海鳴記

歴史一般

奈良原喜左衛門に子供はいたのか (1)

2011-04-09 12:19:27 | 歴史
         奈良原家の戸籍の怪
     奈良原喜左衛門に子供はいたのか (1)
 
 3月11日の東北太平洋岸沖大地震以来、日本中が沈んだ気分に陥り、その重くて暗い気分を払拭できないでいる。特にここ静岡地方も距離的に近いこともあり、表面的には穏やかなものの、何か重い空気が垂れ込めている。仕方あるまい。明日はわが身なのである。つまり、この地方もいつそういう大地震が起るかわからない地域なのである。
 今から150年以上前の嘉永7年(1854)11月4日、マグニチュード8・4と推測される巨大地震が静岡・愛知地方を襲った。「安政(改元は11月27日)東海大地震」と呼ばれている地震である。ただそういう説明より、伊豆の下田で条約交渉をしていたプチャーチン一行の軍艦ディアナ号が、この時の地震による大津波で海岸に打ち上げられ、そこでは修復不能まで破損したときの地震、と解説したほうがピンとくるだろう。 
 とにかく、この時期は大地震が多かったようである。東海地震の翌日(32時間後)には、紀州半島沖を震源とする前者とほぼ同程度の「安政南海地震」と呼ばれる地震に見舞われた。また、7日には、豊予(大分と愛媛の間)海峡を震源とするマグニチュード7・4と推測される地震が起きている。まさに立て続けである。さらに、この3連続大地震からしばらく間があるものの、翌年の10月2日、安政の「江戸地震」と呼ばれる地震があった。地震の規模は東海地震ほどでなかったが、地震の二次災害である火事による死者は数千名から数万名といわれている。水戸藩の藤田東湖がこの地震で亡くなったという話は有名である。

 こういう歴史的事実もあり、ここ静岡ではこの種の地震が起きる可能性が高い、と30年ほど前からいわれているようだ。だから、何か沈うつな気分を払拭できない。だが、明日の身を思い煩ってばかりいても仕方あるまい。私は、今できることをするだけである。


コメントを投稿