大学には
1 基礎的なこと、大学以外では誰もやっていないこと
を持続して研究・教育するという要素 と
2 新しい時代に対応した分野の実態を研究し、
その分野の専門家を育成する
という 要素とがあると思う。
基礎的な研究は、(かっての)国立大学や公立大学が第一次的に
負うべき任務ですね。
私が専門としている領域である
社会福祉学の分野では
東大や京大などの国立大学では学部・学科はいまだにない。
看護学については、国立で千葉大学に看護学部ができて久しい。
現在では、各県に公立の4年制の看護学部ができており
今では看護学研究科として修士・博士課程をおくところも多い。
公立の4年制の看護学部・看護学科もまだないという県は
少ないと思うが・・・鹿児島県には県立看護大学はない。
社会福祉学に戻って
伝統ある研究・教育歴を誇るのは
関東圏・関西圏の私立大学です。
公立では
大阪府立大学・大阪市立大学・首都圏大学東京
の役割が大きい。
全国的に見て
公立の看護大学も福祉大学もないところは
やはり保健・福祉のサービスの展開が遅れているように思われる。
鹿児島県はその典型例だ。
(進んでいるところは、神奈川、岩手、青森、
岡山、廣島、山口など)
保健関係は、鹿児島大学があり
福祉関係は、私が勤務する鹿児島国際大学がある。
かって
東大の文学部長を勤められた福武直先生(社会学)
に「なぜ、東大に社会福祉学科ができないのですか?」
とお聞きしたことがある。
先生「作りたいと思ったときには、もう行政改革の時代になっていた。
例えば、伝統ある農学部の3つある造林学の講座のひとつをつぶして
社会福祉学を作るということができますか」
とお答えになったことがある。
明治の初めに社会が必要とした学問分野の思考方法のまま
現在の社会が当面している事態には対応できない。
大学の抱える根本矛盾は
大学自身でこの対応ができないことである。
(誰も、自分の分野は大事だと主張するし、
新しい分野を代表する研究者・教育者は大学内部にはいないか
いても少数勢力だからだ)
1 基礎的なこと、大学以外では誰もやっていないこと
を持続して研究・教育するという要素 と
2 新しい時代に対応した分野の実態を研究し、
その分野の専門家を育成する
という 要素とがあると思う。
基礎的な研究は、(かっての)国立大学や公立大学が第一次的に
負うべき任務ですね。
私が専門としている領域である
社会福祉学の分野では
東大や京大などの国立大学では学部・学科はいまだにない。
看護学については、国立で千葉大学に看護学部ができて久しい。
現在では、各県に公立の4年制の看護学部ができており
今では看護学研究科として修士・博士課程をおくところも多い。
公立の4年制の看護学部・看護学科もまだないという県は
少ないと思うが・・・鹿児島県には県立看護大学はない。
社会福祉学に戻って
伝統ある研究・教育歴を誇るのは
関東圏・関西圏の私立大学です。
公立では
大阪府立大学・大阪市立大学・首都圏大学東京
の役割が大きい。
全国的に見て
公立の看護大学も福祉大学もないところは
やはり保健・福祉のサービスの展開が遅れているように思われる。
鹿児島県はその典型例だ。
(進んでいるところは、神奈川、岩手、青森、
岡山、廣島、山口など)
保健関係は、鹿児島大学があり
福祉関係は、私が勤務する鹿児島国際大学がある。
かって
東大の文学部長を勤められた福武直先生(社会学)
に「なぜ、東大に社会福祉学科ができないのですか?」
とお聞きしたことがある。
先生「作りたいと思ったときには、もう行政改革の時代になっていた。
例えば、伝統ある農学部の3つある造林学の講座のひとつをつぶして
社会福祉学を作るということができますか」
とお答えになったことがある。
明治の初めに社会が必要とした学問分野の思考方法のまま
現在の社会が当面している事態には対応できない。
大学の抱える根本矛盾は
大学自身でこの対応ができないことである。
(誰も、自分の分野は大事だと主張するし、
新しい分野を代表する研究者・教育者は大学内部にはいないか
いても少数勢力だからだ)
大学における社会福祉学の現状について、
非常に広い視野からお話いただいて、
ああ、なるほど、と納得いくこともありました。
大学の学部から3つの大学をわたり歩いている私
ですが、1つの学問について、都道府県全体を
見るということができず、つい、自分が置かれている
環境に囚われていたのかもしれません。
そういった意味では、自分自身の現状認識が
甘かったなぁと思いつつ、こうして、教えて
くださった先生に感謝しています。
ありがとうございます。
教育の公共性については長い間の疑問なのですが
あまり嘆息ばかりもしておれません。
「自分の畑の手入れ」をしっかりと思います。
といいつつ、北欧のこと、続きで書きました。
PS 「研究室の覚書」は院生なども感心しながら読んでいるようです。