華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

「平易な表現」には品性が露出する

2006-02-03 23:55:51 | 本の話/言葉の問題
「麻生太郎様――あなたはパシリになりたかったのですね」という昨日のエントリに、複数の方からコメントいただいた。本当にありがとうございます(内心、こういうこと書いてもしょーがないんだよなー、そろそろやめようかなあなどと思っている「その他大勢ブロガー」にとって、コメントやTBいただけるのはとても励みになるのだ。さらに何か考えていく上で貴重な手がかりになるし)。

それを読ませていただきながら、ふと思ったのだが――どうやら、ヒトは「わかりやすい言葉」を使うときに、そのヒトの品性が露出するらしい。何日か前に、「平易な表現ということ」という記事を載せた。そのときにはほとんど意識していなかったのだが、難しい文章は、使われている単語の難しさや華麗な表現ゆえに、読む方はつい「ははーっ」という感じになってしまう〈難易な文章が悪い、と言っているわけではない。主題によって、どうしても難解になってしまうことはあり得るのである――言わずもがなですが、念のため〉。

ただ、「日常語で書かれた平易な文章」は、わかりやすいがゆえに――繰り返しになるけれども「語り手の品性」があざやかに現れる〈私も注意しよう……〉。麻生センセイも難解な言葉を使い、古今東西の政治学者やら経済学者やら哲学者やらの著書でも山のように引用し、「何言ってるのかさっぱりわからん」言い方をすれば、ここまで「何だ、こいつ」と思われなくてすんだかも知れない。ご愁傷さま、である。

コメント (4)
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