偶々なのだが、司馬遼太郎「風塵抄」の一文に触れて思い出した先輩なのだ。
彼のペンネームに「遼」とある。
なぜ「遼」なのかと尋ねた時に、司馬遼太郎先輩(彼も又、古い先輩に当たる)の一字を拝借したのだと答えたのだ。
やはり憧れがあるのだと強く感じた。
司馬先輩が、単に有名であるという事では無く、無駄を省いてスッキリした力強く人を自然に説き伏せ納得させるという、あの文章は憧れられてとうぜんではないか。
が、しかし、蒙古語科と朝鮮語科、アジアの一隅にある語科同士という感覚は、少数民族感覚と言うには場違いながらも、説明しがたい共通心情が共にあるというものだろう。
アメリカ公文書館に通い詰めて、朝鮮戦争の発端が人民共和国軍の南進にあると結論づけた“勇気”は讃えられるべき彼の功績と今更に思う。
教条主義的なあの思想や全体主義的体制は、とても受け入れられるものでは無いが、そこにあって批判的に愛するという彼の姿勢を忘れることは出来ない。
人として見事と、時に思う。
彼のペンネームに「遼」とある。
なぜ「遼」なのかと尋ねた時に、司馬遼太郎先輩(彼も又、古い先輩に当たる)の一字を拝借したのだと答えたのだ。
やはり憧れがあるのだと強く感じた。
司馬先輩が、単に有名であるという事では無く、無駄を省いてスッキリした力強く人を自然に説き伏せ納得させるという、あの文章は憧れられてとうぜんではないか。
が、しかし、蒙古語科と朝鮮語科、アジアの一隅にある語科同士という感覚は、少数民族感覚と言うには場違いながらも、説明しがたい共通心情が共にあるというものだろう。
アメリカ公文書館に通い詰めて、朝鮮戦争の発端が人民共和国軍の南進にあると結論づけた“勇気”は讃えられるべき彼の功績と今更に思う。
教条主義的なあの思想や全体主義的体制は、とても受け入れられるものでは無いが、そこにあって批判的に愛するという彼の姿勢を忘れることは出来ない。
人として見事と、時に思う。