あまもりのなんやかんや

しがらみから離れてたまには身近な自然と親しみたい

大阪天満宮の右大臣左大臣

2005年06月21日 | 大阪の町/狛犬編

 
 


大阪の夏の祭りを代表する天神祭で有名な大阪天満宮の山門で、お出迎えしてくれる阿吽の左大臣・右大臣です。
この人形はかなり古い歴史のあるものらしくガラスケースの中に納められています。
座像で1.5メートルぐらいの身長があるでしょうか。立ったら2メートル以上の大男(立つわけないだろっ)
山門に向かって右側に白髪の左大臣(阿形)。向かって左側に若い黒髪の右大臣(吽形)。
位は左大臣の方が上ですから年長者になっているのでしょうか。
ちなみに菅原道真公は才能と英知で右大臣にまで上り詰めましたが、左大臣の藤原時平を代表とする藤原一族により太宰府に左遷させられ亡くなっています。
この大阪天満宮は京都の北野天満宮に次いで古く、平安中期の949年の創始ということです。(大阪天満宮サイトより)
天神祭は7月24・25日で昔ながらの鉾流(ほこながし)神事から始まり、陸渡御(りくとぎょ)、船渡御(ふなとぎょ)でクライマックスを迎えます。近年はギャル御輿も有名になりました。

天満宮の狛犬は境内の本殿前にあり、何とめずらしく両方とも「阿形」でした。
写真にも収めたのですが、うまく撮れませんでしたので、今度また取り直してUPします。

【追加訂正】
写真の二体は「表門の随身さん(おもてもんのずいじんさん)」と呼ばれていることが分かりました。
正式には右大臣・左大臣ではなく「矢大臣・左大臣」でした。
矢大臣は右大臣とも呼ばれるのですが、江戸時代では矢大臣が一般的な名称だったということです。
詳しくはコメント欄の最後に書いています。

狛犬ではないのですが、阿形、吽形ということで「大阪の街狛犬編」のカテゴリに入れました。

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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
人の阿形、吽形ですか。 (upplain)
2005-06-21 18:12:00
TR、CMT有り難うございます。

右大臣、左大臣が阿吽の形だったのですか。観察力が乏しいです・・・残念!

この次はしっかり見てきます。そう言えば仁王門の左右の像も阿吽の形かもしれない。あとで写真ファイルを見てみます。

豊里は入力ミスのようですね。近畿圏は大体の場所には出かけたと思います。・・・当時、日本で初めてのの銀行オンライン(住友、三菱銀行)の仕事で西日本の主な場所は殆ど行きました。大分昔のことですが。

六甲山だとしたら、あの山の麓、西宮甲山に住んでいまいした。とてもいい所でした。

天満宮の狛犬、待っています。では、また。
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Unknown (glimi)
2005-06-22 08:00:58
歴史は良いですね!ロマンがあって。



 それにあまもりさんはいつの足で歩いて書いておられる。私は座っている。私は怠け者ですね!
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もうちょっと (あまもり)
2005-06-22 10:48:47
写真を撮る腕をあげないと・・・。

バンザーイして撮るとか・・・



>upplainさん

私も右大臣・左大臣が阿吽形だと気づきませんでした。デジカメにおさめようとして初めて気づいたのです。ライオン橋のライオン像と同じだと。

甲山に住んでらしたんですか。何度かハイキングに行きました。阪急宝塚線仁川駅から歩いて甲山へ。帰りは甲陽園駅へと。キャンプやバーベキューで今でも賑わっています。自然に恵まれたいいところですよね。



>glimiさん

足で歩いてって

いえ、仕事のついでとか、遊びに行ったついでなんです実は

大阪に居ながら大阪のことを余り知らないと最近感じ始めたのでヘタなデジカメ画像に挑戦しているところです。また見てくださいね。
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天満宮の・・・ (スイポテ)
2005-06-22 14:52:53
こんなお人形が飾ってあることも知りませんでした。

もっとも私が天神さんへお参りに行ってたのはうーんと大昔の事ですから。

7月の24,25日の天神祭。

今年こそお参りに行きたいなぁ。

返信する
お人形は (あまもり)
2005-06-22 16:44:24
随分昔から飾られてたようです。

ただ、大阪天満宮は大塩平八郎の乱で全焼し、太平洋戦争でも焼けているので今飾られている右大臣・左大臣像は戦後のもので比較的新しいものだそうです。(天満宮に直接電話をして教えていただきました)勉強になった

天満の天神さんは、スイポテさんが育ったところからも近いですよね。手を引かれてライオン橋を渡ったんやろか。
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子供の頃は (スイポテ)
2005-06-23 09:38:03
天神橋をわたって天満宮へ行きましたね。

橋を渡り終わって右に折れ、左角に天満市場。

野菜果物の卸売り市場がありました。

スイカなど並べて売ってましたね。

そこを左折したら後はまっすぐ行くと天満宮。

天神橋から中之島に降りて西へいくと。

ライオン橋の手前が円形花壇だったと思う。

ライオン橋をくぐるとちょっとした遊具があってよくそこで遊びました。
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手に取るように (あまもり)
2005-06-23 11:39:31
スイポテさんのお話がわかります。

やっぱり天神橋だった。かなぁと思ったんですけどね

天満の卸売り市場は以前は天神さんの近くにあったんですか。

今は環状線天満駅の少し北側にありますね。市場自体がビルになりました。時代が変わったんですねぇ。



>ライオン橋をくぐるとちょっとした遊具があってよくそこで遊びました。

と、いうことは中央公会堂の手前ということですよね。

今もあるのかなぁ。なかったような・・・今度、中之島に寄った時に見てみますね。
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訂正です (あまもり)
2005-06-23 15:58:17
写真の二体は「表門の随身さん(おもてもんのずいじんさん)」と呼ばれていることが分かりました。

正式には右大臣・左大臣ではなく「矢大臣・左大臣」でした。

矢大臣は右大臣とも呼ばれるのですが、江戸時代では矢大臣が一般的な名称だったということです。

二体が飾られているところも表門(山門とはいわないらしい)の両脇にある「随身舎」。

随身とは皇族や貴族が外出する時に護衛にあたる近衛府の武人を指し、美貌・気だて・動作振る舞い・馬術・武術に優れた者が選ばれたということです。(今でいえば、文武優れたイケメン)



上の写真で、白髪の年長者を左大臣といいましたが、これも間違いで、

白髪の年長者が矢大臣(あるいは右大臣)(表門に向かって右の随身舎に鎮座)、

黒髪の若年者が左大臣(表門に向かって左の随身舎に鎮座)です。

朝廷の官位の右大臣・左大臣とはまた違うのでしょうか、よく分かりません。

神社の随身舎、あるいは随身門は、お寺の仁王門にあたるということです。

なるほど、神社は随身像で、お寺は仁王像ということなんですね。



参考資料は、大阪天満宮でいただいたパンフレット「大阪天満宮インフォメーションNo.2 矢大臣・左大臣(表門の随身さん)」です。
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Unknown (Unknown)
2011-03-07 10:04:46
白髪の年長者を左大臣で正解です。門の外から見るのではなく、本殿から見て左側に左大臣、右側に矢大臣です。先日、大阪天満宮七不思議で詳しく解説されていました。
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