【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《田邊優貴子》 =91=

2017-04-13 16:11:34 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

◇◆ 水玉がはしゃぐ湖へ = 1/3= ◇◆

   「右30度の方向。 入り江からすぐの白いのと緑色のが建ってる、その砂地です」   「了解」 

 ノルウェー語で“口ひげ”という意味の“シェッゲ”という名の付いた、海から垂直に400メートルの高さに切り立った岩壁の目の前をギリギリに飛行し、南極観測船しらせの大型ヘリコプターCH101は進路を右にとった。

 目的地は“きざはし浜小屋”。 昭和基地の南に広がる宗谷海岸沿いにいくつか点在する露岩域の一つ、スカルブスネス露岩域のきざはし浜にその小屋は建っている。 昭和基地のおよそ60km南に位置し、この周辺ではもっとも大きな面積を持った露岩域だ。

 CH101は、きざはし浜小屋を眼下に確認したあと、その上空を通り過ぎ、スカルブスネスの中央部辺りでゆっくりと旋回し始めた。 窓の外にはスカルブスネスの全貌と分厚い南極大陸氷床が見下ろせた。 視界いっぱいに広がるダイナミックな光景。乾燥しきって赤茶けた岩肌の中に、いくつもの湖が散らばっている。 まだ氷に覆われている湖、解氷して間もない湖。雪解け水をたたえた沢は、キラキラと光りながら荒涼とした大地をうねっている。

 —————なんて人間を寄せつけない世界だろう。 いや、人間だけではない。生きものという生きものすべてを拒絶するような世界。氷のわずかな隙間から、地球がそのまま剥き出しになっただけだ。
 はるか何億年、何十億年も昔、きっと、生まれたばかりのころの地球はこんな世界だったのではないだろうか。 自分が今ここに存在していることや、こうやって生きているのがいつの時代かなんていうことはまるでわからなくなってしまう。 そんなものはもはや何の意味も持たないのだろう。
 自分の存在、人間が刻んできた時間などすべて消え失せ、窓の外をながめながら、私も、この世界も、時間も、もっと漠然としていて、脆い、抽象的なものになっていくのを感じていた。 急に入ってきた冷たい風で我に返った。

 ヘリコプターのブレードの爆音とともに、開け放たれたドアから勢いよく入り込んでくる空気音で機内が埋め尽くされた。 機内の天井から伸びるライフロープを腰につないだ乗組員がドアの外に身を乗り出し、私がパイロットに指示した着陸ポイントに機体を誘導していく。 パイロットと身を乗り出した乗組員とが連携しながら徐々に高度を下げ、地面スレスレまで近づくと、ゴロ岩のない平坦な着陸ポイントを探りながらほんのわずかな距離を器用に水平移動する。 慎重に微移動を繰り返し、軽い衝撃と同時に、機体は砂地に着陸した。 

 2009年1月7日、3週間滞在していたラングホブデ露岩域をあとにした私たちは南極観測船しらせで1泊2日のつかの間の休息時間を過ごした。 と言っても、食糧・野外調査物資の準備や洗濯などであっという間に終わってしまったのだが。 そして今日、次の調査地であるスカルブスネス露岩域にやって来たのである。

 “もう一度、ここに来ることができた……”

 ヘリコプターの外に出ると、目の前に広がる海岸風景の懐かしさに心が弾み、自分が今この場所に立っていることが嬉しくてしかたがなかった。 それほど、このスカルブスネスのきざはし浜は私にとって強い思い入れがある場所だった。 しかし、到着した直後は感慨にふけっている間も与えられない。 到着後にいつも待ち構えている、大量の物資をヘリコプターから下ろして運ぶという作業を一刻も早くしなければならないからだ。

 今回の物資は全部で約3トン。 上陸したらすぐに物資を受け取り、ヘリコプターから50メートルほど離れた地点に置き、また小走りで物資を受け取りに行く、という一連の作業を乗組員あわせた7名で協力して繰り返すのである。 みなで協力した甲斐あって、10分もしたのち、荷下ろし作業が終了した。 南極とは言え、真夏の沿岸地帯は意外と暖かい。 砂地に足を取られながらの物資運搬作業で背中が少し汗ばんでいた。

 乗組員とパイロットに別れを告げてヘリコプターを見送り、いつものように3人だけがきざはし浜に残された。 恐ろしいほどの静寂。 混じりっけのない青い空から太陽の光が強い力で差していた。 こうして、約1ヶ月間のきざはし浜生活は始まった。

 翌朝、はやる気持ちで湖めぐりに出かけることにした。 小屋を出てすぐ山手に親子池という湖がある。 今でこそ淡水の湖だが、その昔、この湖は海の下にあった。 最終氷河期が終わって海面より上になり、海から隔離されたあとしばらくは塩湖だったが、長い年月をかけて氷河や雪の融け水が入り込み、淡水に置き換わったのである。 その証拠に、周辺には二枚貝や沙蚕(ゴカイ)の化石がいたるところに転がっていたり、埋まっていたりする。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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