何十年も、島に住んでいる移住者を
「あの人はシマッチュ(島人)じゃないよ、もともとは○○の人だよ。」
という知人たちがいる中で、
「Kちゃんも、いよいよシマッチュだね~。」 と言われる。
「いえいえ、代々、島に住む方がいらしゃる中で、そんな大それたことは思いませんよぉ~」
と、答えてしまう。
代々島に住む方に、「しまっちゅ扱いされる」と、不自然な歓迎に思える。
「気をつかわないで、私はどこにいても私なので。」
でなければ、島に住むことを選ばない。
そして、ある土地にて私が私でいられないことがわかれば出て行く勇気をもたなくっちゃ、
そういう覚悟をもっている。
大げさだと思わないでね、
良い形を保てると信じてる。だから、選んだ。
「移住」という言い方は、受け入れられても、
「I ターン」という言い方は受け入れない。
地球は 私が住む星。
私がI ターンという言葉を使うのは、
「火星に骨をうずめます、地球に戻る宇宙船がないので、火星にI ターンします」という時だ。
Uターンが戻るのに対して、
I ターンの I は、行ったっきりの I。
島に住もうが英国に住もうが、
地球にいる間は、I ターンなんて気持ちはない。
大好きかどうか住みたいかどうかとは、別の問題やんか。
Universal Declaration of Human Rights:Article 13
(1) Everyone has the right to freedom of movement and residence within the borders of each state.
(2) Everyone has the right to leave any country, including his own, and to return to his country.
ゆにばーさるでくられーしょんおぶひゅーまんらいつの歴史的背景や現在の評価や他の法規的なものとの比較検証を今ここで語る必要はない。
移動の自由。そういうことなのである。
追記(1月27日):
下船するときに、島の方と話をした。
名瀬に住むという私に、「I ターンですね?」
「いえあの I ターンではなくて、えっと・・・」 と、モゴモゴする私。
その方の微笑みには、歓迎の色があり、
がんばってくださいね、と言ってくださった。
・・・わかってる、
「I ターン」がニュートラル(neutral 可・不可や善・悪なく中立に存在している)な響きをもっているということ。
ガイジンという言葉を思い出した。
2000年12月(←記憶が正しければ)、英国の新聞を読み、ぶったまげた!
国語辞典(すなわち英語辞典)を改訂する際に、
新たに加える日本語英語が、羅列(られつ)されていた。
tenpura(てんぷら) やgeisha(芸者)が、英単語のひとつと扱われるように、
gaijin(がいじん)が、市民権を得た瞬間だった。(gaijin が辞書に載ることになった。)
「外人は、out of people(アウト・オブ・ピープゥル:人の外)という響きがあるので、
外国人(外の国の人)と呼びましょう~」と、日本で、何度も聞いたことがある。
それゆえ、
「日本が気をかけても、当の外国人は気にしていないんだね~(漢字のもつ意味を知らないからかしら?)」と思った・・・。
「I ターン」。
当事者(私)が気にするのだから、逆のケースだけれど、ガイジン同様、
言葉に引きずられすぎるのは、アカンねんやろなあー。
「移動の自由」。
以前、難民問題の分析を試み、国際法の不可思議に頭を痛めた私の経験に基づくものなのです、細かいことを言う私をお許しください。。。
もすこし、力を抜くワ。