言葉の旅人

「視る聴く話す」は人の精神活動の中枢。これに流れる時を重ね、旅をする。

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「大和言葉」は本当に優しいか?

2016年12月13日 | Weblog
 本日12月13日日経朝刊の社会面、「解を探しに-大和言葉に魅せられて」を読んで奇妙な違和感を感じた。
 それに依ると、例えば、想像する(漢語由来)-イメージする(カタカナ語)ではなく、思いをはせるといった大和言葉という先輩格の言い回しは独特の柔らかい響きが特徴だとある。

 先年出版された「日本の大和言葉を美しく話す こころが通じる和の表現」が27万部のベストセラーになったそうだ。
 編集を担当した35歳の女性は“やさしさや情感をすくい上げる言葉を紹介したかった”という、とある。
 中年男性から“妻に話し方がきついと言われて読んでみた”という手紙が届いたという、ことでもある。*そういう事なら、妻の方がきついと思うのは僕が弱々しいせいなのかと、ついあらぬ方に向かってしまいそうである。

 伝統的な言葉を学ぶことで文化論や社会論につなぐこともできる、そうだ。
 大和言葉から日本思想を探る講座を開いた中央大学の講師の紹介から、記事はその後「ら抜き言葉」などへと続く。

 記事の題目の“芯”が何処かに行ってしまったようなのだ。“魅せられ”ないまま記述は終わる。だから、違和感を感じたのではない。
 魅せられるのは優しいからと言いたいらしい。
 彼らには気の毒だが、思わず失笑してしまった。

 冗談ではない。日本語の生成過程に於いてどのような現象が起こったのか、理解以前に知識がないらしいのだ。

 言語は簡単に言えば、音声とそれを表記するために後から出来た(意図して作られたのもあるが)文字がある(勿論今に至るも無いものもあるが)。

 してみると、我らが日本語はどうなのか?
 
 と、待てよ。いかんなぁ、膨大な論になりそうだし、そんな力は無いし。

 手を置きたいので、結論。

 原始古代に生じて来た日本語は、その途中段階に於いて、遙かに古くから鍛えられてきた漢語文化の波を被る事になった為に、歯がゆいほどの曖昧な溶け込みを遂げてしまったのだ。

 まことに残念なのだ。独自の発達を遂げていたらどんな言語となっていたろうかという想像に任せる以外に無い。

 ちまたには日本語の何とかと言う題名の書籍が多数溢れる。
 中味を見て下さい。 
 大抵のそれは漢字の事なのだ。

 後日に続けることにしましょう。
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