熊本での第14回「草枕」国際俳句大会を終えて、大磯へ帰ってからも、相変らず多忙をきわめる。2009年11月21日(土)は、某書籍刊行の編集委員会のために、午後から、東京・末広町駅近くのG協会へ。3連休の初日ということもあって、欠席者がいて、少人数での会議開催だった。編集は大詰めをむかえているので、役割分担を明確にして、テキパキと進行するものの、この日のいちばんの難題は、ページ超過の件。しかし企業秘密にかかわることなので、残念ながらこれ以上は書けない。翌22日(日)は、第76回「ぶるうまりん」大磯句会。いつもながら沼津市、秦野市、綾瀬市などから熱心に、この句会に参加する方々の熱意に頭が下がる。参加者の一人K.F氏からまもなく(12月号として)『俳句界』(文學の森)が出るけれど、そこに第2回俳文コンテストの広告が掲載される、というお話をうかがう。(渚の人は、同コンテストの日本語部門の審査委員を務める。)又、句会終了後、『ぶるうまりん』本誌第14号(2010年3月刊行予定)の特集を何にするか皆で協議した結果、どうやら「俳文の研究」(仮題)に、落ち着きそうである。
3連休の中盤(2009年11月22日)からは、長男一家(3人)が大磯の小宅に来て1泊する。長男は某一部上場企業のある営業所(埼玉県内)の責任者(所長)。いつぞや所長に就任したという話を聞いてはいたけれど、この日初めて名刺をもらって、それが実感をもって理解できた。責任者であるがゆえに、経営面の苦労は並大抵ではないと思う。漸く来年の予算作成にメドがついて、ホッとしての小宅訪問であろうが、慢性的な睡眠不足で、やや頬が細くなった事実は否めない。連休最終日の23日(月)は、全員(5人)で、平塚市総合公園に行く。(写真は、平塚市総合公園内の今が見ごろの、黄葉真っ盛りの大きな銀杏の木。)最初長男は、娘のために小田原城址公園にある動物園行きを提案したけれど、名物のゾウ(ウメ子)が死んでしまったので、予定変更せざるをえなくなったのだ。帰宅後、小宅からスープの冷めない距離にある、長男の祖父(渚の人の父)の家に行く。
長男一家が帰ってから(11月23日夜から)、溜まりに溜まった寄贈書籍や雑誌に目を通し、あるいは手紙やハガキを整理し、返信すべきものは、丁重に返事を書くことなどに、ひっきりなしに追われる。じつは、締め切りが迫っている原稿があって、集中してそれを完了する必要がある。「週刊読書人」恒例の2009年回顧(俳句)の原稿だ。渚の人が、「週刊読書人」のその年の俳句の回顧原稿を執筆するようになったのは、2004年(平成16年)からだから、今年で6年目になる。1年間にご寄贈いただいた厖大な量の書籍と俳誌を、書庫に行って確認し、その中からこれと思うものを30冊ほど、デスク周辺に積み上げる。さらにその中から、最終的に10冊内外に絞り込む。けれども最も大切なのは、原稿を書く観点とその内容(トピックス)だから、これらの書籍が、惜しくも外れることがある。
ちなみに渚の人が、今まで書いた同執筆原稿のタイトルを記してみよう。2004年─「新風を待つ状況」、2005年─「相次ぐ大物俳人の逝去」、2006年─「広く深く長く読まれるべき本」、2007年─「視界不良の中の羅針盤」、2008年─「明日の地平を期待させる句群」。2009年の同原稿は、11月26日、「週刊読書人」編集部に、拙稿を送稿したが、同書評紙刊行前に、そのタイトルを明らかにするわけにはいかないので、それはヒ・ミ・ツ…。さて、今後の渚の人の同社での執筆範囲は、どうやら俳句に限らず、文芸評論集又は思想評論集、小説などに拡がる気配がありそうである。であるなら、今まで以上に、広く深く精緻に読書しなければならないだろう。渚の人の書いた2009年の回顧(俳句)は、12月25日付の「週刊読書人」に掲載される(発売はそれより1週間前?)ので、ぜひ書店に行って、ご購入を願う。
ところで数日前に、連句に精通する俳人とメールのやりとりをして、話が「連句と郵便的誤配」になった。渚の人はふだん考えていることを、あれこれ書いたのだが、その一部をここに記載してみよう。「東浩紀の『存在論的、郵便的』には、ジョイスの『フィネンガズ・ウエイク』に出てくる<he war>についての言及がありますけれど、<war>は、英語では「戦争」、ドイツ語では<sein>(存在する)の過去ですが、それがパロール(発話)において、意味が変容することについて、彼はデリダの思考法を検証しています。私は私で、ジョイスの『フィネンガズ・ウエイク』に出てくる<he war>こそが、歌仙(連句)のスリリングな秘密であるように読み替えました。」
印刷の冬空めくる楠大樹 須藤 徹 *2009年11月15日肥後の国にて
火が水を水が火を追う肥後の冬 同
3連休の中盤(2009年11月22日)からは、長男一家(3人)が大磯の小宅に来て1泊する。長男は某一部上場企業のある営業所(埼玉県内)の責任者(所長)。いつぞや所長に就任したという話を聞いてはいたけれど、この日初めて名刺をもらって、それが実感をもって理解できた。責任者であるがゆえに、経営面の苦労は並大抵ではないと思う。漸く来年の予算作成にメドがついて、ホッとしての小宅訪問であろうが、慢性的な睡眠不足で、やや頬が細くなった事実は否めない。連休最終日の23日(月)は、全員(5人)で、平塚市総合公園に行く。(写真は、平塚市総合公園内の今が見ごろの、黄葉真っ盛りの大きな銀杏の木。)最初長男は、娘のために小田原城址公園にある動物園行きを提案したけれど、名物のゾウ(ウメ子)が死んでしまったので、予定変更せざるをえなくなったのだ。帰宅後、小宅からスープの冷めない距離にある、長男の祖父(渚の人の父)の家に行く。
長男一家が帰ってから(11月23日夜から)、溜まりに溜まった寄贈書籍や雑誌に目を通し、あるいは手紙やハガキを整理し、返信すべきものは、丁重に返事を書くことなどに、ひっきりなしに追われる。じつは、締め切りが迫っている原稿があって、集中してそれを完了する必要がある。「週刊読書人」恒例の2009年回顧(俳句)の原稿だ。渚の人が、「週刊読書人」のその年の俳句の回顧原稿を執筆するようになったのは、2004年(平成16年)からだから、今年で6年目になる。1年間にご寄贈いただいた厖大な量の書籍と俳誌を、書庫に行って確認し、その中からこれと思うものを30冊ほど、デスク周辺に積み上げる。さらにその中から、最終的に10冊内外に絞り込む。けれども最も大切なのは、原稿を書く観点とその内容(トピックス)だから、これらの書籍が、惜しくも外れることがある。
ちなみに渚の人が、今まで書いた同執筆原稿のタイトルを記してみよう。2004年─「新風を待つ状況」、2005年─「相次ぐ大物俳人の逝去」、2006年─「広く深く長く読まれるべき本」、2007年─「視界不良の中の羅針盤」、2008年─「明日の地平を期待させる句群」。2009年の同原稿は、11月26日、「週刊読書人」編集部に、拙稿を送稿したが、同書評紙刊行前に、そのタイトルを明らかにするわけにはいかないので、それはヒ・ミ・ツ…。さて、今後の渚の人の同社での執筆範囲は、どうやら俳句に限らず、文芸評論集又は思想評論集、小説などに拡がる気配がありそうである。であるなら、今まで以上に、広く深く精緻に読書しなければならないだろう。渚の人の書いた2009年の回顧(俳句)は、12月25日付の「週刊読書人」に掲載される(発売はそれより1週間前?)ので、ぜひ書店に行って、ご購入を願う。
ところで数日前に、連句に精通する俳人とメールのやりとりをして、話が「連句と郵便的誤配」になった。渚の人はふだん考えていることを、あれこれ書いたのだが、その一部をここに記載してみよう。「東浩紀の『存在論的、郵便的』には、ジョイスの『フィネンガズ・ウエイク』に出てくる<he war>についての言及がありますけれど、<war>は、英語では「戦争」、ドイツ語では<sein>(存在する)の過去ですが、それがパロール(発話)において、意味が変容することについて、彼はデリダの思考法を検証しています。私は私で、ジョイスの『フィネンガズ・ウエイク』に出てくる<he war>こそが、歌仙(連句)のスリリングな秘密であるように読み替えました。」
印刷の冬空めくる楠大樹 須藤 徹 *2009年11月15日肥後の国にて
火が水を水が火を追う肥後の冬 同