【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =011=

2017-05-27 06:22:06 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

 

◇◆ 第五回 3Dモデル生成、舞台裏の奮闘 = 1/3= ◇◆

 ナショナルジオグラフィック日本語版2015年12月号に、現在私が行っている大ピラミッドの3D調査が紹介された。 エジプト滞在中、考古学の研究とともに、半ば趣味で写真を撮っていた私にとって、ナショジオは憧れの雑誌であり、そこに載るというのは一つ大きな目標だった。

 今回、日本版というローカルなものではあるが、ここに自分の研究が取り上げられたのは感慨深い。 しかし、これは私一人の力ではなく、本誌でも説明しているように、総合科学としての考古学プロジェクトで働く、チームの全員の力である。

 そこで、今回のWebナショジオでは現場の話ではなく、現場から得たデータを解析すべく、舞台裏で活躍している3Dチームについて紹介したいと思う。 そこには表舞台以上のドラマや葛藤があり、その奮闘の中から生まれたデータが誌面を飾っている。

 最初に、本誌にも記載した、今シーズン最大の成果物である大ピラミッドの”窪み”と”洞穴”の3Dデーターを、Webならではの方法である映像でお見せしよう。 これが大ピラミッドの内部の石組み構造を知る手掛かりとなったものである。 そして、以下に、そのデータができ上がるまでのこの2年間の闘いについて述べていこう。

ピラミッドに登る

 2013年3月、TBSの番組「世界ふしぎ発見!」の撮影に同行した私は、特別な許可のもと大ピラミッドに登った(普段、登ることは禁じられている)。 考古学者がピラミッドに登るのは、そこにピラミッドがあるからではない。 学術的な目的があるから登るのである。 私の目的は、北東の角80メートル地点にある、石材が剥がれ落ちてできた「窪み」のような場所と、その奥にある「洞穴」のような空間を観察し、ピラミッドの石組み構造について新たな知見を得ることだった。

 大ピラミッドは、世界で最も有名な古代建造物であるにも関わらず、実は石材の一つ一つを実測した図は存在しない。 あるのは内部の部屋や通路の大きさを示す部分的な立面図や平面図、あるいは現存する201段ある各石材の高さだけを示す図である。

 さらにギザのピラミッドを含む第4王朝のピラミッド群は、建造技術が高く、崩れている場所がほとんどないため(後のピラミッドのように崩れていれば、内部構造の観察が可能である)、内部の石組み構造が判明していない。 しかし、この「窪み」と「洞穴」は、石組み構造の手掛かりを与えてくれるかもしれない場所だったのである。

 これらの場所は、もともとフランスの建築家であるジャン=ピエール・ウーダン氏が、彼が唱える「内部螺旋(らせん)傾斜路」説を裏づけるものだと主張して有名になった場所だった。 彼によれば、230万個と言われている石材を運び上げるためには、従来考えられてきたように外側に傾斜路を設けたのではなく、ピラミッドの内部に螺旋状の傾斜路が造られたのだという。 そして、その一部が「窪み」と「洞穴」だというのである。

 しかし実際、撮影クルーとともに、私が登ってみて観察したところ、ウーダン氏が主張するような証拠は何も見当たらなかった。しかし同時に、興味深いことに、これまで考えられていたように、大ピラミッドの石材はすべて完璧に整ったものではなく、「洞穴」の石材は不ぞろいで、整然と東西南北に向いてすらいなかった。 この場所をさらに理解するためには、実測図が必要だったが、今回の登頂は考古学調査のためではなく、あくまでテレビ撮影のためであったため、その場所を細かく記録する時間も機材もなかった。

=資料・文献=

エジプト・ピラミッド学(1)

ピラミッドは、エジプト・中南米などに見られる四角錘状の巨石建造物の総称であり、また同様の形状の物体を指す。 なかでも最も有名なものはエジプトにあるギザの大ピラミッドをはじめとする真正ピラミッド群で、その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。 エジプトのピラミッドは世界でもっとも有名な遺跡の一つとされており、現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績(偉大な作品や事業)などを表す代名詞となっている。

上記のとおり、ピラミッドとして最も著名なギザの大ピラミッドが明確な四角錐の形状をしているために、ピラミッドは四角錐または三角形のものの代名詞となっているが、こうした形状のピラミッドが存在した場所は基本的に古代エジプトおよびその影響を受けたヌビア、そしてそれを模倣した後世の建築のみであり、メソポタミアジッグラトメソアメリカ各文明のピラミッドといった世界各地に存在するピラミッドの多くは、階段状に層を積み重ねていき上部のとがっていない、いわゆる階段ピラミッド(後述参照)が主流となっている。 また古代エジプトにおいても、真正ピラミッドが出現するまでは過渡的な形態として階段ピラミッドが存在していた。

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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