とすれば、近代とは何かという事になるのだが、今此処で触れる主題ではないので又の機会に譲るとして、一言で言えば”フランス革命”とかのたぐいの事だと承知されたい。
日本で言えば”明治維新”なのだ。
中国では孫文による”辛亥革命”を経て、国民・国家の成立を迎える事になる。
その近代以前での様子は、古典の教科書を見れば直ぐに分かる事あのだが、記紀万葉から始まって井原西鶴と江戸時代までやって来ると、比較的ではあるのだがそれなりに現代語に近くなっていると感じられるだろうと思う。
作者という書き手は、読者という読み手が有って初めて成立するのだから、有閑貴族層対象から広範な庶民大衆層への拡がりを理解できるだろう。
が、その中にあっても擬古文為るものが存在し、現在に至っても文語文と口語文の区別があるというのは、一方ではその名残でもあるのだ。
「三層構造の言語文化」と呼ばれるもので、日本で言えば、公家・寺社・学者などの上流知識階級、武家百姓町人上層などの中流実務階級、それより下と意識されていた下層階級間では言語が違っていたのである。
「解体新書」(1774)を著した一人の杉田玄白は純正の漢文で書いているのだ。
これは外国でも同じで、例えば英国の科学者ニュートン「プリンキピア」はもう当然お分かりのようにラテン語で書かれてあると言った具合なのだ。
漢文・ラテン語と同じものとしては、梵語・古典アラビア語・古典チベット語などなどと何処にでも存在している。いわゆる「純正文語」と呼ばれるものである。
中流のは「変体文語」と呼ばれる。文字の読み書きが出来ないのを「無筆」と呼ぶのだ。これはあまりに酷な表現ではないかと思うのだが、悔しい事ながら過去の事実は訂正が効かない。
ま、こういった経過を経て来てる結果、世界が狭くなってきて国家という枠が設定されると国内という単位での言語の混乱は避けなければならないと考えるのは自然の成り行きである。
その為の学校教育が「学制改革」として頻繁に繰り返される明治初期の混乱はその試行錯誤の表れなのだ。
歴史的な不幸はその道筋の問題として存在する事になるのだが、明治という時代を迎えた”国家としての日本”は少なくとも侵略される事だけは避けなければならない絶対命題として目の前に突き付けられる形を持って提示されていたのだ。
と言う意味からも「奇兵隊」は非常事態ではあるが、その後の国家の基本的な国民皆兵への道と曲折はありながらも繋がっていたのである。
言語に戻ろう。
とすれば、統一した言語を持たなければ学校教育は成り立たない。「無筆」が一種の悪として劣位の階級なのだという植え付けから蔭の部分を作るという矛盾含みで「国語教育」が開始されたのである。
従って、自由部分を認めつつも「標準語」が作られた。それ以外は標準ではないという「方言」の劣位化だ。東京山の手の中流言語を”一応の基準”とした事の結果である。
そういった事の延長線上として、時々Tvを見ていて思うのだ。メキシコ以南に位置する国々の人達が話しているスペイン語・ポルトガル語。自前の言語を失う事は民族の歴史も文化も全て失う事なのだと。根っこの喪失・断絶である。
漢文については「近代と外来語」と言う深い深い関係にあるのだが、これ叉別の機会に。
日本で言えば”明治維新”なのだ。
中国では孫文による”辛亥革命”を経て、国民・国家の成立を迎える事になる。
その近代以前での様子は、古典の教科書を見れば直ぐに分かる事あのだが、記紀万葉から始まって井原西鶴と江戸時代までやって来ると、比較的ではあるのだがそれなりに現代語に近くなっていると感じられるだろうと思う。
作者という書き手は、読者という読み手が有って初めて成立するのだから、有閑貴族層対象から広範な庶民大衆層への拡がりを理解できるだろう。
が、その中にあっても擬古文為るものが存在し、現在に至っても文語文と口語文の区別があるというのは、一方ではその名残でもあるのだ。
「三層構造の言語文化」と呼ばれるもので、日本で言えば、公家・寺社・学者などの上流知識階級、武家百姓町人上層などの中流実務階級、それより下と意識されていた下層階級間では言語が違っていたのである。
「解体新書」(1774)を著した一人の杉田玄白は純正の漢文で書いているのだ。
これは外国でも同じで、例えば英国の科学者ニュートン「プリンキピア」はもう当然お分かりのようにラテン語で書かれてあると言った具合なのだ。
漢文・ラテン語と同じものとしては、梵語・古典アラビア語・古典チベット語などなどと何処にでも存在している。いわゆる「純正文語」と呼ばれるものである。
中流のは「変体文語」と呼ばれる。文字の読み書きが出来ないのを「無筆」と呼ぶのだ。これはあまりに酷な表現ではないかと思うのだが、悔しい事ながら過去の事実は訂正が効かない。
ま、こういった経過を経て来てる結果、世界が狭くなってきて国家という枠が設定されると国内という単位での言語の混乱は避けなければならないと考えるのは自然の成り行きである。
その為の学校教育が「学制改革」として頻繁に繰り返される明治初期の混乱はその試行錯誤の表れなのだ。
歴史的な不幸はその道筋の問題として存在する事になるのだが、明治という時代を迎えた”国家としての日本”は少なくとも侵略される事だけは避けなければならない絶対命題として目の前に突き付けられる形を持って提示されていたのだ。
と言う意味からも「奇兵隊」は非常事態ではあるが、その後の国家の基本的な国民皆兵への道と曲折はありながらも繋がっていたのである。
言語に戻ろう。
とすれば、統一した言語を持たなければ学校教育は成り立たない。「無筆」が一種の悪として劣位の階級なのだという植え付けから蔭の部分を作るという矛盾含みで「国語教育」が開始されたのである。
従って、自由部分を認めつつも「標準語」が作られた。それ以外は標準ではないという「方言」の劣位化だ。東京山の手の中流言語を”一応の基準”とした事の結果である。
そういった事の延長線上として、時々Tvを見ていて思うのだ。メキシコ以南に位置する国々の人達が話しているスペイン語・ポルトガル語。自前の言語を失う事は民族の歴史も文化も全て失う事なのだと。根っこの喪失・断絶である。
漢文については「近代と外来語」と言う深い深い関係にあるのだが、これ叉別の機会に。