縄文博物館 2007年01月18日 | Weblog 生活というものの基本は食べることである。 生きることの中心は食事であることは言うまでもない。 このように飯を炊くという原型が確立されている。 日本人としてご飯を与えてくれた祖先に感謝である。
縄文博物館 2007年01月17日 | Weblog 既に定着農耕生活も営んでいたという証拠。 立派に畑作を営んでいたという生な道具。 鉄と違って、木製だと土を掘り起こしにくい。 けれども生きる為の全ての知恵と労力とを注ぎ込む姿がそこにある。
縄文博物館 2007年01月10日 | Weblog 人々の暮らしはかなりな程度に厳しいまでも、人の階級という忌まわしい制度は無かったという一点を見れば、生きるという事に全力を傾ける事が出来た幸福な時代であったと言えるのではないか。 貧富の差が小さければ小さいほど他人との違いを意識することもなく、心を充たすものは日々の暮らしの中に見いだす筈だからである。
縄文博物館 2007年01月09日 | Weblog 見た瞬間に頬が緩んできそうな土偶である。 この様な造形というのは、人間が持つ共通した感性の発露であるといえるだろう。 それにしても、時の隔たりとは如何にも薄い。すぐ近い過去に過ぎないのではないか!!
縄文博物館 2007年01月07日 | Weblog 今年に入ってからの記事として眼にした。真珠の稚貝を福岡県の相島で国産のに戻すのだと言うことらしい。 以前の凄いこと倒産のラッシュを引き起こした大量の稚貝の死滅からハイブリッド種に変わって久しい。 これはそんな人工の手を経ることなく偶然の産物としての恵みであったことは確かである。 去年の始めの旅でニューカレドニアに行き、黒真珠をしこたま買い込んでからは少々は真珠を見る目が変わったのは確かである。 それにしても天然の造化の産物は素晴らしい贈り物をしてくれるものである。
縄文博物館 2007年01月05日 | Weblog 稲作を必要としなかった時代。 季節に応じて、取れる作物や採れる実り。獲れる獲物。 自然に脅かされながらも、搾取無き世界が有ったのは確かである。 今に比べるとそれが一番の羨ましい生活と思える。 弥生時代に稲作が入って貧富の差が出来始め、支配と被支配が始まった。 人間というのは、社会を構成するにも理想というのは平和でさえあればで最低限の保障とする存在となってしまったかのようである。
縄文博物館 2007年01月04日 | Weblog これが赤色漆を使った「櫛」である。 縄文ファッションでの最大の華やかさを演出すると言っても過言ではない。 日常の「ケ」から「ハレ」の舞台を演出するのには欠かすことが出来ない道具なのである。 飾るという行為の人間的な特徴を象徴的に示しているものでもある。