言の葉収集

思ったこと、感じたこと、出逢ったこと
いろいろ気ままに書きたいと思っています。

ポスト・イット

2006-06-30 17:37:26 | Weblog
最近、新しい取引先の本やパンフなどが増えた。
どこに書いてあるのか探すのも大変だ。ついさっき見たページを探すのも一苦労する。
こんな時ポスト・イットが重宝する。何度でもはがして使える小さなしおりだ。今はカラーも豊富だし、透明のタイプも使い勝手がいい。

ところでこのポスト・イット。実は「おちこぼれ」だったというのだ。
「おちこぼれ」というのは、接着材としての事。
何度やってもはがれてしまうその接着剤は「失格」の烙印を押されていたのである。
しかしその致命的な欠点が生かせる居場所があった。
「何度でもはがれる」ことは「何度でも使える」ということ。短所がすごい長所になった。
ここに目をつけた人が素晴らしい。こうしてポスト・イットは輝きを得る。

人間でも同じだ。
何度も挫折した人は、何度も立ち上がった人。
きっとその特性を生かせる真の場所がある。

接客サービス

2006-06-29 20:43:46 | Weblog
閉店間際のお蕎麦屋さんに、のれんをくぐってやってくるお客さん。
「もう終わり?」と入ってくるのは関東の人、
「まだやってる?」と入ってくるのは関西の人が多いと聞いたことがある。

良く言えば、関東の人は慎ましく、関西の人はポジティブと言ったところか。
個人的にはどちらでもいいと思うのだが、店の人にとってはどっちの方が感じがいいのだろう?

どっちの言葉に対しても、こんな時間にもかかわらず「いらっしゃい!」と大きな声と笑顔で迎えられたら、きっと普段より美味しく食べられるのだろうなあ。
反対に小声での「いらっしゃい」と、壁の時計なんかをチラリと見られた日には、カチャカチャと食器を洗うBGMの中、すする蕎麦は味さえ分からないだろう。

話は変わるが、もう随分前に商工会のセミナーで、接客についてこんな事を聞いたことがある。
ある家族連れが店にやってきて、一人のこどもがハナを垂らしている。
それを見つけた店員のあなたはどうするか?

1ティッシュを取り出し、サッとふいてあげる。
2さりげなくティッシュをお母さんに渡す。
3何もしない。

1と2は、相手によって「よけいなお世話よ!」「何、汚いとでも言うの!」などと反感を買う恐れがある。
3は失礼にあたるからその領分にまでは入っていかないという判断だ。

その講師の方曰く、「1と2が正解です。3だけはだめ、3からは何も生まれません。その店もあなたも他の店と同じ普通で終わるのです。リスクを背負ってでも行動を起こすべきです。アクションを起こさないと何も始まりません」

うーん、確かに。でも勇気がいりそうだ。今時のお母さん怖いからなあ。いやいやアクション、アクション。

自動車運搬船

2006-06-28 21:12:02 | 出来事
こどもの頃、お盆になると近くの湾の中に、大きな自動車運搬船が入って来た。
僕らはその船をタンカーと呼んでいた。(タンカーではないのだが…)
地元企業の所有する船が、乗組員の盆休みの為入港してくるのだ。
その船をいつも心待ちにしていた。それは盆休みの間、その船で遊べるからなのだ。

乗組員の人が運転する小さなボートに乗せてもらい、何人もの小学生がその船へと向かう。
大きな船体には、いつも積まれているであろう自動車は1台もなく、屋根付きの巨大な空き地が僕らを迎えてくれる。
かくれんぼやかけっこ、そして何よりも船内の探検が楽しみだった。

思えば、あれは大人が好意で子供たちに遊ぶ場所を提供し、社会勉強をさせてくれていたに他ならない。
笑顔で送り迎えしてくれるおじさんは、普段は会えない家族との貴重な時間を割いて僕達を運んでくれたのだ。
もちろんその中におじさんのこどもがいたのかもしれない。だけどあれは、地域が、大人が、こどもを育んでいた時代の象徴だったのかも…
なんて言うと大げさかもしれないが、当たり前のやさしさや、当たり前の包容力があの頃の大人達にはあった。

いい大人になった自分は、こども達に今何をしてやれているのだろう。
やれあんな遊びは危険だとか、やれ今時のこどもは、とか、文句や否定ばかりしている。

今のこどもが僕らと同じくらいの年になった時、何を思い出すのだろう…

「面倒くさい」はいい匂い。

2006-06-27 19:21:16 | 言の葉
「面倒くさい」ついつい使ってしまうマイナスの言の葉。
だけど、この「面倒くさい」を解消するのがその道のプロなのだ。

料理を作るのが面倒くさい。→飲食店へ。
車を洗うのが面倒くさい。→ガソリンスタンドへ。
買い物に行くのが面倒くさい。→インターネットショッピングへ。

そう、他人の「面倒くさい」はプロ達には、いい匂いなのだ。
プロはそれを一生懸命になってその「くさい」を請け負う。
だから一流と言われるその仕事のプロは、決して自分の仕事に面倒くさいとは言わない。
言ったら終わりだということを知っている。
大繁盛店のラーメン屋の店主は、スープを1日かけて煮込むことを、「面倒くさい」とは言わないのだ。
他人の「面倒くさい」に対して、プロは日夜努力している。その嗅覚を研ぎ澄まして。

なんてことを思う蒸し暑い夏の1日。

ブログを書くのが「面倒くさい」?
この道のプロじゃないからいいのです。

カホン

2006-06-26 17:49:45 | 出来事
昨日ノーバディのアコースティックライヴの事を書いたが、
その映像と音にちょっと驚いたことがあった。
ノーバディのふたりがマーティンのD28を渋く弾いているのには当然シビレたが、
初めて見るパーカッションに目と耳を奪われた。いい音だ。
スネアドラムに近いような中音のいい感じのアクセントを刻んでいた。
楽器の名はカホンといい、早速ネットでいろいろ調べてみた。
そして分かったこと。

○ペルーの楽器だということ。
○ペルーの黒人音楽から生まれたということ。
○フラメンコなどに使われているとのこと。
○日本でも結構扱っている店があるということ。などなど…

いやいや世界は広いし、音楽も広い。こんな面白い楽器があったとは。
ただそこに置かれていたら、ゴミ箱と間違うだろうけど…

ちなみに音楽とは音を楽しむと書く。
学校で習っているのはどうも「音学」っぽい。

カホンの販売とサンプル音

復活!ノーバディ

2006-06-25 16:30:47 | 出来事
昨日、久々にNOBODYのホームページを覗いたら、
アコースティックライヴのリハ映像なるものがアップされていた。
何年か振りに見る二人の姿は、白髪も粋で、一段と渋くなっていた。

20代前半に衝動買いした1枚目のレコードから虜になり、それから出た全てのアルバムを買い、名古屋でのライヴも2度観にいった。愛知厚生年金会館とボトムライン(ライヴハウス)だ。
このボトムラインでのライヴは良かった。臨場感があり、かなり近い距離からステージを観ることができた。

最後のオリジナルアルバムが出てからもう12年、またあの頃の曲を演奏する二人を見れるとは…
昔バンドを一緒にやっていた友人とは、「『アコースティックヴァージョン』とかで復活してくれないかなあ」などと話していたのだが、
それが現実のものとなったのが嬉しい。リハと書いてあるところをみると本番があるのだろうか?。もしそうだとすると、おじさんの楽しみがひとつ出来たことになる。(笑)

あの頃の匂いが甦ってきた。露出が少ないということは「貴重」だということに今更ながら気がついた。
久々に音楽で血が騒いだ。細胞が若くなったような気がした。

I'm Nobody

人は口ぐせで成功する

2006-06-24 16:31:24 | 言の葉
人は口ぐせで成功するを読んだ。
大変プラス思考の本で、読んでいて非常にタメになった。
いろいろな著名人や一般人の方の「成功と口ぐせの法則」を、例を用いて綴っている。
印象に残ったフレーズがたくさんあったが、中でも自己暗示について書かれている件が強く残った。

この章では、誘導自己暗示の世界的な権威である、フランスの医学者エミール・クーエ氏が自己暗示に関して立てた法則が紹介されている。

法則1 意志と想像力が争えば、必ず想像力が勝つ
法則2 意志と想像力が一致すれば、その力は和でなく積である
法則3 想像力は誘導が可能である

つまり、優勝し表彰台に上がって手を振る自分の姿。
大好きな人と、教会で一緒に皆から祝福される姿。
独立して自分のオフィスで仕事をしている姿。など、
具体的に自分の成功するイメージを想像することが成功の要因だという。

意志など強くなくてもいい、想像力は意志に勝るのだから。
なんとも心強い言葉だ。

夏至過ぎて…

2006-06-23 16:58:41 | 言の葉
気がつけばもう夏至を過ぎている。
おとといの6月21日がそうだった。
当然の事だが、昨日から少しずつ陽が短くなっている。目に見えて分かることはないが…
子供の頃からなんだか淋しく感じる「区切り」であった。
丁度、観覧車に乗っていて、頂上を過ぎ、下りに入ったような感じだ。

しかし、また半年後には冬至を迎えるのだ。
潮に満ち引きがあるように、自然は立ち止まらずに常に動いている。
ずっとその場所にいることはないのだ。

まわる まわるよ 時代はまわる 喜び悲しみ 繰り返し 
今日は別れた恋人たちも 生まれ変わって巡り会うよ

中島みゆき 「時代」より

生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ そうさ生きてりゃいいのさ 
喜びも悲しみも立ち止まりはしない めぐりめぐっていくのさ 
掌を合わせよう ほらぬくもりが 君の胸に届くだろう

河島英五 「生きてりゃいいさ」より


こんな歌を思い出した今年の夏至のおとずれ。

曇り空の下

2006-06-22 16:29:47 | 出来事
昨日は、本屋さんで久々の文庫本購入。
感想はまた後日ということで…

買ったのに読んでない本もあり、読みたいのはやまやまなのだが、
なんやかんやで最近はご無沙汰だ。まあ読む気がないということか。
今月の目標である4冊はキツいかもしれない…
もっと時間があると思ったのだが、いや実際あるのだが…
他にやることも多いのも事実。

さあ、自分の「梅雨明け」はもう間近。
ひまわりのように明るい方へ、明るい方へ。

遠山の金さんのテーマ

2006-06-21 17:21:31 | 出来事
先日、父の日のブログを見てくれた同年代の知人からメールが届く。

いいねー!父親の事、思い出すと今でも涙が出ますわ…

そのあと電話で話をした。
聞くと彼の父親は単身赴任で、家族とは別のところに住んでいた。子供の頃、彼は週末に帰ってくる大好きな父親を心待ちにしていた。
一緒に過ごす時間はあっという間で、すぐに悲しい日曜の夜を迎える。
父が出発するのは朝早くなので、彼は見送りをするために、日曜の夜は早く寝ることになっていた。
布団に入る時に、テレビから流れてくるのは「遠山の金さん」のテーマ曲だった。毎回就寝の時間にはあの曲が流れてくる。
今でもあの曲を聴くとあの頃を思い出し、胸が締めつけられると言っていた。

月曜の朝、早く起きた彼は、自転車に乗って父の運転する自動車を追いかける。
父も子どもが追いつけるスピードで、しばらくは走ってくれる。
もうこれ以上ついてくると、帰りが心配になるという地点にさしかかると、父はアクセルを踏む。
あの時は父もつらかっただろうな…と彼。

3年前、彼の父親はもう二度と戻って来れないところへ旅立った。
あの時と同じように、彼には見送ることしか出来なかった。

彼があんなに家族思いなのは、そんな経験があったからなのか。
家族のためにも身体、大事にね。