オートバイ地球ひとり旅・19年・140ヵ国・39万㎞・バイクの松尾

2000年10月~2019年9月・56才~75才まで19年。越えた国境238カ所・赤道直下4ヶ所走破

オートバイひとり旅・世界走行中・東南アジアの旅終わりました

2017年10月16日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
2017年10月4日から10月15日まで

東南アジアの旅・最後ブータンの国でとりあえずお終いにしました。















10月4日 水曜

ブータンの旅についてネパールの旅行会社をまわって見た。

一軒目18万円…二軒目15万円…三軒目13万円が出てきた。


おおよし、これならなんとか行けそうだな。三泊四日…

飛行機往復運賃、ブータンビザ代、ホテル代、食事代三食

送り迎えと観光地の車での移動代、すべて込み込み…


いまを逃したら行けないかもしれない…思い切ってブータンに

行くことにした。


前回お世話になったネパールの人たちが14年ぶりなのだが

覚えてくれていたのだろうパーッと集まってくれて

うれしかった。



夜は通訳のカジさん宅でごちそうになった。

カジさん宅は14年前工事中だったが今5階建てだけのビルになっていた。




















10月5日 木曜

オートバイ屋を開いて忙しそうな前回もお世話になった

キリンさん宅でご馳走になる。

お店には前回オートバイで来た時の写真を3mぐらいに

大きく伸ばしてお店に飾ってくれていた。


この日も前回ツーリングに行った仲間がわざわざ夫婦で

4キロも歩いて会いに来てくれた。ありがとうございます。



当時5,6歳だった子供さんは20歳を過ぎていた・・





10月6日 金曜

タメール地区中心にある旅行会社13時にブータンビザ、

飛行機のチケットが出来上がる。




10月7日 土曜 はれ

ブータン行きカトマンズ空港15:15分発エベレストらしき

白峰も遠くにでてきた。

1時間でブータンに着いた。


空港では車で出迎えに来てくれている

通訳のタワさんと運転手のジミさん


車で1時間半以上かかった街につく。

ビール「1100」がうまい。


















10月8日 日曜 くもり 一時雨 くもり

ホテルを9時に出る、テンプル、テンプルときのうから

通訳ガイドは話していた。


12時前に昼飯…テンプル・パロ市内を観光…14時過ぎに

ホテルに戻る。


ホテルでネットの設定…ドライバーのジミさん、通訳のタワさん

二人に写真の取込みを手伝ってもらった。




二人にはわたしなど足元にも及ばない…ネットには詳しいようだ。

おかげさまで写真お取込みはできた。




18時から晩飯…ブータンには4種類のビールがあるらしい。

11000…(ワンワンタウゼントとガイドは話していた)はうまかった。

レッドパンダは好きでない味だ。




あしたは岩山にあるタクツァン寺…トレッキング往復、ガイドは

9時間ぐらいかかると話してた。




10月9日 月曜

夕べは日本を出て半年間本格的に歩いていないので、岩山登りに

不安を持ちながら床についた。きつかったら途中まででもよし…。




以後の通訳ガイドのタワさんとドライバー、ジミさん、9時に車でホテルに

迎えに来た。


岩山にあるタクツァン寺まで9時間かかると言っておきながら

9時に出発では戻ってくるのに暗くなるんじゃないの…


ホテルに日本人女性が泊まっていて、「タクツァン寺まで登って

来た、わたしは途中までだったが友達は4時間ぐらいだった」

と話してくれた…




そこから想像すると9時間はかからないなぁ。




タクツァン寺のあるふもとまで30分。登りはじめたのが9時半

沢山の観光客は登りはじめている。馬に乗って登る人もいる。




坂道に入った、木の根の張った道の狭い道が続く、頂上まで行った

馬が一頭、二頭…時には5・6頭まとまっておりて来た。




その都度通り過ぎるのを止まって待つ。インド人の太った女性は

馬に乗って登り出した…途中で馬が動かない。




おそらく重く感じて止まってしまったのだろう。やむなくおばさん

馬からおりて歩き出した。




ふもとは標高2300m頂上は3100mとガイドは話す。

「スロースロー」「ユックリ ユックリ」「ヤスベェージョゲン

ヤスベェジョゲン」英語、日本語、ブータン語でガイドと合唱し

ながら登って行く。




1時間で休憩地点に着いた。岩山にへばり着くようにお寺が

建てられている。観光客でごった返している。




トイレに駆け込んだあと紅茶で一服。さー頂上までなんとか

登れそうだ…11時になっている。




最後の最後一旦足がすくむ急峻な階段を降りて、滝の水がしぶき

を上げている。今度はお寺まで登り返す…タクツァン寺に着いた。




腹の調子が悪いのか、トイレに駆け込んだ。イヤー、これから

ひきかえして…歩けるのか。横になりたいほどぐったり。

きつかったー。13時になっている。




フーフの体で靴を脱いでお寺の中に入る。よくぞこんな岩山に

建てたものだ。1695年建てたとガイドの話。そんなには古く

ないなぁ。




お寺から出る時に女性たちはミルクティーをヤカンで振る舞って

くれている。あーっこれはいい、元気が出そうだ。お代わりして

頂いた。




疲れていた体がさっきよりなんとなく元気になった。よしこれで

戻れそうだ。列をなして登る人も帰る人は階段に連なっている。




中間の休憩所で紅茶でひと休み、「昼飯はいい」とことわった。

登るときはアルゼンチン、ウルグアイの南米の人たちと写真を撮る。

下るとき、ポルトガル、香港の女性、ブータンガイドさんで写真

撮った。




ふもとに降りたのが3時になっていた。久しぶりの登山に不安

もあったが、思った以上に歩くことができてよかった。




ドライバーが待っていてくれた、ガイドのタワさん、ドライバー

三人で記念写真。




夕食は6時からだとホテルのスタッフ。お湯を張れるお風呂に

ゆっくりつかった。気持ちがいい。思ったより足の疲れも今の所

出てない。





10月10日 火曜

ホテル6時出発…8:30発ネパールに戻る日だ。

4日間お世話してもらった通訳ガイド、タワさん、ドライバー

ジミさんにお礼にお金を渡した。




雨のブータンから上空に上ってみると晴れて来た…

来る時は午後だったが、今朝はハッキリとヒマラヤ山脈が見

て取れる。




7000mから8000m級の山が連なっている。確認することは


できないがエベレストもこの中にあるはずだ。



あーこんな雄大なヒマラヤ山脈をみれて、最高の気分だ。

ネパールホテル「Great wall」に10時に着いた。




ネパール旅行会社からお金を預かってブータン旅行会社に

渡したことを証明のサインしたもらった封筒をネパール

旅行社に届ける。




ホテルにそばにある刺繍屋さんにTシャツ 「JAPAN MATSUO」

「バイクの松尾」と刺繍してもらった。




以前毎日通っていた食堂に行ってみた。当時のおばさん達はいなかった。


お店は他の人にゆずったと離す、ネパールで事業している常連と

思われる日本人の人の話しだった。




粟(あわ)の実のお酒…ビア樽の小さい木の器に粟を入れて…お湯を

つぎ込んで、しばらく置いてからストローで呑む。




久しぶりになつかしい粟のお酒を味わった。




10月11日 水曜

きょうは日本へ帰る日、ネパール空港発夜11時30分と遅い。

ホテルにお金を足して…夕方まで部屋にいてもよいとの

承諾をオーナーにしてもらってた。




クアラルンプールで乗り換え、朝6時過ぎに着いて、ここ

でも夜中11時30分発なのだ。




この17時間余りの時間をどう、つぶして過ごすのか…

空港のロビーで横になって休める場所があればいいがなぁ。




お世話になったカジさんの弟アソコさんの鉄骨屋に「今日

帰るから」とあいさつに行った。




兄さんのカジさんはインドに通訳で出かけているのは、前から

聞いていた。



カジさん、オートバイ屋のキリンさん達にもよろしく伝えてほしい

と頼む。




アソコさんは「車で空港」まで送ってくれると話す。ありがたい

5時にホテルを出発。




小さいカトマンズ空港、ネパールから海外に出稼ぎに行く人たちで

ごったがえしている。




早めに空港にきたのはいちばん後ろの座席を取るためなのだ。

運がよければ三人分の座席で横になって朝方まで眠れる。




受付が始まった…「飛行機」を絵描いて「いちばん後ろ」に印をつけ

窓側のシートの予約を頼んだ。どこの空港でも同じ手法でシート

を予約している。



係官はわざわざ「こっちに来い」コンピュータの座席画面を見せ

ながら、ここで「いいか」親切にコンピュータの画面を見せながら、

シートを指定してくれた。ありがとう。




搭乗待ち合わせ室から直接歩いて飛行機に乗る。あいにく座席は

満杯で横になれるもくろみは外れた。




10月12日 木曜

ネパールを日付を越えて出発した。横になれる空席はない。

夜中1時を越えて機内食がでてきた。6時にクアラルンプール

空港到着。




空港内に横になれる椅子は結構あった…今夜も11時30分発

の深夜便。17時間の長い時間、安いホテルがあればそこで休もう。


ホテルは空港内にあった…なんと2万円の高級ホテル。




ホテルのスタッフが送り迎えしてくれる近くのホテルを紹介

してくれた。5500円わたしにすれば高いホテルだ。でもゆっくり

できるし、ネットもできる・・思い切って休むことにした。




夕方19時にホテルを出てクアラルンプール空港内で食事することに

した。23:30分いよいよ日本に帰る飛行機に乗る。いつものように

いちばん最後に飛行機に乗り込む。




一番後ろの座席のため、早く行っても機内でまたされるのだ。自分の

座席は二人が座っている今夜もダメだ。


一列四座席空いてる座席をみつけた。よし、きょうはついている。

朝方まで横になって日本に8時過ぎに到着。

自宅に無事についた、11時だった。


今回東南アジアの旅おかげさまで終了した。





10月14日 土曜

久しぶりに我が家に着いた雨の朝だった。

旅の荷物を少しづつ片づける。





10月15日 日曜

きょうは74歳の誕生日だった。メールではたくさんの

方からお祝いの言葉をいただいた。ありがたいことです。


20年前・・54才の時は、世界を走る決心はまだできてなかった。

走れるのはヨーロッパと北アメリカぐらいだろうなぁ‥・

ぐらいの気持ちだった。56才で退職。


10年前の64歳のときはアフリカ、ルワンダだった。

この時10年先74歳まで海外を走っているとは、まったく

予想もしていなかった。




今74歳になってしまった今日。世界大陸、最後のエリア

東南アジアの旅は終わった。




さて、74歳から次の10年後84歳はどうしてるのか…

64歳の時と同じようにまったく予想はつかない。




これまでのように目の前のできる事少しづつ乗り越えて

進むしかないだろうとと思う。




2000年10月から2017年10月まで17年間世界を走って来た。

(ホンダワルキューレ1500cc)


海外に出ると一年間ぐらい走って帰国している。だいたいこの


パターン。次の海外までの走る期間があるので、実際走った期間


は12年間ぐらいになるのかなぁ。




世界を訪問したのは130カ国。


オートバイで走った国は117カ国。


(レンタルバイクで走った国を含む)


陸路国境越え200ヶ所以上になった。


赤道直下4ヶ所。




北の最果てノルカップ(ノルウェイ)

アラスカ・ブルトベイ(アメリカ)




南の最果てアルゼンチン・ウシュアイア、

南アフリカ、喜望峰、アクラス岬




「あきらめない、投げださない」で走って来た。

いつの間にか世界をほぼ走り尽くすことができた。




「なんでも 少しづつ 少しづつ」わたしにとっては

これが一番の早道になった。




振りかえると自分でもよく走ってきたなぁと思う。


一方きょうは11時から嬉野「関東地区するさと吉田会」
に出席してきた。ふるさとから「女面浮立」のひとたちが
上京して披露してくれた。

いつもながら迫力ある踊りだった。
夫婦で上京していただいたので感謝申し上げたい。
ありがとうございました。

内輪に披露するだけではなくて本当は東京の人たちに
見てほしかったのではないかと思う。