75歳になった・・・オートバイを海外に送って走ることは終わった・・・。
中米を今回空身で旅してみた
2019年6月~7月空身で再び世界の旅に出る・・
中米・・カリブ海のドミニカ・ジャマイカ・そしてキューバに向かう
広島・福山市の主催者の池永章さんに講演会に招かれた。池永さんは福山市内で会計事務所、60人を越えるスタッフで運営されている。同じ時期にキューバのダンサーを招待されていた。福山市内のホテル大ホール200名を満席・・さらに岡山市内のホテルでも大盛況だったと聞いている。キューバの文化、芸術にいいものには人々は集まるものだなー感心した。
純粋にキューバ音楽が好き・・池永さんは社会主義者ではないようだ。頼もしい若手の経営者の集まった講演会終わったあと懇親会で機会があったらわたしも連れて行ってくださいと頼んでいたのが実現した。
自宅から青梅としょうが漬けをタッパに入れて持ってきた。レストランおの隅に座って隠れるようにして食った。好きなものを食べると疲れが出にくくなると思う。
2019年6月27日水曜
東京・成田空港を出発。日本→メキシコ→ドミニカ→ジャマイカ→キューバ→
メキシコ→日本・・これが今回旅の行程。10時ジャスト成田空港に到着。4時間半前早すぎる感じもするがいつもは出発3時間前に空港に着くようにしている。ま、これでよかろう。成田空港第3ターミナルの格安航空券の場合出発2時間前にならないとカウンタでの受付は始まらない。しかしここ第1ターミナルではいつでもうけつけOKのようだ。
第2第3ターミナルはいつもにぎやかであるが第1ターミナルはなぜか暗く、静かな感じがするなーとわたしは感じている。早めに食事をすませよう。今の時期は大好きな自分でつけた青梅の塩漬け、しょうがの梅酢漬け、タッパに入れて持ってきた・・・一週間ぐらいはもつだろう。さらに幼いころから食っている「シャー(おかず)高菜漬け(おくもじ)も持ってきた。レストランの片隅で隠れるようにちかっと(すこしづつ)づつ食った。
メヒコ(メキシコ)行きのゲートまで行って昼寝。14:25発の飛行機は3:30に離陸した。
12時間はきついな、、、椅子に疲れて我慢できなくなったので継ぎ目の床に横になって寝込んだ。飛行機の中で野宿といったところ。しばらくしてスチューワデスからここは非常用だからと注意される。10分ぐらいでも横になれたのでいくらか身体は楽になった。
メキシコ乗り継ぎ12時間の待ち合わせになる。
15:00荷物受け取りをすませる。そうだドミニカ行き飛行機のチケットを取らなければならない。「L2」に行けと・・ロビーをウロウロ・・・「ええーっ」あっちで聴いてこっちで聴いてようやくカウンター・・L2じゃなくて A2だった。確認は必要だな。ところがここはすべて自動入力してからカウンタにいく。が行けない。途中まで打ち込んだが・・アウト。係官に頼んでようやくドミニカ行きのチケットを受け取ることができ、ホッとする。
もう18時になっとる・・・ロビーにコンセントが設置してあり助かるな・・充電しよう。さて飯でも食うか。日が変わって1:25分発ドミニカ行きのゲートがまだわかっていない。とりあえず「Kエリア」で待つようにと聞いた。この空港は24時間オープンだから人が途切れることはない。フイリッピン空港でパプアニューギア行きゲートは二度も変わってあせったことがある。ゲートがわからないので気が気ではない。
11時過ぎにドミニカ行きのゲートは74ゲートとわかってホッとした。待ち合わせK地区から相当はなれた74に移動する。01:00分搭乗、座席4列の小さな飛行機。5:55分ドミニカに到着。荷物を受け取りタクシーでホテルに向かう。ボストンケースの帯がづれている・・開けられているな・・ホテルで開けてみると案の定中身をあさっている跡がはっきり・・薬入れのチャックなど開けたままである。
ドミニカに着いた・・・
コロンブスは1492年ドミニカに着いた・・コロンブス記念館
この地球儀にはまだアメリカ大陸は載っていない・・・
地元の子供たちと一緒に説明を聞くことができた
入国証明書・・わからない所はローマ字で「すみません・わかりません・よろしく・おねがいします」記入
荷物開けられることを予想して衣類以外はいれてなかった。えっへっへどうだ。ホテルは窓のない部屋から窓のある部屋に変えてもらう。外の景色が見れないと息苦しさを感じるのだ。チェックインは14時以降になっている・・朝に着いたので2500円宿代支払う。
朝食を食べたあとベッドで休む。ネットを打ったあと夕方4時コロンブス「博物館へ。
1492年「新大陸アメリカ」した当時のまま残っているコロンブス博物館。
地元の小学生といっしょに説明を受けながら一階から二階へ航海羅針盤、寝室べっどなど見て回る。
2019年6月28日土曜 はれ 暑い30℃ぐらいか
ビールを飲んで朝食をすませる。日本から持ってきた青梅塩漬け、しょうが、、これがあると元気になる。自宅でも飲んでいる「春ウコン」も持ってきた。飲み始めて10年ぐらいになるのだろうか、長女から送ってきた当時朝夜一日5粒づつはきつかったので3粒飲んでいた。自分の顔色が変わってきた、、、これはいいかもしれないと5錠づつ今も飲み続けている、それからは胃腸が重いとかの症状は一切なくなった。
オートバイで走らないときは朝でもビールロング缶2本夜は夜で2本プラス日本酒、、呑むのだ・・こっちも休みなく飲み続けている。飲まないと一日は終わらない、ようするにアル中であろう・・海外でも同じで休んだことはない。部屋のネットは弱くて一階ロビーに降りてくる。きょう昼間は4時過ぎにコロンブスの棺(ひつぎ)が安置してある「コロンブス灯台」にタクシーで向かったが5時で終了、残念。
仕方ないタクシーで市内観光2時間走って3000円。晩飯はライブをやっている近くの公園広場の屋外レストランへ。バカでかい音量の前に集まっている。最初はレストラン独自のライブだったがすぐに公園のライブに切りかわった。ビール3本ステーキここの肉はうまかった。4000円時にゃいいか。ドミニカは英語も通じない、、最も自分もわかってないのだ。ホテルでネット12時近くまで・・。
コロンブスの灯台・・・の中にコロンブスの「ひつぎ」が安置されている。前の日間に合わなかったので次の日に寄った。
2019年6月29日日曜 はれ
移動日。きょうは14:20発ジャマイカ行き。タクシー11時に予約している、きのうと同じタクシーだ。きのうはいれなった「コロンブス灯台」に寄ってから空港に行くと運転手さん気を利かせてくれた。コロンブスの棺(ひつぎ)は本人の希望で最初ドミニカ大聖堂に安置されていたが500年記念1992年に世界の国々から協力を得て「コロンブス灯台」を建設大聖堂から移されたと聞く。
毎年10月12日コロンブスのひつぎを公開されるそうです。これにあわせて旅の計画をたてるとひと味変わった旅になるかもしれない、と思う。そのコロンブスひつぎのある灯台に寄った。入場料160円・・ドルでOKだった。ここに寄ったことで心残り悔いのない旅になって気持ちもすっきりした。空港には40分で着いた40ドル。ジャマイカカウンターはどこ。43番と教えてもらった。チケットすぐに発行してくれた。
身体検査どこの空港でも同じ靴脱いで、、わたしはぞうりを脱いでX線検査。時間になった、バスで飛行機に横づけ。飛行機の周りに係官行ったり来たり無線でもやりとしている。エンジンの調子?がよくなくて別の飛行機でジャマイカに向かうらしい。いったん出国したので今度は入国て続き・・そして出国手続き。直接ジャマイカに飛ぶのではなくてタークスカイコス諸島、プロビデンス空港経由ジャマイカになると・・
ジャマイカ行きの飛行機はエンジンの調子が悪いそうで代替え機でどこかの島経由でジャマイカに飛ぶらしい。
1時間ぐらいでプロビデンス空港5:40分到着・・入国、出国手続きを終えて。同じ飛行機でジャマイカに向けて飛んだ。ジャマイカ到着20時。係官少なく入国手続きに時間がかかる・ひらがなで書いた入国カード、英語でないとダメとインフォメーションで書き直してもらった。タクシー45分乗って民宿に着いたのは22時・・腹ペコペコ。宿のおかみさんに車でマーケットへ。
すぐ食えるハム、チーズ、ビールを買って最後のお客になった、閉まる前で助かった。
もう腹へってる、部屋に戻るなりがつがつ流し込む・・・ビール5本スーッと入ってしまった。アーうまかった、しかしやっぱり疲れたなー。
ジャマイカに到着
2019年6月30日月曜 はれ
起きたのは10時過ぎていた。疲れていたのだ。きのうの残りはあるがマーケットに買い物キューリ、トマトかって昼めしにした。隣りの住んでいるのか‥奥さんが落ちていたマンゴ2個頂き冷蔵庫に入れた。宿のおかみさんあしたタクシーは11:00に頼んでいるからとタクシーの電話番号を書いたメモを渡して出かけて行った。
ヘミングウェイ(銅像)が座っている・・・「バーフロリダ」は昼間から大混雑
2019年7月1日火曜 はれ
キューバに今日向かう。ジャマイカ15:29出発。タクシー11時に予約している時間前に宿の前に出て待つ。11時過ぎてもタクシーは来ない。わたしの携帯ではかからないので通りかかった女性に電話してもらう。11時20分ようやくタクシーが来た。電話代を女性に5$わたすありがとうございました。空港からくるとき45分かかったが30分でキングストン飛行場に着いた。
キューバにはパナマ経由で向かう。ジャマイカから近いのだが直接には飛べないらしい。15:29分定刻に出発・・22:10到着だが時差なので21:10に着いたアーよかったなー。6時間を予想していたが4時間で済んだ。入国手続き終えてタクシー代空港内係官やインフォメーションでおおよその金額の目安を聞いておいた。タクシーとの交渉に必要なことなのだ。聞いていた金額30$で民宿に着いた。
ええー急な階段を登って部屋に・・さらにらせん階段を登って三階の部屋に着く。すぐにクーラーを入れてもらうが、トイレの水が出ない。隣りの部屋に変えてもらう。12時になっている・・クーラーが効いて気持ちがいい。この宿で落ち合うことになっている広島の池永さんはおそらく2時過ぎになることだろう。池永さんはカナダ航空でやって来る。
広島の池永 章さん
2019年7月3日水曜 はれ 朝23℃ぐらいか 昼30℃越え暑くなる
おはようございます。池永さんすでに起きていた。これからお世話になります。今回池永さんからキューバ行きを誘われていた。広島・福山市内「池永会計事務所」60人を超えるスタッフを抱えて運営している。キューバのダンサーを単独で招待して・・福山市内のホテル200席を満席に・・さらに岡山のホテルでも大盛況で終わらせている。なかなかできないことだと思うが思い切ったイベントを成功させている。
わたしの講演会も池永さんが設定してくれたもの。福山市内の若手の経営者を集めていただき旅のお話をさせてもらった。終わったあとの懇親会も一緒に過ごさせてもらった。彼はキューバの音楽、踊りに魅せられて10回以上訪れている。キューバ大好きの人のようだ。わたしは音楽などクラシックも現代のミュージックも、うとくて恥ずかしい思いであるが、いいものはいいものだろうなと感心している。
今回は歌手を探しに来て次のイベントにつなげると今回の目的の一つのようだ。しかし社会主義者ではないようだ。
わたしは朝からビールを飲みながら朝食。初めて歩くキューバ・・疲れているので12時から案内してもらうことにした。人通りの多い日本の銀座といったところだろうか宿からすぐに中心街に向かって歩く。さすがにキューバ音楽があっちこっちから流れ聴こえてくる。
ここが有名な「バーフロリダ」と池永さん。入りきれないほどお客でいっぱいになっている。夢にまで見たキューバ今歩いているのだ。
旧いクラシックだけが走っているイメージしていたが・・新車も走っている。しかしクラシックの車を見ていると新しい車がみじめなくらいに見えてしまった。
2019年7月4日木曜 はれ
今日も朝から陽ざしは強いが・・日本の真夏のようには暑さを感じない。二階建て観光バスに乗ってハバナ市内を観光・・冷房の効いた「バーフロリダ」でしばし休憩。ここはWIFIが使える・・事前にカード一枚200円(一時間)2,3枚買っておく必要がある。カードの番号を打ち込んで使える仕組みになっている。革命広場の見学・・・ここの広場ではカストロ首相数時間から10時間に及ぶ演説をしたバ場所らしい。
広場にはハバナ市内を見下ろす高い塔にも上ってきた。革命記念館当時の資料写真もたくさん陳列されている。どちらの国からですかと聞いてみると海外からの見学者も結構訪れている。アメリカから直接キューバには入国できないようだがアメリカ人もなぜか多く見かけたなー。第三国経由でキューバに訪れてきているのだろうと思われる。公園広場のビルの壁には「チェ・ゲバラ」と「ホセマルティ」二人の肖像画・・
「チェゲバラ」「勝利するまで闘い続けよう」・・・「われわれはホセマルティ主義者に過ぎないがレーニンの本を読まない人間は無知な人間である」カストロが影響を受けたといわれる「ホセマルティ」の二人の肖像画。個人の崇拝はよくないと自から語っていた「カストロ指導者」の肖像画はどこにも置かれていないようだ。「チェ ゲバラ」「ホセマルティ」肖像画をバックに海外から来ていた人たちといっし記念写真を撮る。
「万国の労働者よ団結せよ」「共産党宣言」これはマルクス・エンゲルス著の有名な言葉だ。
2019年7月5日金曜 はれ
きょうは「モロ要塞の見物」日本仙台からやってきた夫婦といっしょにタクシーで向かう。ハバナ市内を一望できる島に作り上げた歴史ある要塞だ。時間をかけて見て回る・・
チェゲバラ記念館にはなぜか入ることができなかった休館なのかな。帰りは小さい連絡船で本土ハバナに戻った。すずしい「バーフロリダ」の今日も音楽を聴きながら休憩1時間。夕方にも「バーフロリダ」による。食事はレストランでステーキを食った。
支倉 常長(はせくらつねなが)伊達政宗・仙台藩の一行日本人として初めてキューバを訪れた。
2019年7月6日土曜 はれ
池永さんの案内で美術館に行ったり、、市内を散策。日本人として初めてキューバを訪れた人たちがいた(1613年6月)。伊達政宗・仙台藩士。支倉常長(はせくらつねなが)一行・・・ジャパンパークの一角にそれは日本に向かって銅像は建つ・・仙台にかかわりのある学校、地元有志の名前も刻んである。戦国時代に海外を目指していたとはすごいことですね。
ヘミングウェイ会館は休館だった
2019年7月7日日曜 はれ
郊外に建っているクラシック、タクシーで「老人と海」著。ヘミングウェイの記念会館に向かう。残念ながら今日は閉館・・アレー・・・。仕方がない池永さんとその記念館の周りを散策。現地の子供たちは袋をもってどこかに向かっている。そこはパンを取りに向かっていた。パン一個1円ぐらいではないかと池永さんの話しだった。近くの小さい港に寄って軽い食事。きょうも「バーフロリダ」に寄って休憩。
今日もバーフロリダはいっぱい
お土産センターで買い物
2019年7月8日月曜 はれ
あした帰国する。お土産センターに行く。入り口には旧い蒸気機関車が出迎えてくれた。どでかいドーム型お土産センター。池永さん太鼓一式を買った。わたしは布に描いた絵画、皮帽子、ユニークな細長い人形4組を買う。たまっているフェースブックの発信、ホテルのロビーを借りて打ち込んだ。長い時間ネット屋っていたので「そろそろ出て行って・・みたいなこと」を言われる。「はいあと5分で終わります」ありがとプございました。
キューバ革命指導者三人・・ホセ・マルティ。フェデル・カストロ。チェ ゲバラの言葉
「これらキューバの英雄が我らの祖国をすべての人類のために偉大な国とするために闘ったことを象徴している」
「われわれはさまざまに感じることのできる人間という強力な武器を発見した。革命成功の時キューバの医師6000人のうち半分の3000人が国外に亡命してしまったが、その後医師の養成の結果これまで26000人のキューバ人医師は犠牲と連帯精神に基づき世界各地で国際的な役割を果たしてきた」
「祖国を愛することが出来ずアメリカに去りたい者去ればいい」「革命の課題と社会主義の建設は完全な自由な意思を持った人々によって成しとげられる」
「人々はキューバに変化の必要性をいう。しかし最大の変革はキューバが存在し続けたこと、抵抗し続けることができたことであり「変化」が必要なのは嫌悪すべきで現在の世界秩序ではない」
「キューバとキューバ国民は全世界を祖国と考える。国際連帯精神に生きる限りにおいて存在価値を有する」「人間が考えうるもっとも公正で人間の尊厳認める社会はキューバ社会主義である」
バーフロリダのはす向かい側で元気いっぱい「日本食堂」を開いている大阪のおかみさん。地元の人たちや観光客も食べに来ている。かつ丼、ラーメンなどメニューもいっぱい
2019日7月9日火曜 くもり
帰国の日。民宿を11時30分、宿の親父さんと奥さんも見送りにハバナ空港まで来てくれた。タクシーは宿に出入りしている仲間の人。お世話になりました。15:05分発メキシコ行・・17時10分着・・・メキシコで乗り継ぎ、、、夜中1:45分日本行き成田空港には時間待ちなのだろう上空でぐるぐるまわって11日朝6:02一番機で降りたった。いやーメキシコ経ってからノンストップ14時間座りっぱなしはきつかった。せいぜい4時間か5時間が自分にとっては限界かな・・。
スカイライナーはまだ運転していなかった、快速電車など乗り継いで自宅に着いたのは9時過ぎていた。ビール飲んで食事して起きてみたら4時だった、疲れていたのだ。
あした12日から14日まで原宿・竹下通り「海外ツーリング・フェスタ」。15日東京教育会館で「オートバイ地球ひとり旅・17年」の講演会。身体はもつかなぁー。
中米で目に着いたのは「車いすでの移動」する人たちが多かったなー。ドミニカでも。ジャマイカでも、ここはキューバ空港
メキシコから日本までノンストップ14時間はきつかったなぁーこれはメキシコ上空