須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

口語俳句の可能性 text 38

2005-10-23 18:22:22 | text
第50回口語俳句全国大会が、10月16日島田市の大井神社(宮美殿)で開催された。当日私は同会事務局より依頼された「来賓祝辞」を述べるため、午前10時頃大磯を出発した。私は島田市長らの後を受けてお祝いの言葉を述べた。そのときに私が用意した俳句は次の4句だった(時間の関係上、実際に披露したのは一句のみ)。

草に寝れば空流る雲の音きこゆ     芹田鳳車
心澄ませば林の奥の雫なり        同
あめふる灯が灯があめ          秋山秋紅蓼
波が立つたび/翼の音が/点灯する  アラン・ケルヴェルヌ(夏石番矢訳)

その日のメインは、北海道芦別市から来た西川徹郎氏の講演「口語で書く俳句─実存俳句の思想」であった。独特な語り口と内容で約90分。彼とは旧知の間柄で、講演終了後、少し話をする。彼の出す雑誌に、私は何度か原稿依頼を受けた。また、詳細は忘れたが、他の仲間とともに、一晩を過ごしたこともある。故攝津幸彦、西川徹郎、私は、ほぼ同年齢。昔から、ことばを交わさずとも、何か通じ合うものがある。

その日は、大会作品1100句以上を、金子兜太、和田悟朗、阿部完市、寺井谷子、岸本マチ子らとともに、特別選者として私(須藤徹)も15句選句した。その中の作品三句を紹介する。

<須藤徹選>
雨の日の苔しみじみと生きている    神田春子
自分の穴を掘っている 虹の根がいい  明石春潮子
頬に触れる風が母のような麦秋     さいとうか・ぜお

写真は島田駅前のクロガネモチの樹。この木にいっぱい鳥が群がり、まるでたそがれの空を祝福する花火のようだった。




『荒野抄』が発刊されました text 37

2005-10-16 08:45:37 | text
渚の人(須藤 徹)の第3句集『荒野抄』が、予定通り刊行されました。帯文には、次のように記されています。

『幻奏録』より10年、俳句の「時間」と「空間」軸を徹底的に解き明かそうと、さまざまな試行を繰り返す著者渾身の第三句集。

その帯の裏(表4側)には浅沼 璞選として、次の10句が掲出されています。

雨傘をたためば鯰もぐりおる
夕暮れをしずかにたたむ風の母
二の腕へ寝息の届く業平忌
空蝉の薄目が怖い般若湯
月蝕を尖らす貨車の連結音
青薄手錠のような空が垂れ
薄紅梅自我のかたちに紐が垂れ
繚乱と辛夷の空へ白長須鯨(しろながす)
ところてん太平洋に押し出せり
かきんこきんと女の笑う三鬼の忌

大手流通(東販・日販)には、10月中旬に搬入。神奈川県内では、横浜の有隣堂ほかに並びます。

砂漠がきれいなのは text 36

2005-10-10 18:12:03 | text
日本での著作権が今年1月に切れたために、サンテグジュペリの『星の王子さま』が、各社からいっせいに出た。私はずいぶん前から内藤濯(あろう)訳の『星の王子さま』に親しんできたけれど、今回池澤夏樹訳のものを購入した。池澤訳はとにかく快適なテンポで、読書するのにはうってつけだ。

「砂漠がきれいだ・・・」と王子さまは続けた。
 それは本当だった。ぼくはずっと前から砂漠が好きだった。砂丘の上に座る。何も見えない。何も聞こえない。そのうちに、静寂の中で何かが光を放ちはじめる。
「砂漠がきれいなのは」と王子さまは言った、「どこかに井戸を一つ隠しているからだよ」
 砂漠が放つ光の秘密がいきなり明らかになったみたいで、ぼくはびっくりした。

池澤夏樹訳で、私のもっとも好きな場面(24)を引いてみた。ちなみに倉橋由美子訳のものも出版されているそうなので、これにも挑戦してみたい。

真鶴の句会キャンプで発表した拙句<砂漠にて鯖寿司を恋う箱男>は、もしかすると池澤夏樹訳の『星の王子さま』に、心の深層で影響を受けたのかもしれない。

ぶるうまりん第二回句会キャンプ text 35

2005-10-02 00:33:12 | text
第二回ぶるうまりん句会キャンプ作品(2005年9月24日、真鶴半島)

須藤 徹選(抄)

天 主逝きこほろぎ韻くブリキ耺 (西野洋司)
地 魚棲める森の深さや秋の声 (川本育子)
人 十六夜やバーチャル世界の恋軽く (田中悦子)
人 三枚におろす二枚目鯵一品 (平佐和子)
並 蟻の巣見てをれば蟻の句のできるか (成川寒苦)
並 牛膝野鳥観察小屋に出る( 杉山あけみ)
並 ブリキの空じゃんけんぽんでグリコだよ* (山田千里)
並 秋刀魚焼き声つぶれてもカルバドス (井東 泉)

<註> 句会は、当日吟行作品二句以上。テーマ詠は「ブリキ」。五句提出。無季可。*は、当日の選に入りませんでしたが、後日追加。互選結果などの詳細は、10月中旬発行の句会報を参照して下さい。

須藤 徹作品

ブリキの戦車海峡に捨てる秋よ
風の岬いすたんぶうるの秋思う
二百二十日に着きたる二十歳(はたち)の十七屋
砂漠にて鯖寿司を恋う箱男

<解説>十七屋について (成川寒苦) *ぶるうまりん句会報第25号より転載

十七屋は、陰暦十七夜の月を「立待月」というが、それを「忽ち着き」にもじったもので、飛脚屋のこと。二百二十日に若い飛脚が到着したという、それだけのことであるが、五七五に各々漢数字を並べるという趣向で、非常に技巧的な句である。作者自身も認めているが、阿部完市・攝津幸彦等のことば俳句、加藤郁乎の江戸趣味などに通ずる句であり、筆者としてはこのような句が好きなので特選にとった。ちなみに十三屋は、櫛(九四)屋のこと。京都には、唐の櫛ということで、二十三屋という店が今でもある。