〈布引洋さんの助言への返事〉
布引洋さんから、次のようなコメントを戴いた。
「(前段略)ネオナチモドキに対して私達が甘すぎるのでは有りませんか? すき放題に発言させて何も批判しないでは、すまないのではないですか? 中国はA級戦犯合祀を問題にしていますが、私達日本人は明かな犯罪行為の実行者BC級戦犯に対して何も言わないのは問題では有りませんか? 日本人自身が戦争犯罪を真摯に考えないと、諸外国の理解と尊敬は得られない。最初から議論を拒否する態度のコメントは削除すべきでしょう。自分の部屋の掃除は住人の責任です」
戦争犯罪を真摯に考えなければ――というのは、むろん当然のことであると思う。それはさておき、ここでは「議論を拒否する態度のコメント」に関する私の基本的な姿勢を書いておく。
まず、布引さんに対する私の返事は――
【言われていることはわかります。確かに自分のブログのコメント欄は、きっちり掃除をするべきかも知れません(注※)。ただ、私は当面、「議論を拒否する態度のコメント」もそのまま置いておこうかと思います。最も大きな理由は、「そういうコメントがあった」ことを目に見える形で残しておくため、です。今後、たとえば「こういうコメントがあり……」と例を挙げる時、私が意図的にでっち上げたのではないという証拠になります】
注※「部屋の掃除」という言葉を、布引さんは「日本人は自分の国をきちんと掃除すべき」という意味で使われたのかも知れない。だが、コメント削除に関する文の後に続いているところから見て、「自分の部屋=自分が管理しているブログ」という意味にもとれる。一応、そちらの意味に解釈したということで書かせていただく。
〈TBの扱いについて〉
私は以前から、あまりコメントやTBの削除をしていない。ただ、TBについては「ここを訪れた方に、TBされているブログも是非覗いていただきたい」と思っているので、多少の整理はしている。たとえば二重に入っていた場合はむろん片方削除するし、私のブログの目的と異質なもの(営利を目的としたTBや、いわゆる18禁系のものなど。私はポルノグラフィーは嫌いではないし、エロ系のサイトもそれなりにおもしろいかも知れないとは思うが、異質であることは確か)も削除する。差別的な視点で書かれたものも、気がつけば削除する。
TB欄はいわば「皆さん、このブログも是非お読み下さい」という紹介でもあるので、私が「友人にお勧めする気のない」TBは削除して当然であると思う。表示される数には限りがあるのだし。(忙しくてTBされたエントリをきちんと読めないこともままあり、実のところ削除しそこねることもあるが、原則はそういうことである)
〈コメントの扱いについて〉
コメントは、私自身が「納得できる」ものであるか否かを問わず、原則として削除しない。正直なところサボっているだけという面もあるが、布引さんへの返事で書いたような気持ちがあることも確かである。親しい友達でもない相手をいきなり「おまえ」呼ばわりするコメントや「おかしいのはアンタの方だろ」「左翼のバカ共が……」といったコメントははっきり言って不快であるが、いろいろ考えた末、すべてそのままにしてある。かなり前に「罵倒のための罵倒」的なものを削除しようかと思ったこともあるが、その時もやはり削除しなかった。
たとえば、自分の家の塀に(私はマンション暮らしなので塀はないが)「日の丸を掲げないのは非国民だ。死ね」などと落書きされたとする。そのとき、すぐに消すという方法と、書かれたという事実を自分が忘れないために、そして通りがかる人達に見てもらって「こういう発言を、どう思われますか」と尋ねるために、あえて残しておくという方法があるだろう。後者を選んだ、ということである。
〈ただし今後のことはわからない〉
とは言っても、この姿勢は「今のところは」という但し書き付きである。もともと私のブログの場合、コメントはさほど多くないし、「議論を拒否する態度のコメント」はそのごく一部でしかない。だから「そのままに」しておけるのだとも言える。1つのエントリに対して40も50ものコメントが入るブログであれば、訪れた人達にコメント欄も読んでもらうためには、かなり整理せざるを得ないはずだ。また、「議論を拒否する態度のコメント」ばかりが多くなった場合も、削除するのが正解であろう。さもないと、真面目なコメントを書いていただきにくくなるから。
だから私も、コメント欄に「まともに議論する気がない」「単なる罵倒」のようなコメントが増えてきたら、あっさり姿勢を変えるつもりである。
〈コメントに対する批判ということ〉
布引さんのコメントには「好き放題に発言させて何も批判しないのはよくない」という言葉もあったわけで、それについては耳が痛い。確かに私は、「それは違うだろう」と思うコメントに対しても、あまり反論はしていない(時々はやるけれども)。これは確かによくないのだろう。削除しないならしないで、本当はひとつひとつ、きちっと反論・批判しなければいけないに違いない。
なぜ、あまり批判していないか。「多忙を理由に単にさぼっている」というのが一番大きいのだが、「何も言わずに、皆さんに見ていただこうか」という気持ちもある。私の答えはブログの記事で出そう、と。この点については、じっくりと考えてみたい。
◇◇◇◇
TBやコメントの扱いと絡めて、以前、「コミュニケーションのルール」という一文を書いた。コミュニケーションに対する私の基本的な考え方は、ここで述べている通りである。
幣ブログでもコメントについて取り上げようと思います。
ボチボチと・・・。
反論はすべきだと思う。
でも、削除するとか米欄削除とかやるアホブログよりは断然良いと思いますよ。
削除するよりも、曝したほうが色々と効果的ですから。
うちにはあまり強烈なコメントってこないんです。
まだ相手にされてないんでしょうね。
共感しましたという改憲派の方がいらっしゃいましたが...どこに共感されたのやら。
ある左翼系のブログの記事に、「文化や歴史や環境を護るために、一番懸命になるのは、実は共産党」「“保守”が国を護る?そんなの、ウソに決まってんだろ!連中にそんな気はないよ」等と書いて有ったので私が「日本で一番愛国的で保守的な政党が共産党であろう」とコメントをしたら、
『一方的な評価を下すという思考は、ボクにはまるで理解できません』
保守党=共産党の表現が気に食わないのでしょうが,これは彼の主張していたもので正に理解できない態度。ボクにはまるで理解できません。
右であれ左であれ、自分の間違いや思考の欠陥、抜けている事実を指摘してくれる人には、多少口調が汚くても感謝、感謝ですが、小児的罵詈暴言には無視か削除。相手にするのは大人気ない。
上のコメントで、布引さんが例にあげられたブログは、どうもボクのモノのようですので、ちょっと横から失礼します。
布引さんにコメントいただいた記事は、西尾幹二氏の著作に関するもので、たしかに次のような回答をしました。
>為政者が何かを為そうとするには信条が必要だと思いますが、その人物のやったことではなく、考え方によって評価(それも一方的な)を下すという思考は、ボクにはまるで理解できません。
この為政者は政治家や官僚のコトであって、行動や実績を評価する前に、その思想信条で正邪を判断して「ヤツ(小泉首相のコト)はサヨク的だから悪い!」という発言をした西尾氏を、理解できないと批判したものです。
>発掘屋様の指摘が正しいとすると共産党は保守政党ですよ。
また布引さんのこの指摘はボクも正しいと思っていますので、別に共産党が保守的だと云われたことに対して、異論はありません。
この時、布引さんからいただいたコメントは、実際ボクの思っているトコロによく似ていると思っています。
2度目にいただいたコメントを読んで、何か誤解をまねくようなコトを云ったのだろうかと、コメントを返そうと思っているうちに、ばたばたと書きたい記事をつづけて書いたもので、その後、すっかり失念していました。
実際、華氏さんの記事のコメント読まなかったら、気がつかないトコロでした。
言葉が足りずに、誤解をあたえてしまったようですので、申し訳ありません。
私の場合はどちらかというと「教育的な効果」を重視します。つまり,建設的な提案があれば,それに対してコメントをする,が一番。ただし,単純に暴論や悪口雑言を吹っ掛けてくるコメントやトラックバックは有害指定(無視)として削除,が二番。そして,記事内容に関係ないコメントやトラックバックは理由をコメント欄に書いて保留処分,を三番という順番で処理しています。(実際,無視され続けている人もいますけどね,ここに(笑))
その辺,かなり機械的に処理していますので,相手の感情を考えず実行させて頂いています。つまり,要らない奴は徹底的に殲滅し粛正する,というのが,高校時代からの私の基本姿勢です。
だから左翼がいつまでたってもスターリンとか毛沢東とかと同じ風に見られてるって気づけよw
簡単な話、自分の理論にそぐわない相手は消すという言論弾圧だろ。
それでいて左翼は国に言論弾圧されてるってかw
別に俺は無視されても構わんし、削除されても構わん。
その行程を見ている人がどう思うかだし、削除とかアホなことやってくれた方が寧ろ好都合だなw
師匠の書く文章には若干意味があいまいなところがございましたので、わざわざ翻訳させていただきました。スペースをお取りして申し訳ございません。