考える×行動する

サラリーマン中小企業診断士が挑む日々の改善

技術者と営業マンの話

2012年10月31日 | 営業歩記
先日、技術者と一日同行した。

移動中に議論をしたのが、
「顧客が求める機器の仕様が出た時にどのように機種選定を行うか」について。

技術者曰はく
「顧客の求める機能を満たす、最も安価な機種」
を選択するとのことだ。

しかし技術者がコスト削減に集中し過ぎていないか?

本社工場では常に厳しいコストダウンが求められているのだろう。
技術者がコスト意識を持ってもらうことはありがたいことだったが、
反面、顧客目線の無さを露呈する結果となった。

顧客にとっての「最高」とは何か、
まずそれを一番に考える必要があるはずだ。

納入した設備は営業マン以上に語る。
いい設備が次の仕事を呼び込んでくる。

コストと品質は両輪であり、どちらも必要なことは間違いない。
しかし、エンジニアリングのレベルを高く保つのは技術者の使命ではないか。

日本の製造業の低迷の原因の一端を感じたような…


ここでも最も重要なことは自社の定義づけになる。
「我々はどのような会社であるか」
すなわち経営理念だ。

営業マン個人であっても自分の行動指針を持っておきたい。




何が、どうならば、どうするのか

2012年10月30日 | 日記
企業には様々な問題が存在するが避けては通れない問題がいくつかある。

現在の世の中におけるその一つとして、
「国際的な広い視野を持つこと」がそれにあたる。
特に我々製造業にとっては放置できない問題だ。

そんな訳で私も再びニイハオの国へ出向くかもしれない。

ところが…そのことが本日の題名だ。

企業経営者らリーダーは自身の戦略を描く際に、
あらかじめストーリーをイメージしておかねばならない。

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「何が、どうならば、どうするのか」
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「情報を集めろ!」とか
「判断の材料を持ってこい!」と言うからには、
そこまで掘り下げておく責任があるはずだ。

戦略とはそもそも「意志」。
原則としてGOであり、一定の条件を満たせば行う他に道はないはずである。

日々行われる自己の判断も同じである。
原則として「行う」しかない。「行う」ために考えているのだから。
そのために、どうしてもクリアしなくてはならない条件は、
そんなにいくつもないはずだ。

きちんと掘り下げて、きちんと詰めておく、
それが出来ないことは成功しない。
自分のやろうと思っていることで出来ていないことは、
そこから見直す必要がありそうだ。

それが出来なければ「やろうと思う」という「企画」を取り下げるべきだろう。

借りを返せた話

2012年10月28日 | 営業歩記
今年の6月に価格面で相当厳しい案件があった。
自社のメインの商品ではなかったので、
私は深追いせずに手を引こうとしていた。

ところが供給するメーカーの営業マンが、粘り強く協力してくれて、
結果受注に至った。
「大きな借りを作ったな」と感じるほどの仕入金額だった。

そして今回、借りを返すチャンスに恵まれた。
同社の商品を好条件で受注出来たのだ。

しかし、通常ではそんなことは難しい。
自分が営業マンとして受注していく中で、
「他の案件を埋め合わせられるほどに儲かる案件」など皆無だ。

競争が厳しくなったり、
担当者の独断で物事が決せられなくなったり、
「先のこと」についてはより不確定になっている。

だから、
「今回何とかしてもらって次の機会に…」とか
「今後、○○の計画があるし…」とかは、
プラスの情報として把握しておくのは良いが、
決して当てにしてはいけないのだ。

受注側であればそれは口約束に過ぎないし、
発注側であれば約束には程遠い「情報」でしかない。

赤字受注も止む無しという場合もある。
それでも受注の目的は明確にしていたい。

「やったという実績」で十分と思えないなら断るべきだ。

「案件ごとに完結させる」そういう意識が重要である。

「反対するなら代替案を出せ!」について

2012年10月25日 | 日記
「反対するなら代替案を出せ」
言われたり言ったりしたことはないか?
9月23日の記事にもあった
→59.代替案なしの反対は禁止する

一見、前向き志向で正しいと思われる言葉だが、
私にはどうもしっくりこない。


これは前提条件が「現行案が正しい」ということになっている。
しかしだ。
そもそも現行案は正しいか?
代替案云々を持ち出すことは、
現行案の正しさを議論したり検証したりする芽を摘んでいる。
そしていつしか代替案の「正しくなさ」が主題になり否定されて一件落着。
…議論の摩り替えだ


また、代替案無き者が反対することはいけないことか?
反対意見は代替案の有る無しに関わらず、
自由に受け入れる環境であるべきだ。
反対しづらい雰囲気では権力者への追従を招く。
独裁国家みたいだ。

なんとなく正論っぽい言葉で思考停止に陥るという失敗は多い。

正論ですら正しくなくなることもあるのです。
9月24日の記事を参照)

なんとなく評価を下げてしまうこと

2012年10月24日 | 日記
人が複数集まっているのが会社である。
そこには組織が自然と存在する。

世代交代を中心とする「引き際」や「組織の在り方」「役割」については頻繁に触れている。
どれも組織の問題だが、
身の回りには不完全な組織が実に多い。
組織の基本をいま一度見直したいと思い本日の記事にした。

CASE1 中途半端な引き継ぎの結果
担当者Aはシルバー雇用、担当者Bは若手社員。
先ごろBが正式担当者になったのだが、
顧客からのメールはA,Bへの連名で送られてくる。
回答が重複したり、A,Bどちらも回答していなかったり…

CASE2 上司の影響力が大き過ぎでは?
担当者Aから質問があり回答を要求された。
暫らく後、Aの上司Bから補足ですが…とより細かな質問や回答形式の指示が。
質問に正しく答えるための確認事項は誰にぶつければいい?
CCメールで送って「誰からも返信なし」にはならないか?

CASE3 対象の設備の担当者が複数いる
担当者Aから○○装置のメンテナンス見積依頼、
担当者Bから○○装置の改造見積依頼
それぞれに見積してしまっていいの?
誰が調整役をするの?

どれも「社内のコミュニケーション不足」と片付けられがちだ。
しかし、決してそうではない。
組織が正しく構成されていないことが問題なのだ。

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間違った「仕組み」を「運用」で補ってはならない
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そもそも担当窓口が曖昧であることはあってはならない。
責任の所在や意思決定など2重構造が混乱を招く。
更に人間関係や個人のプライドやメンツが絡まってくると…

正しい組織であること。簡単かつ重要なことである。