オートバイ地球ひとり旅・19年・140ヵ国・39万㎞・バイクの松尾

2000年10月~2019年9月・56才~75才まで19年。越えた国境238カ所・赤道直下4ヶ所走破

「オートバイワルキューレ1500㏄地球ひとり旅19年」140ヵ国・39万km

2020年04月25日 | オートバイ地球ひとり旅・19年・140ヵ国・39万㎞」
このブログの更新なかなか手を付けられず更新できずにご無沙汰してしまいました。

この間も毎日20人から4,50人の方々には見てもらっていただいていたようで感謝です。

ありがとうございました。

「オートバイひとり旅19年」と言ってもづ―っと海外を走り続けているのではないですよね。

ご存じのように海外に出るとだいたい一年ぐらいでいったん帰国して、次の旅に

入っていく。半年から一年あるいは二年ぐらい間をあけて海外に向かっていました。

ですから19年といっても実際走っているのはおそらく14,5年になるでしょう。

厳密に計算するともっと短くなるかもですね。

60代までは「おいそろそろ行こうぜ」もくもくと身体の中から問いかけてくるような

感じでした。

70才近くになって来ると今度は沈んでしまっている「気力」に「さー行くぞ」

と「はっぱをかけて」自分の「意識で気力」を引っ張り出すようになってきました。

一度決断すると身体の方もそれなりに動くようになってきました。わたしの場合はですよ。

しかし前にも書きましたが海外に1500㏄持ち出して走るのはもう体力の限界、無理ですね、

ワルキューレ1500㏄450キロは重すぎる。いま熱海・網代に置いています。

今回これまで走ったルート大陸別に載せてみました。

ロシア~北欧~中央アジア~中東~東欧・・シベリア横断二度、モスクワ・クレムリンには東西南北から4度
はいったり出たり。パキスタン・カラコラムハイウェイとネパールからチベット、エベレストBCは印象に
残るものなりました。


ヨーロッパ。わたしの走り始めた2000年ユーロになったばかり、紙幣もようやく出始めた時期だった。
中東、モロッコ、エジプト、こわごわと走った。42ヵ国走って何とか世界を走れる気持ちになった。
オランダから走り始めましたが本当に走れるだろうかと眠れない夜が続きました。


アフリカ。ちゅうちょしたアフリカ、、決断するのに2年かかった。南アフリカを上空から見た時「アーこなきゃ
よかった」こわくて引き返したかった。東アフリカ半年、西アフリカ半年走った・・素直な現地の人たち、道路
にも象や動物、他の大陸とは違った。やっぱりアフリカはすごかった・・・よかった。


オーストラリア。船でインドからパースに送った。スマトラ沖地震のあと。パースからナラボー平原~シドニー
北に上がってエアーズロック~またシドニーに戻り~斜めにダーウィン~パースに戻る。途中ビザが切れそう
だったのでシドニーからニュージランドに渡った。一周半走り滞在4カ月。


北アメリカ、マンハッタン9・11ビル爆破に遭遇。ニューヨークからメキシコ。南米一回りしてベネゼェーラ
からメキシコ、海岸線を上がってグランドキャニオンまで下りたあとラスベカス~カナダの東果て
ニューファンドランド島・・最後アラスカ・ヘリコプターで運ばれる交通事故、アンカレッジ入院費用740万円
入っててよかった海外旅行傷害保険


中米。メキシコ~グァテマラ~エルサルバトル~ホンジュラス~ニカラグア~コスタリカ~パナマ
中米ってほんとに大丈夫かいな走る前ビビっていた。身体のでかい黒人ばかりだと日本でおどかされていた
実際走ってみるとやさしい人たちじゃないか・・行ったことのない人はマスメデァの知識だけで生きてる
のなのだろう、かってのわたしと同じだ。中米の国は山並みが続く結構高い山を越えていく、歩きながら軍隊の
人たちは銀行などではライフル銃を構えて警備していた。


南米。パナマからコロンビアに渡すフェリーを見つけにパナマ運河を行ったり来たり・・フェリーはなかった。
貨物飛行便でボコダまで送った。ドイツ人オートバイは3万5千円、でかさが違うのだろうわたしのは7万円。
最南端ウシュアイアからさらにヨットでチリの最南端プエルトウィリアムスの島に行った。ブラジルでは日本
からの移住者佐賀出身の人たち、全国の人たちとも会うことができた。アマゾン川5泊6日のフェリーは最高。
ギアナ高地~ベネゼェーラから飛行機でメキシコへ


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