9月20・21・22日の2泊3日 伊勢神宮・瀞峡遊覧・谷瀬の吊り橋・熊野古道南紀の秘境を周遊するツアーに参加してきました。
お天気にも恵まれて、とても楽しかった
一日目
伊勢神宮
社殿を造り替える20年に一度の大祭「式年遷宮」の年に当たる「伊勢神宮」参拝しました。大御神が本殿から新殿へとお遷り(うつ)になる遷宮祭の中核をなす祭儀が、今年平成25年に行われるのですが、平成17年から色々な式典が始まっているそうです。
式年遷宮
http://www.isejingu.or.jp/shikinensengu/
外宮 → 内宮 の順でお参りするのが、正しい順番なんだそうです。
<伊勢神宮 外宮>
衣食住・産業の神、豊受大御神(とようけおおみかみ)をお祀りしています。
沢山の観光客でした
奥に見えるのが、新しい社殿。手前の少し古い感じの建物が、20年前に建てられた古い社殿
<伊勢神宮 内宮>
天照大御神(あまてらすおおみかみ) をお祀りしています。
五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めてお参りしました
奥に進んでいき、新しくなった内宮が少しだけ見えました。ここからは写真撮影禁止
平成25年10月2日(内宮)・5日(外宮)に斎行となる遷御の儀が行われるそうです。
どちらもその式典に向けて準備が粛々と進められていました
二日目
瀞峡をウォータージェットで遊覧
抜けるような青空の下での遊覧でした
青い空 水しぶき
熊野古道・大門坂をミニウォーキング
石畳が美しい「大門坂」を上り、熊野那智大社、那智の滝へのコース。
大門坂入口から熊野那智大社への石段は距離も短く、苔むした石段と杉木立は熊野古道の雰囲気も満点でした。全部歩くと、2.5キロ 約1時間くらいかかるそうなので、今回のツアーではその一部だけ歩きました
那智山 熊野信仰の聖地
神武天皇が東征の際、この地に上陸し、那智の滝に大巳貴神を祀り八咫烏(やたがらす)の案内で山々を越え大和に入ったとされています。その後、仁徳天皇の時代に那智の滝より社殿を現在の那智大社に移し、仏教の伝来とともに神仏習合の信仰が広まり、「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの人々に信仰されました。熊野那智大社、那智の大滝、青岸渡寺等を総称して「那智山」と呼びます。
青岸渡寺三重の塔 と 那智の滝
2011年の大水害の時には、滝の上のしめ縄の上の所まで水面が上がっていたそうです
三日目
熊野本宮大社
熊野本宮大社は過去『熊野坐神社』と号し、熊野の神と言えば本宮のことを表していたそうです
参道入り口の鳥居は、神が宿る神域と人間が住む俗界を分ける結界を表します。
杉木立の石段参道には「熊野権現」の奉納幟が立ち並び、158段の石段を登ることで神の宿る神域
に一歩いっぽ近づいて行きます。
サッカー協会のマークに八咫烏が使われているのは、天武天王の故事に習い、 よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められているそうです
十津川村 谷瀬の吊り橋
日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋。
上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は長さ297メートル高さ54メートル
今では十津川村を代表する観光名所になった「谷瀬つり橋」はもともとは生活用のためのつり橋としてかけられたそうです。
今から約60年も前の昭和29年(1954年)戦後の復興期の頃です。
谷瀬の人々らは川に丸木橋を架けて行き来しておったんじゃが、洪水のたびに流されていた。そこで谷瀬集落の人々は1戸当たり20~30万円という、大金をだしあい当時としては思い切った800万円もの大つり橋を村の協力を得て完成させて、今でも生活道路だそうです。
<当時の教員の初任給が7800円で米10キロが765円の時代>
もちろん渡りました けど、かなりへっぴり腰でした
十津川村から高野山に行くまでは、熊野川沿いを走ります
2年前の水害の爪跡が沢山残っていました。ここは、もとは、発電所が有ったそうですが、水害の時に流されたそうです
高野山
現地ガイドさんの案内で、奥の院めぐりをしました
高野山の歴史
http://www.shukubo.net/contents/about_koyasan/history.html
秋の風景 熊野古道 大門坂で・・・・
おまけ 地ビール三種
美味しくて、飲みすぎて こんなになりました(嘘です)