【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =007=

2017-05-19 06:11:23 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠ 

◇◆ 第三回 情熱あふれる発掘のプロたち = 2/2= ◇◆

なぜ古代について知りたいのか

 ピラミッド・タウンの発掘は1月に始まる。 エジプトの冬は、実は、とても寒い。砂漠であればなおさらだ。 その時期には、朝、太陽が出るのがいつも待ち遠しく感じられた。コンクリートのように堅くなった地面をかじかみながらピッケルやこてで掘り進む作業をしていると、あっという間に手にひび割れが生じる。 横で働いているイギリス人考古学者を見ると、30代だというのに彼の手はひび割れ硬くなり年寄りの手のように見えた。

 2月、3月はハムシーン(砂嵐)の季節だ。 不安定な気候が続き、砂嵐が吹き荒れたり、雨が降ったりするなか、測量し、遺構の地図を作る。 4Hの硬い芯が入ったステッドラーのシャープペンシルでも砂混じりの雨に降られると、描いていくそばから線がにじみ、かすれていった。 1日が終わり、家に帰って服を脱ぐと、体中から砂が床に溜まるほどこぼれ落ちた。

 春が終わり、初夏になると暑さが急激に増していく。 それに比例するように、参加メンバーたちはそれぞれの国に帰り始めた。 私はエジプトに住んでいたということもあり、最後まで残っていた一人だった。 ある日のこと、最後まで現場で一緒に作業をしていたエジプト人の同僚アシュラフが、別の現場で用事があるということで、私は一人、ピラミッド・タウンで作業をすることになった。

 現場は、1.5メートルの巨大な石灰岩の壁が立ち並ぶ"Standing Wall Island"と名付けられた場所だった。 ピラミッドを造った王の宮殿の周壁かもしれないそれらの壁のなかには、日干しレンガの壁の跡が縦横に走り、小部屋や通路、門戸などがあった(この場所はじつはまったく違う機能を持つ建物だということが10年後に分かったが、それはまた今度)。

 堆積した土壌の違いや、そこに含まれる土器や骨、壁の崩れ方や方向や長さを観察し、測量し、時折、休憩に甘いシャイ(お茶)を飲み、そして地図を製作していった。 砂の中から掘り返された古代遺跡は、現代人にとっては未知のものである。 その建物はどのような形をしていたのか、ここはどのような場所なのか、ここにはどのような人々がいたのか。 誰も知らない未知のものに触れる感覚は独特だった。

 そのとき、ふと、この現場のことを知っている人間は世界中で自分しかいないということに気がついた。 それは単に古代の建物の一部に過ぎなかったが、今、世界で、ただ自分だけがこの未知なるものを知っている。 自分一人だけが、その未知であるものを知ろうとしていると感じた。 この「自分が」という感覚は途方もないエゴイズムだが、なにか同時にとても大切な、人間であることの根幹のひとつであるようにも思えた。

 なぜ私たちは、古代について知りたいのだろう。 そうした強い欲求が生まれるのは、古代が決して知り得ない未知の世界だからかもしれない。 影のように跡を残しながら、実物は決して見えない。 追いかけても決して追いつけない。 時間という絶対的な存在に阻まれた私たちは、その場所に立つことはできても、時間を共有することは叶わない。 だからこそ追い求めているのかもしれない。 そんなことを一人考えながら、初めての発掘シーズンは終わっていった。

///////// ピラミッドの不思議 //////////

=不思議 その二= かつては王の墓だと信じられていたピラミッドが、どうもそうではないようです。 なぜならピラミッドの内部にはファラオの棺は置かれていませんでした。 かの有名な黄金マスクのツタンカーメンが発見されたのは、ピラミッドではなく「王家の谷」と呼ばれる場所からでした。 ではピラミッドの存在の意味って一体何なのでしょうか。

これにも様々な説が飛び交っています。 「大規模なポンプ」とする説や、「暦を正確に伝えるための日時計」とする説、「ナイル流域を測量するための経緯儀」とする説まであります。 数多くある説の中に、「ピラミッドの存在が永遠の暦」とするものまでありますが、真偽のほどはやはり分かっていません。

 =不思議 その三= 現在ギザのピラミッドは、観光地として内部に入ることができるようになっている。 その入り口は中心部よりも横にズレているのです。 これはあとから入り口として開けた穴で、上部に本来の入り口がある。 しかし、この入り口も横にズレており、人為的にふさがれていたことが分かっています。

東西南北を正確に向いているピラミッドに、このようなズレが存在するのでしょうか。 また、わざわざ入り口を塞いだわけは? あくまでも憶測ですが、どうやらピラミッドは建造したあとに、外部からの侵入をできないようになっていたようです。 そして現在発見されている入口とされている場所がズレているのは、恐らく反対側に対になっている入り口があるのではないかという事です。 内部調査でも、分かっている控えの間や大回廊、王の間など、現在確認されているピラミッドの中も対になっていると考えられています。 これも超音波の検査結果からの憶測であり、内部を壊して確認したわけではないので、本当のことは分かっていません。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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