネットに情報はあふれ,デジタルカメラは安く手に入り,プレゼンテーションはパワーポイントで簡単に作れる(そしてこの原稿はワードで何回でも書き直せる)といった具合である.

デジタルを使うなというわけではなく,こういう時代だからこそ楽はせず,過去の研究を振り返って,あえて古典的な研究手技にも手を染めてほしいと思う.今では海外に渡航する機会も増えている.未開の地で哺乳類の新種を発見して一山当ててやろう,という夢と冒険心あふれる研究者が育つよう応援していきたい.

おわり

Shin-ichiro Kawada: A report on the Open Symposium “Present and future of Mammalogy” at the Annual Meeting of the Mammal Society of Japan

2014: Shin-ichiro Kawada and moles of the world

著 者: 川田伸一郎,〒 305-0005 茨城県つくば市天久保 4-1-1 国立科学博物館動物研究部

 kawada@kahaku.go.jp

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=今日の足跡記録帖 & 幕間の狂言/ 休刊_ 03月11日(月曜日)=

2024-03-11 05:10:22 | 冒険記譜・挑戦者達

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

☆ 『風の谷のナウシカ』が封切られ、風力発電の騒音問題と野生生物との共存に一石が投じられた(1984年)。   ☆ ソ連歴代指導者が遺したツケの後始末役に禿げ頭の若僧がなり(1985年=ミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦共産党書記長就任)、結局8年後に連邦を潰してしまう破目に。    ☆ 茨城空港の開業1周年記念として、茨城県沖と宮城県沖で相前後して激震が走り、以後数日もの間に数えきれない程の緊急地震速報が鳴り出す(2011年)。 

  =本日記載附録 【😒春を拒む冬将軍 / 休刊😘】_◎03月11日 =

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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(11/14)_学究達=670

2024-03-10 05:10:09 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月10日<ⰧⰊⰧ

☆ 大日本帝国陸軍の記念日をお祝いして、美軍機が帝都・下町の紙と木と土で出来た軍需工場群を綺麗に消毒してくれた(1945年=東京大空襲)。 ☆ “恥ずかしながら”とルバング島に残留していた陸軍少尉の小野田寛郎が救出される(1974年)。ああああああああ!大日本帝国陸軍/中野学校の教育は・・・・・・・。 ☆ 1985年の阪神タイガース日本一の際に道頓堀川に投げ込まれ、その後もタイガーズを呪縛し続けていたカーネル・サンダース像が、24年の時を経て引き揚げられる(2009年)。

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(11/14)

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第4回 夢は世界のモグラをコンプリート! =2/3= 

 さて川田さんは、日本国内のモグラの標本を自ら入手し、形態や染色体を見るようになってから、次第に海外にも目が向くようになった。日本国内のモグラはモグラ亜科の6種にヒミズ亜科の2種を加えて8種。世界では40種そこそこ。川田さんは、その中の25種を捕獲し、研究してきた実績を持つ。

「もちろん、すべてのモグラを捕獲して、研究して、標本を作りたいんです。分類を見ていきたいですよ。でも、研究の仕方については、海外でのフィールドワークを繰り返すうちに、いろいろ考えるようになりました」と川田さんは言う。

「やっぱり現地の研究者にやってもらうのが一番いいんです。でも、ベトナムですとか東南アジアでは日本のようにモグラの存在があまり知られていなくて、まず知ってもらうところから始めなければなりません。だから、僕はとりあえず1匹とらせてもらって、興味を持ってもらえたら、捕獲技術を伝えたり、研究の流れを伝えたり、できるだけサポートしていこうと思っています」

 ヨーロッパやアメリカの博物館は、歴史的に、各国から大量の標本を持ちかえっている。例えば、絶滅したニホンオオカミの標本は数少なく、種を決める論文で証拠として使われた模式標本はオランダのライデンの自然史博物館にある。シーボルト事件で日本を退去する際、シーボルトが持ち帰ったものだ。これによってニホンオオカミが科学の世界に紹介され、分類名も与えられた。当時、日本には標本を残すのに適切な場所がなかったし、持ち去られていなければ、おそらくは無くなってしまった標本だから、やむを得ない。しかし、基準となる標本が、いつまでも海外にあるのは、どこか釈然としない気もする。

 川田さんが、染色体を見て、分類を確定するためにもやはり標本は必要だ。川田さんは、現地で捕まえたものを仮剥製にして、骨格標本にすると、きちんとその場で観察・計測して、皮と骨の標本は現地に置いてくる。東南アジアでは染色体を見る設備がないところが多いので、染色体のサンプルだけは持ち帰らせてもらうけれど、その国に標本を保管するのに適した場所があるなら、「本体」は残してくる。現地の研究者にできるだけ任せる、というのが21世紀のフィールド研究の心得のようだ。

 そして、川田さんのモグラをめぐる冒険は、形を変えながらもまだまだ続く。

 名古屋大学で博士号を得て、国立科学博物館に就職した川田さんだが、その伏線は博士時代からあった。もちろんモグラをめぐってのことだ。

「博士課程の時に、ロシアのノボシビルスクに1年ほど留学しました。ロシア科学アカデミーのシベリア支部で、動物細胞学・遺伝学研究所というところです。その地域は、最北のモグラともいわれるアルタイモグラがいて、あたたかいうちは、捕獲できていたんですが、冬になって地面が凍ると、それができなくなってしまいました。それでなにをしたかというと、ノボシビルスクの博物館に通い詰めたんです」

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

【参考資料】 : 川田伸一郎と世界のモグラたち(4/5)

Ω 国立科学博物館動物研究部/2014年度大会公開シンポジウム記録 Ω

ベトナムではより地域レベルの調査を行っており,北部から南部まで 10 地点ほどで調査を行っている.かつてはベトナムには 2 種のモグラが分布するとされていたが,捕獲個体を詳細に種同定したところ,ベトナム南部にドウナガモグラ E. parvidens が,北部にハシナガモグラ E. longirostrisとフーチェンモグラ M. latouchei が分布することが判明した.ベトナムにも Mogera 属のモグラが分布することが分かったのはこれが初めてである.

Euroscaptor 属と Mogera属は下顎切歯の数を調べることにより容易に同定可能で,実は 20 世紀前半にベトナム北部で行われた調査でもこれらの 2 種が捕獲されていることが,英国の自然史博物館での標本調査によって明らかになった.

当時これらの標本を調べたウィルフレッド・オスグッドは歯数の違いに気付かなかったのであろうか.ハシナガモグラとフーチェンモグラは同地域の高地と低地で接所的な分布様式を持つこともわかり,日本のミズラモグラと Mogera 属に似た関係なのである.

さらに調査地を増やして捕獲を行うと,北部の低地でも小型の Euroscaptor 属が分布していることが判明した.しかも同地域の高地には同属のハシナガモグラが分布している場所がある.外部形態はハシナガモグラよりもむしろドウナガモグラに似ているようである.

すでにベトナム産モグラの標本は 50 点を超えるコレクションになっていたので,詳しく調べてみたところ,ベトナム第四の種のモグラが存在することが明らかになった.この種の顕著な特徴は,尾が極めて短く,外見的にはほとんど毛下に埋もれて見えないことである.

この種にヒメドウナガモグラ E. subanura と命名することとなった.もう一つの重要な特徴は核型なのである.分類学者となった筆者はここで改めて染色体の興味深い特徴に立ち返ることとなる.

驚くことにベトナムの 4 種,すなわち Mogera 属のフーチェンモグラ,Euroscaptor 属のハシナガモグラ,ドウナガモグラ,ヒメドウナガモグラの染色体数はそれぞれ 30,34,36,38 であることが明らかになった.

なおフーチェンモグラはかつて台湾のタカサゴモグラの亜種と考えられてきたが,形態的な差異が著しいことから独立種と考えることができ,またタカサゴモグラの染色体数は 32 であることによって形態的な差異を補強している.このように,形態的に識別可能なすべての種が独特の染色体数によって特徴づけられているのである.

特にヒメドウナガモグラの 38 はアジア地域のモグラとしては初めて出てきた数字である.核型はやはり種の特徴を反映しているに違いない.

続く・・・・・

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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(10/nx)_学究達=669

2024-03-09 05:10:22 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月09日<ⰧⰊⰧ

☆ バービーの誕生日。ちなみに生まれたのは1959年だが、実年齢は非公開。 史実では、ナポレオン・ボナパルトがジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚(1796年)。“恋多き女”で年下のナポレオンは手玉に取られたとか・・・・。 ☆ 寺田屋に投宿していた坂本龍馬が伏見奉行の襲撃を受ける(1866年= 寺田屋事件)。 ☆ 日本初の記念切手発行(1894年)。 &so、どさくさ紛れに、日本で商法公布(1899年)。

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(10/mn)

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第4回 夢は世界のモグラをコンプリート! =1/3= 

モグラの形態や染色体を調べるには、モグラを捕まえなければならない。つまり、モグラ研究者は、優秀なモグラハンターである必要がある。

 川田さんは、自他ともに認めるモグラ捕りの熟練者である。

 では、いったいどうやるのか。試行錯誤の後に出会った決定版というべき罠をみせてもらった。

「こういう罠をトンネルの中に仕掛けます。もともとイタチの罠に使ったものを小さくしてあって、中にモグラが入ってくると、バネが弾けて、リング状のワイヤーを引き上げて出られなくする、みたいな仕組みです」

 細い塩ビ管のようなパイプを使っており、そのまわりに、バネの仕掛けがくっついている。一応、怪我をさせずにとる「生け捕り用」だ。川田さんは、このタイプの罠でだいたいのモグラを捕ってきた。

 もっとも、仕掛けさえあれば、誰にでもすぐに捕まえられるというわけではない。

 まず、モグラのトンネルがどこにあるか探さなければならない。トンネルを見つけられても、どのあたりなら罠にかかりやすいか知っていなければならないし、そのためには、モグラの行動パターンを読む必要がある。

 お話を聞いて面白かったのは、モグラの活動時間が1日に3回(3周期)、ということだ。

「だいたいのモグラで、1日3回なんです。さらに調べると、同じところに住んでるモグラでは、その周期が同調するみたいです。罠をかけても、しばらくは全然かからない。でも、1匹捕れたら、ほかのところでもう1匹捕れてるとか、ですね。お互いに縄張りがあるので、そういうことをやらないと、1匹がどっかに侵入していって全部食い荒らしちゃうことになる。荒らされた方は生きていけなくなってしまうし、そういうことばっかりやってると、そのうち集団全体が絶えることにつながるんで、うまく折り合いをつけて、活動期の同調性というのが進化してきたんじゃないのかって言われてるんですけどね」

 モグラハンターの立場からは、この3周期は「モグラを捕まえるチャンスは1日に3回ある」ということでもあって、なかなか都合がいいことのようだ。

 さて川田さんは、日本国内のモグラの標本を自ら入手し、形態や染色体を見るようになってから、次第に海外にも目が向くようになった。日本国内のモグラはモグラ亜科の6種にヒミズ亜科の2種を加えて8種。世界では40種そこそこ。川田さんは、その中の25種を捕獲し、研究してきた実績を持つ。

 モグラハンターの立場からは、この3周期は「モグラを捕まえるチャンスは1日に3回ある」ということでもあって、なかなか都合がいいことのようだ。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

【参考資料】 : 川田伸一郎と世界のモグラたち3/5)

Ω 国立科学博物館動物研究部/2014年度大会公開シンポジウム記録 Ω

モグラ分類学の現在 2,形態観察への目覚め

北米のモグラ科を調べているさなか,ロシアのノボシビルスク市にあるロシア科学アカデミーへ留学することとなった.ここではアルタイモグラ Talpa altaica の核型分析を行う予定であったが,10 月に降り始めた雪は街や森を覆いつくし,モグラの捕獲は不可能となった.幸いにも短い夏の間に得ていたデータで満足することとし,筆者が向かったのはシベリア動物学博物館であった.

ここには 1,700点を超えるアルタイモグラの標本が所蔵されている.博物館で標本を調べる研究はこの時始めて体験し,主にアルタイモグラの歯数変異や形態変異,またコーカサス地方のモグラの種間形態変異を調査することとなった.

この経験によって筆者は後に「標本バカ」を自称するほどの標本作成および収集活動に明け暮れることになり,さらには現在の博物館研究員を職とすることになった.博物館での標本調査は筆者を染色体研究者から,標本を扱う分類学者へと成長させていく.

分類学者としての最初の研究は,台湾のモグラに関するものだった.台湾にはタカサゴモグラ M. insularis という 1種が分布するとされていたが,この種の染色体調査のために訪問した際,共同研究者から山地に棲むという謎のモグラの話を聞いた.

翌日すぐに車で玉山の 2,800 m 地点まで移動して,その夜,明らかに平地の個体とは毛色が異なるモグラを 1 個体捕獲することができた.帰国後,調査した核型はタカサゴモグラの染色体数 32 と同じで,分染法を用いた分析でも差異は見つからなかった.

そこで形態分析を主眼として調査を行うこととなった.このモグラを巡って数度台湾を再訪し,また米国の博物館を歴訪して標本を計測・観察し,ついに新種として認めることができたのがヤマジモグラ M. kanoana である.

最終的に行き着いた地はアジアである.中国からネパールにかけての地域にはモグラは連続的に分布せず,山地に限定された飛び石状の分布を示す.これらのグループは イ ン ド 東 部 か ら 中 国 南 西 部 に 分 布 す る ア ッ サ ム モ グラ Parascaptor leucura や 現 在 ミ ズ ラ モ グ ラ と 同 じ 属Euroscaptor に分類される数種が含まれる.

アッサムモグラは比較的最近ミャンマー北部で捕獲したが,上顎小臼歯が一対少ない点が特徴的な,一属一種とされる興味深いモグラである.マレー半島で捕獲されたモグラはタイのクロスモグラ E. klossi の亜種 E. k. malayana であるとされていたが,筆者がタイで捕獲したクロスモグラとは明らかに臼歯の形態が異なっており,また尾率が小さいことが分かった.

さらに核型分析の結果,マレー半島とタイのモグラは染色体数が同じであったが,相互転座という染色体再配列によって変化したとみられる違いがあった.これらに分子系統学的データを加味して,マレー半島のモグラをマレーシアモグラ E. malayana として独立種に位置付けることができた.

続く・・・・・

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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(09/14)_学究達=668

2024-03-08 05:10:21 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月08日<ⰧⰊⰧ

☆ ソビエトロシアでは、二月があなたを革命する!(1917年)     ☆ 牟田口廉也の個人的なプライドのためにインパール作戦が開始(1944年)。お陰で2万人以上の兵士が生贄となり撤退時の悲惨さはぴー。     ☆ NYSE創立190年を前に、NYSE自身がNYSEに上場(2006年)・・・・・ややこしい。 & マレーシア共和国の飛行機が突如として行方不明になる(2014年)21世紀にもなって破片や遺体すら☆見つからないので異世界へ飛ばされた可能性大。

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(09/14)

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 第3回 「昆虫少年」が「モグラ博士」になるまで =3/3= 

 じゃあ、染色体の研究と、遺伝子の研究は、この点において、どんな関係にあるのだろう。正直、「似た方面」の研究テーマだと思っていたので、少し頭が混乱した。

「遺伝子って系統関係は議論できますが、どれくらい違ったら別種にしていいかっていう判断はできないんですよ。遺伝子がほとんど一緒でも、染色体の形が違って、繁殖できなくて、別の種類になっちゃったっていうような種類もあります。モグラだと、エチゴモグラとサドモグラを別種にするのは、ぼくたちの染色体研究が鍵になりました。遺伝子を見ている分にはとても似ていたんですが。逆に、染色体の弱いところっていうのもあって、種が分岐してきた順番が分からないんです。どっちからどっちに変化したかっていうのを推定するのが非常に難しい。そういうところは遺伝子なんかのデータを使って確かめてもらって、最終的に全体の枝分かれの順番を見る。やっぱり形態を見て、染色体を見て、遺伝子で裏をとってみたいなことを全部やって、独立した種なのかどうか、と考えていくことになるんです」

 これは非常に興味深い。

 染色体を見る技術は、遺伝子の違いだけでは分からない「種」を見る技術。

モグラの分類を解明するためには、標本を作り、形態を見て、染色体を見る。川田さんの表現では、今や染色体は「形態より」というのはそういうことか。

 もう少し具体的に言うなら、染色体を種ごとによくよく見てみると、同じ遺伝子セットを持っていたとしても、「形」が違うことがある。例えば、「動原体」と呼ばれるくびれた部分があって、その位置が重要だ。動原体が端っこに位置していると、染色体の形は、逆V字型になる(単腕性)。染色体の一部が逆転して動原体の位置が真ん中に変化すると、X字型になる(両腕性)。細胞分裂で、細胞が2つに分かれる時、この動原体の部分に紡錘糸と呼ばれる糸がくっついて引っ張られるようにして、染色体も2つに割れる重要な部位だ。当然、生殖にも関係してくる。

 日本のモグラの染色体の数は18対で、つまり36本。これは共通だ。そんな中で、エチゴモグラとサドモグラは、形態も遺伝子も非常に似ており、同種かせいぜい亜種レベルとされることが多かった。しかし、川田さんが、染色体を調べると、「単腕性」と「両腕性」の染色体の組の数が違い、エチゴモグラとサドモグラが交配困難で別種という見解を支持するものとなった。

 これは単なる一例。一事が万事で、とにかくモグラのことはよく分かっていない。行動的なことはもちろん、分類についても謎が多く残っている。モグラにはまった川田さんは、日本のみならず、海外のモグラの探索にも出かけるようになる。

次回は“ 第4回 夢は世界のモグラをコンプリート! ”に続く・・・・・

【参考資料】 : 川田伸一郎と世界のモグラたち(2/5)

Ω 国立科学博物館動物研究部/2014年度大会公開シンポジウム記録 Ω

モグラ分類学の現在 1,染色体調査

筆者の哺乳類学は染色体の数や形といった特徴,すなわち核型を分析することから始まった.モグラとの出会いは大学院修士課程で,ヒメヒミズ Dymecodon pilirostris とヒミズ Urotrichus talpoides の核型比較を行うことが研究テーマになってからである.

アルコール漬けの小さな組織サンプルからでも分析が可能な分子情報と異なり,染色体研究は細胞分裂という生命現象の一コマを観察するため,生きた細胞が必要である.そのため研究者自身が個体を捕獲するというところから研究が始まる.この「捕まえる」という必然性が筆者をして海外にまでモグラを求めての旅へといざなうこととなる.

大学院博士課程ではより分類群を広げ,広くモグラ科の比較核型分析を開始した.まずは身近な日本産のモグラ全種を調べるために,国内各地で捕獲を行った.残念ながらいまだ尖閣諸島への上陸は果たしておらず,そこに分布する 1 種だけは未分析であるが,そのほかのミズラモグラEuroscaptor mizura,サドモグラ Mogera tokudae,アズマモグラ M. imaizumii,コウベモグラ M. wogura について 1 年半程度で核型分析を終えて,論文として発表することができた.

重要なトピックとしては,逆位と呼ばれる染色体変化が種ごとに段階的に起こっているという点である.またサドモグラの越後平野孤立集団が,佐渡島集団とは複雑な構造変化を伴う独特の核型を有するという違いから,独立種エチゴモグラ M. etigo とする意見を支持するデータを得ることもできた.比較的早期に一つの目的を達成した筆者は,北米や東南

アジアに核型が未整理な種が多数分布することに注目し,海外のモグラを求めて旅を繰り返すことになった.

アメリカでは西海岸に生息するセイブモグラ属 Scapanus の一種ヒメセイブモグラ S. orarius,大陸東部のトウブモグラScalopus aquaticus,ホシバナモグラ Condylura cristata といった種を調査し,またヒミズ類を研究していた修士課程時代にいつか調べたいと思っていたアメリカヒミズ Neurotrichusgibbsii もリストに加えることができた.

アメリカヒミズは日本のヒミズ類の染色体数 34 とは異なる 38 であることが古くから報告されており,一方で他の北米産モグラ類は 34であること,そして日本産ヒミズ類に類似した核型であることを確認した.

染色体的には北米産の「モグラ」と呼ばれるグループは日本やアジアなどに分布する「モグラ」とは異なっており,日本の「ヒミズ」に類縁がある,あるいは単に祖先的核型を維持したものなのだろうか?その後筆者は中国雲南省の高地で第四のヒミズであるシナヒミズScaptonyx fusicaudus を捕獲し,核型分析を行ったところ,核型は日本のヒミズに近いものであった.

シナヒミズは英語では long-tailed mole と呼ばれ,多くの研究者はヒミズよりも地下性に適応した別グループと位置付けているが,ヒミズの仲間に違いないと筆者は考えている.なお,雲南省ではこの山域でしか見ることができないミミヒミズ亜科の一種ホソミミヒミズ Nasilus gracilis も捕獲したが,本種の核型は他のモグラ科からは一線を画した特徴を有し,独立の亜科として位置付けることを支持している.

続く・・・・・

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=今日の足跡記録帖 & 幕間の狂言/ 休刊_ 03月07日(木曜日)=

2024-03-07 05:10:21 | 冒険記譜・挑戦者達

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

☆ 花粉症の日。この日がスギ花粉のピークらしいが、なぜ3月6日や3月8日ではいけないのか不明。特異日?なにそれ、おいしいの? 今日はミンチの日やで~。    ☆ イライシャ・グレイが満を持して電話機の特許を出願するが、わずか2時間の差でグラハム・ベルに先を越されてしまう(1876年)。     ☆ 大阪電燈を脱サラした松下幸之助君(19)が、大阪市東成の長屋で電器部品の工場を始める(1918年)。これが後のパナソニックだったりする。   

  =本日記載附録 【😒春眠暁を覚えず / 休刊😘】_◎03月07日 =

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“モグラ博士”哺乳類分類学 / 川田伸一郎(08/14)_学究達=667

2024-03-06 05:10:24 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=令和六年03月06日<ⰧⰊⰧ

☆ 倶知安町で豪雪の最中に映画でも観て楽しもうとしたら、観衆の熱狂が過熱する大事に。余りの惨禍に先帝陛下が見舞金を下賜するまでに至った(布袋座火災・1943年)。     ☆ この季節、大学の卒業旅行で世界一周をさせようと日本航空が世界一周便を就航させる(1967年)も、パンナム・BOACなどの欧米大手の競合に敵う筈も無くたった5年で終了。     ☆ リクルートの創業者から未公開株を貰って得をしたNTTのドン(1989年)やゼネコンにも政界にも睨みを利かせた小沢一郎の師匠(1993年)など政治とカネをめぐる一件でお縄になる特異日。

本日記載附録(ブログ)

車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う

しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」

誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」

  自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹

  「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(08/14)

【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 第3回 「昆虫少年」が「モグラ博士」になるまで =2/3= 

   当時、弘前大学には博士課程がなかったそうで、川田さんはさらに研究を進めるためには他大学の博士課程の試験を受ける必要があった。一時、岡山の実家に戻って機会を伺い、名古屋大学の博士課程に入る。愛知県設楽町にある畜産系の実験実習施設に住み込んでの研究生活で、ヒミズではない「モグラらしいモグラ」に吸い寄せられていった。

 ヒミズの研究で親しみがあったとはいえ、本格的なモグラ研究へと進んだのは、かなり偶然の出来事がいくつか重なったからだという。例えば、日本中のモグラ愛好家(?)が集まる「第1回モグラサミット」に参加して刺激を得たこと。「染色体学会」でヒミズの研究を発表したところ、ほとんど同時期に行われた哺乳類学会でモグラの研究発表がある(つまり、モグラの研究者がいる!)と知ったこと。また、分類的に色々な論争があり、そんな中で、染色体を見る技術を持った川田さんなら寄与できることがあるかもしれないこと。モグラをテーマにして研究を深める、ひとつの方向性が見えてきた。

 その時、染色体の研究者がモグラ研究に入っていく、というのは何を意味したのか。ちょっと教えてもらう。

「染色体を見ることで、異論はあるかもしれませんが、外見ではわからないような種の違いを判別できるというのがあります。染色体の形や数が違うと、繁殖能力を非常に阻害しますので、形態は似ているけど、繁殖できない、というふうなのも出て来ます。もちろん、形態を見て、明らかにこれは違うなっていうのもいますけどね。例えば、頭骨の標本を見て、やっぱり違うと思って、そのあとで染色体を見て、これは別種、新種だな、というふうに確認するようなことが多いと思います。そういう意味では、今では染色体を見るというのは、ずいぶん形態の研究の側になってきているんです」

 染色体の研究は、形態の研究に近い。そういう認識は、新鮮だった。門外漢であるぼくにしてみると、細胞分裂だとか、遺伝だとか生物の基本原理にかかわるものだし、顕微鏡を覗かなければ見えないし、遺伝子が格納されているところなのだから、遺伝子の研究に近いような印象を持っていた。それなのに、頭骨の形がどうしたとか、歯式がどうしたとか、形態の研究に近い面もあるとは。

さらに、種の違いが判明する鍵としての染色体というのも面白い。種とはなんだろう、と大きな問いを深く考えていくと、哲学的な世界に入り込んでしまうのだが、生物学的で扱う種の考え方として一番よく使われるのは、マイヤーの生物学的種の概念だ。極端に単純化していえば、「繁殖可能かどうか」が、同じ種かどうかを分けるポイントになる。そして、染色体の数や形は、繁殖可能かどうかに直結する。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

【参考資料】 : 川田伸一郎と世界のモグラたち(1/5)

Ω 国立科学博物館動物研究部/2014年度大会公開シンポジウム記録   Ω

モグラ分類学の過去

食虫目モグラ科は約 40 種に分類されてきた.MammalSpecies of the World の初版(1982 年)から第二版(1993 年)を経て第三版(2005 年)まで種数の変遷を見てみると,それぞれ 31 種,42 種,39 種となっている.第二版から第三版では日本周辺の種がまとめられたために種数が減少しているが,1993 年頃にはほぼ分類学的整理が完了した印象がある.

哺乳類全種でみると 4,170 種,4,629 種,5,416 種と安定して増加しているため,モグラ科に関しては特に第二版出版以降の分類学的研究の遅れが見て取れる.上記初版の出版頃までの哺乳類分類学では,おおむね形態的な差異によって分類がなされた.

そのため調査が容易であったり,標本を保管する博物館施設がある国では,分類が整理されている状況があった.調べる研究者が多い地域でもむろん同様である.

一方で,日本を除くアジア地域のように調査が困難で分類学的研究を支える博物館が整備されていなかった国では,標本数も限られ,それらが採集された地域集団も限定される.特にモグラ類に関しては齧歯類や他の食虫類のような地上性の小哺乳類と比較すると欧米の博物館に所蔵される標本は少なく,また近年の標本数の増加もほとんどないように思われる.

1970 年代以降,染色体情報やアイソザイム等を用いた手法の発達により,これらが哺乳類の分類と系統推定に応用されるようになった.しかしいずれの手法でも新鮮なサンプルを必要とするため,材料入手の困難な地域については未解決な問題は解消されなかった.

日本産モグラ科に関しては,土屋公幸氏による研究が代表的なもので,染色体数や染色体構成といったデータがまとめられたが,種間でどのような染色体の変化が起こっているのか,また国外の種との関係性に関しては未解決となっていた.

米国の故テリー・イェイツ氏は,モグラ科は核型変異が少なく,分類学的情報に乏しいとしたが,果たしてそうなのであろうか?核型の報告がないモグラ科の種は多数残されていた.

モグラ類は地中性という生活スタイルのため,ネズミ類などとは採集方法が完全に異なっており,モグラを捕ろうとして罠をかけないとモグラは捕れない.

また一般に他の小哺乳類と比較して,捕獲するのが困難であると思われがである.材料入手が難しいというだけの理由で,博物館標本も数が限られ,分類学的再検討がなされていない状況があったと考えられる.

続く・・・・・

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