須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

ネットに出た「ぶるうまりん」2号 text 30

2005-08-31 02:02:01 | text
渚の人が編集・発行する「ぶるうまりん」2号が、このほどネット新聞「湘南市民通信」に紹介されました。大磯に住むぶるうまりんの女性会員Iさんのご尽力によります。この場を借りてお礼申し上げます。興味のある方は、下記アドレスから、入っていただき、タイトルの<俳句誌「ぶるまりん2号」、大磯から発行>のところをクリックして下さい。

http://shonan.civil-media.net/

また、大磯町立図書館のホームページにも新着図書(2005/7/30~2005/8/29)として紹介されていますので、一度ご覧のほどお願いします。アドレスを下記にお知らせします。

http://oiso-lib.scn-net.ne.jp/NewBook/0110.html

俳句の中のふたり text 29 

2005-08-27 16:37:00 | text
過日、東京のブリヂストン美術館にて「絵のなかのふたり─シャガールから靉嘔まで」を観てきた。テーマのユニークさに魅かれて、この企画展が始まってから、何とか会期中に足を運びたかったのだ。「絵のなかのふたり」といえば、すぐに恋人たちの関係を思い起こすが、この展覧会では「恋人たち」「ふたりの物語」「母と子」「アトリエの作家とモデル」「ペア」の5つのセクションに分け、総数80点の美術作品を展示した。「恋人たち」では、シャガールの「恋人たちとマーガレットの花」が、圧巻だった。ロマンチックで優しく歓喜に満ちた恋人たちの抱擁は、じつに至福に満ちた美しさだった。

「ふたりの物語」では、ドーミエの「山中のドン・キホーテ」が面白い。この絵のドン・キホーテとサンチョ・パンサは、飄々として、とてもユーモラスである。「ペア」では、やはりドンゲンの「シャンゼリゼ大通り」が、いい。人間を細くデフォルメしたこの絵は、私を飽きさせない。ロートの「海浜」の独特なフォルムも、私を長く立ち止まらせた。

「絵のなかのふたり」は、表現主体の作者と作品の中の一人称・二人称を私に多く考えさせた。たとえば、「アトリエの作家とモデル」のセクションには、ピカソの「画家とモデル」があったが、この画家は紛れもなくピカソ自身であり、モデルは恋人マリー・テレーズであろう。しかしそれは同時に永遠の男女のふたりに止揚されているにちがいない。画家は一人称・二人称を描きつつ、同時に三人称に転換させる技をもつのだ。

この展覧会を観た後「俳句の中のふたり」を、私はしきりに考えた。この展覧会は、かねてより思考中の俳句の一人称と二人称について、深い示唆を私にあたえてくれた。10月に発刊される『荒野抄』の原稿を、もう一度見直し、「俳句の中のふたり」を描いた作品を抽出してみようと思う。

冬耕の二人は祷る大落輝
七夕や弓手(ゆんで)は冥く握られて
山霧よ夜の走者は神を追い
筍を抜けば穴より我の声
遠き人へ夜の菫摘む放蕩よ
五月闇鏡中に泛くカフカの眼
君は今日へるまん・へっせ末(うれ)光り

空蝉と『荒野抄 』 text 28

2005-08-21 01:06:44 | text
わが家の庭に、百合・サルビア・アブチロンなどの花が咲いている。まだ小さい百日紅が、びっしり蕾をつけている。それらの花を見ていたら、足元になんと空蝉が一つあるではないか。私は、それを拾い、書庫(書斎)の中の自分の机に、そっと置いた。背中が、きれいに割れている。脚や触覚らしきものが、きちんと残っているのには、驚くばかりだ。

空蝉を掌に一兵の斃れいし  
仮面ふと空蝉を裂く橋掛かり 
空蝉の薄目が怖い般若湯   
空蝉をロゴスと念う断酒かな 

渚の人の今度の句集『荒野抄』には、いくつかの章に、空蝉を詠んだこれらの作品を入れた。これらの4句をあらためて眺めてみると、それぞれ創作時のことが思い出されて、なんとも気分が高揚する。私は、ここに掲出した空蝉の俳句(2句)を、何度も推敲し、ある句会に提出した。句会ではそれなりの評価をいただいたが、句集を刊行するにあたっては、いろいろと考え、結局収録することにした。

書庫内の文庫本専用の書棚に行き、与謝野晶子訳と円地文子訳の『源氏物語』の中の「空蝉」を読む。読後さまざまな思いがわき起こったが、これは日をあらためて書こうと思う。光源氏17歳の時の物語で、その繊細で端麗な描写は、読者を魅了してやまない。

空蝉の羽(は)におく露の木(こ)がくれて忍びに忍びに濡るる袖かな

「空蝉」のラストシーンには、源氏から来た歌の紙の端に、空蝉が書いた歌がこう記されていた。


『荒野抄』 text 27

2005-08-14 01:16:26 | text
渚の人の第3句集『荒野抄』が、今秋(10月1日)刊行の予定。版元は、『アナイス・ニンコレクション』、『ヒトラー暗殺計画とスパイ戦争』(ジョン・H・ウォラー)、2004年ノーベル文学賞受賞のオーストリアの女性作家エルフリーデ・イェリネク氏の『ピアニスト』など、質の高い書籍を出版する、文芸・学術出版の鳥影社。定価2625円(税込み)。装丁は、多田智満子の遺句集『風のかたみ』を担当した吉野史門氏。流通は、東販・日販など大手出版販売会社(出版取次)を通すという。

収録する作品は、1995年以降の10年間の作品から約460句を厳選する。1年間1章を基本とし、国内外詠(沖縄、北海道、山形、若狭、バリ島、イタリアなど)も入れる。全10章のタイトル(章名)は、「水と時間」「紡錘型」「地球の音」「星痕」「光る樹幹」「ステンドグラス」「不在の水」「白長須鯨」(しろながす)「カフカの眼」「火のように」。現在、再校から3校の途中で、もうすぐ陽の目を見る。

帯に記されることばは、<『幻奏録』より10年、俳句の「時間」と「空間」軸を徹底的に解き明かさんと、さまざまな試行を繰り返す著者渾身の第3句集『荒野抄』、ここに刊行! 以下略>。(予定)。

<『荒野抄』より10句抄出>
体内の水傾けてガラス切る
グラン・ミラージュホテルふと鶏鳴に目覚めたり
硝煙は月の国境越えてくる
常しえに天心を行く夜汽車かな
ハイビスカス君の吐息が星屑に
薄原頭上を駈ける風の馬
まうしろのステンドグラス朧なり
野分後太極拳が空気割り
繚乱と辛夷の空へ白長須鯨(しろながす)
翡翠の一閃山を遠くせり


立待岬にて text 26

2005-08-11 00:51:00 | text
札幌のシンポジウムの後、函館に行った。今度で三回目である。二十代後半に、北海道の旅の本を編集担当したことがある。函館出身の喜劇俳優益田喜頓にエッセイを依頼すべく、帝国劇場の楽屋に氏を訪ねたのだった。しかし、そのときは、デスクワークのみの編集で、北海道には行かなかった。三十代中ごろにやはり編集の仕事で、留萌本線ぞいを一人で一週間ほど取材したことがある。最後に函館本線に乗り、石川啄木の墓を訪ねて、立待岬に立った。

今回、函館市内でタクシーに乗ったところ、運転手さんと話が合い、興に乗って私が「函館の青柳町こそかなしけれ」と石川啄木の短歌(一握の砂)を口ずさんだところ、間髪いれず彼が「友の戀歌矢ぐるまの花」とつけてくれた。こうした風流が函館には残っており、私はたいそううれしかった。

立待岬は函館山の南端に突き出た岬で、津軽海峡をはさんで下北・津軽半島を彼方に望む絶好のロケーションにある。今度の立待岬へは市電で行った。終点の谷地頭で降り、歩いて立待岬まで行ったのだが、これがとても良かった。石川啄木の墓を訪ね、岬の突端までゆっくり歩く。風が頬を掠める。海峡はどこまでも紺碧で、ウミネコが飛翔する。

函館行では、立待岬だけではなく、やはり市電を利用、十字街で下車し、元町(ハリストス正教会など)周辺、そしてウォーターフロント、赤レンガ倉庫群などを巡った。函館の坂上から見る港の風景は、何度行ってもそのつど感銘を新たにする。

船に酔ひてやさしくなれるいもうとの眼見ゆ津軽の海を思へば  石川啄木

俳句の一人称とは text 25

2005-08-05 00:56:06 | text
インターネット時代における俳句の「一人称」を考えるためのシンポジウムが、このほど札幌で行われた。3年前に京都でやはりインターネットを中心に「変容するハイク・コミュニティー」を考えるためのシンポジウムが開催されたことがあり、今回はそれと対をなす企画であろう。

そのシンポジウムに先立ち私が「俳句と引用(パロディー)」というテーマで講演を行ったが、これはシンポジウムのテーマとどこかで通底するものだ。<明易や花鳥諷詠南無阿弥陀>(虚子)<風や えりえり らま さばくたに 菫)(双々子)<登高やキルナ・エリバレ・ダンネモラ>(徹)等の作品の、いわゆる引用のことばの連鎖の中で、はたして作者はどこにいるのだろうか、ということがある。そして、そのような作品を創作する作者の主体性はいったい何なのか、と私はつねづね考えていたのだった。

シンポジウムでは、こうした講演からヒントを得たものの、テーマそのものに肉薄するものではなかった。当然といえば当然だろう。どうしてもインターネット俳句の功罪に、話の重心が移ってしまう。作品の中の「一人称」と表現する主体の「一人称」をまずきちんと分けたうえで、論点を整理すべきなのだ。

客観写生と主観、自我と近代、私性の問題、俳句形式の宿命などをおさえたうえで、時代を考えてゆくのも、一つのやりかたなのかもしれない。ネット社会特有の匿名性と隠蔽性、俳句の大衆性と無名性なども論議されてよい。

けれども、今回は司会者、パネリストが、精一杯がんばられ、総体的にじつに内容の濃いシンポジウムであった。もう少し時間をとり、焦点を絞ったうえで、シンポジウムをもう一回ぐらい行いたいと思う。

出演者の皆さま、会場の皆さま、そして実行委員の皆さま、本当にありがとうございます。心からお礼申し上げます。