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1960 Chevrolet Corvette 動画

2011-02-22 18:24:28 | FM3 Forza3 (Xbox360)
今日は久しぶりにFM3の収録車種紹介をします。
前回紹介したのは「2011 Cadillac CTS-V Coupe(2011年製キャデラック CTS-V クーペ)」でした。


それで、前回紹介した「2011年製キャデラック CTS-V クーペ」で、FM3に収録されている「Cadillac(キャデラック)」は全て紹介し終わっているので、今日からは次の「Chevrolet(シボレー)」の紹介に入っていきます。

そんなわけで、早速メーカー紹介から始めます。




「William C. Durant(ウィリアム・C・デュラント)」さんにより1908年に設立された「General Motors Corporation(ゼネラル・モーターズ・コーポレーション)(以下GM)」は、次々と様々なメーカーなどを買収していきますが、買収費用がかさんだ関係で100万ドルの負債を抱えてしまい、結果として「GM」に出資していた銀行より1910年9月に「株主の権利から議決権だけを分離し信託する」という「議決権信託」を5年間の有効期限付きで、求められ「ウィリアム・C・デュラント」さんは渋々、了承します。
この結果、5人の「共同経営(議決権の信託を引き受けた者)」することとなり「ウィリアム・C・デュラント」さんは、その共同経営者の1人となりますが、他の4人が銀行側の代表であったため、取締役会(ディレクター)の役員およびバイスプレジデントという地位には就いていたものの事実上「ウィリアム・C・デュラント」さんは経営権を失ってしまいます。

この頃の「ウィリアム・C・デュラント」さんは「Henry Ford(ヘンリー・フォード)」さんらによって設立された「Ford Motor Company(フォード・モーター・カンパニー)」に対抗できる小型車を販売するという意図をもって、様々な行動をしていて、その中でいくつかの会社を設立していきました。

そんな「ウィリアム・C・デュラント」さんは、個人的に支援している人も多かったそうで、その1人に「Buick(ビュイック)」でレースで活躍していた、スイス人レーサーの「Louis Chevrolet(ルイス・シボレー)」さんがいました。
そんな「ルイス・シボレー」さんに対して「ウィリアム・C・デュラント」さんは、1909年から始まった、ルイスの作る車の設計とテストを支援していました。
そのプロジェクトのために「ルイス・シボレー」さんは、フランス人の「(M.Etienne Planche(M.エティエンヌ・プランシュ)」さんを呼び寄せ、1911年3月頃から設計をしてもらっていました。

しかし「ウィリアム・C・デュラント」さんは「低価格車」を作りたいと思っていたのですが、一方の「ルイス・シボレー」さんは「高級車」を作りたいと思っていて、双方にはかなりの違いがありました。
そんな2人でしたが、最終的には1911年3月に中級クラスの価格で高級車の「Chevrolet Classic Six(シボレー クラシック シックス」を売り出します。
この「クラシック シックス」は「シボレー」の名が付いた初めての車であり「Light Six(ライト シックス)」とも呼ばれ「M.エティエンヌ・プランシュ」さんが設計した車でした。

そして1911年11月3日に「ルイス・シボレー」さん「William H. Little(ウィリアム・H・リトル)」さん「Edwin Cambell(エドウィン・キャンベル)」さんなどが設立発起人となって、アメリカのミシガン州デトロイトに「Chevrolet Motor Company of Michigan(シボレー・モーター・カンパニー・オブ・ミシガン)」を設立します。
翌年1912年に当時販売されていた6気筒エンジン搭載車としては最安の「Chevrolet Little Six(シボレー リトル シックス)」と「Chevrolet Six(シボレー シックス)」を作り、1912年後半ごろから販売しました。
ちなみに、1912年に売れた車のほとんどが「シボレー リトル シックス」だったそうです。

しかし、徐々に深まっていた「ルイス・シボレー」さんと「ウィリアム・C・デュラント」さんの溝は、最終的に1914年頃に「ルイス・シボレー」さんが「自分の持っていたシボレーの株を「ウィリアム・C・デュラント」さんに売り払い会社を去る」という結果になってしまいます。
その後、シボレーの本社をミシガン州デトロイトから、同じミシガン州のフリントに移動します。

そして1915年9月23日に「ウィリアム・C・デュラント」さんは「Chevrolet Motor Company of Delaware(シボレー・モーター・カンパニー・オブ・デラウェア)」を設立します。
この会社は「GM」での経営権をはく奪されて以降に「ウィリアム・C・デュラント」さんが設立してきた「Chevrolet Motor Company of Michigan(シボレー・モーター・カンパニー・オブ・ミシガン)」などの会社をまとめるための会社でした。

これにより「ウィリアム・C・デュラント」さんは大多数のGM株を保有することができ「議決権信託」の有効期限である1915年10月1日の前の9月16日に行われた「株主総会」で「ウィリアム・C・デュラント」さんは、その株主総会に乗り込み「Gentlemen, I control.(諸君、私がこの会社を統率する。)」と宣言したそうです。
そして、役員選出のための株主総会が開かれた11月16日の時に遂に「ウィリアム・C・デュラント」さんは、自ら選んだ役員を選出し念願であった「GM」の経営権を得たそうです。

さらに1916年6月1日に「ウィリアム・C・デュラント」さんは「GM」の社長となりますが、GMの社長になったのは意外にもこの時が初めだったそうです。

そして1918年5月には「シボレー・モーター・カンパニー・オブ・デラウェア」の株を「GM」に買わせて「シボレー・モーター・カンパニー・オブ・デラウェア」を「GM」に吸収合併しますが、本社機能を「シボレー・モーター・カンパニー・オブ・デラウェア」の本社のあるデラウェアに統合するなど、実質的には「GM」が「シボレー・モーター・カンパニー・オブ・デラウェア」に吸収合併されるような感じだったそうです。

そんな中「シボレー」は「GM」内では、最も安い部分を担当するブランドとして確実にシェアを広げ、ライバルの「Ford Motor Company(フォード・モーター・カンパニー)」を超えるような世界最大の自動車メーカーとなります。

一方の「ウィリアム・C・デュラント」さんは「GM」の抱え込んだ負債などを理由により1920年11月30日に社長を辞めさせられ「GM」を去りますが、その後も様々な会社を設立したりします。
しかし、1929年10月24日に始まった、その後「世界恐慌」の発端となった「Wall Street Crash of 1929(ウォール街大暴落)」に対して様々なことをし株価の下落を抑えようとしますが、1936年2月に「ウィリアム・C・デュラント」さん自身は90万ドルの負債を抱え74歳という高齢で、残った財産が「250ドルのスーツ」という状態で、破産してしまいます。
けれど、その破産した年の12月にはレストランとスーパーマーケットのオーナーとなり、皿洗いなどもして様々なことをして、ボウリング場経営をするために会社を立ち上げますが、成功しませんでした。
そして、次の事業の立ち上げを考え、設立場所を探していた途中で脳卒中となり、ニューヨークに友人が用意してくれた場所で1947年3月18日に86歳という高齢で亡くなりました。

その一方「シボレー」は徐々に立ち直ってきた「GM」のもとで、第二次世界大戦などや戦後の好景気により「GM」ブランドで最も低い位置にいながら「ごく真っ当な基本設計」と「時流を的確に捉えたスタイル戦略」でアメリカ1番のブランド地位を獲得していたそうです。
けれど、1970年代の石油ショックにより、小型、軽量化を余儀なくされ、様々な会社と提携しながら、現在に至ります。

なお、日本では「ゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)」「三井物産」「ヤナセ」が「シボレー」ブランドの販売を担当しています。

ちなみに「Chevrolet」というブランド名は、日本では「シボレー」と発音しますが、英語では「シェヴラレイ」と発音するそうですが、もともとフランス語に由来しているそうです。
けれど、英語圏の人にとっては「Chevrolet(シェヴラレイ)」と発音するのは、難しいため略称の「Chevy(シェヴィ)(日本ではシェビー)」が付いたと言われているそうです。


以上で「Chevrolet(シボレー)略:Chevy(シェビー)」のメーカー紹介を終わります。
シボレーのメーカー紹介ではなく、ほとんど「ウィリアム・C・デュラント」さんの説明になってしまっているような気がしますが・・・気にせずお願いします。



そんなわけで今日紹介する車の方に移っていきます。


今日紹介するのは「1960 Chevrolet Corvette(1960年製シボレー コルベット)」です。




この「コルベット」は、前に「Test Drive Unlimited(テスト・ドライブ アンリミテッド)(TDU)」にDLCとして配信されていたので「Chevrolet Corvette C1 1957」で紹介した車と同じ、1953年にプロトタイプが披露され、1954年モデルから生産が始まった「C1」型と呼ばれる「コルベット」です。

C1型「コルベット」は、その後の長く愛される「コルベット」の初代モデルとして「シボレー」としては初めての「2シーター」で、当時の流行であった「オープンカー」となっていました。

ボディ自体は、量産車として初めて「繊維強化プラスチック(FRP)」を採用したボディで、ヨーロッパの車と比べられるほどの先進的技術を初代より導入していました。

しかし、当初はエンジンが「最大150馬力しか発生しない排気量3859cc直列6気筒エンジン」に「2速AT(2速オートマチック・トランスミッション)」と「純粋なスポーツカーというより、スポーツカーと先進的イメージを押し出した“雰囲気車”」という状態になってしまっていました。
さらにまだ厳密な品質が確立されていなかった時代に「FRP」という先進技術を導入したことにより「温度差によってボディパネルが歪んでしまう」という事態が起こり、購入者からの苦情も殺到していたそうです。

けれど、チューニングを行っている人たちは「コルベット」の優れた車体の素晴らしさを見抜いていて「コルベット」用にエンジン・チューニングや「MT(マニュアル・トランスミッション)」への交換を用意して「コルベット」を陰で支えていたそうです。

でも「GM」実験部門に所属していたエンジニアの「ゾーラ・アンカス・ダントフ」さんにより「シボレー」のセダン向けに使われていた「排気量4343ccV8エンジン」を専用チューニングして「コルベット」に搭載することで、大幅なパワーアップを達成しました。
これは、1955年ではオプション扱いだったそうですが、翌年1956年に行われたデザイン変更を伴う「マイナーチェンジ」と同時に通常のラインアップに加わりますが、その一方で直列6気筒エンジンは廃止されます。
このエンジンは「Small-block(スモール-ブロック)」として後々の「コルベット」のエンジンとして脈々受け継がれていきます。
さらに「2速AT」しかなかったトランスミッションも、アメリカにある「Borg-Warner(ボルグ-ワーナー)」の「3速MT」を選べるようになり「本格的なスポーツカー」としての認知されていきます。

その一方でレースには、1954年から参戦していて、雑種の意味を持つ「Mule(ミュール)」という名のレーシングチューンの施されたV8エンジンを搭載したモデルが様々なレースに参戦し活躍したのが、コルベットの名声を高めるきっかけとなったそうです。
その後も様々なレースに「コルベット」が参戦し、活躍します。

なお、量産車の方の「コルベット」も「マイナーチェンジ」が行われた1956年の翌1957年の終わりには、エンジンの排気量が300cc程度のアップが行われただけではなく「4速MT」が加わり、さらに「本格的なスポーツカー」となっていきます。
エンジン仕様などが変更された翌年1958年には「マイナーチェンジ」がまた行われ、またしてもデザイン変更がされ、2つだったヘッドライトが4つになっています。

その後1961年にまたまた「マイナーチェンジ」が行われましたが、デザインの方が変更またも変更され、基本的にリア側だけで、テールライトが2つから4つとなっています。
そして、C1型「コルベット」最後となった1962年モデルでは、エンジンの「排気量5.4リッター」というモデルが登場し、最後を飾ります。

なお、今回紹介しているC1型「コルベット」は2度目の「マイナーチェンジ」が行われ、2つだったヘッドライトが4つになった時の1960年モデルにあたります。
ちなみに、前に紹介した「TDU」にDLCとして配信されていた「Chevrolet Corvette C1 1957」は、1957年モデルで、排気量アップがされた後のモデルのようです。




スペックは排気量4639cc(ゲーム内では4.6リッターと表記)のV8エンジンをフロントに搭載し、リア駆動で路面に伝えています。
最大馬力は289.7hp(216kW)を発生し、最大トルクは393.5Nmです。
車重は1397kgとなっていて、ゲーム内の価格は120,000CRです。
FM3のクラスは、F198です。
今回のは「通常版」「初回生産限定版」「アルティメット エディション」についてくるDLカード、もしくは400MSPでDL出来る「モータースポーツレジェンド カーパック」に収録されています。


ここからは、FM3で収録されている全537台中のランキングを紹介します。

1.PIのランクは、495番です。
2.最大馬力のランクは、373番です。
3.最大トルク・ランクは、337番です。
4.車重ランクは、軽い順に317番、重い順に221番です。
5.排気量ランクは、大排気量順に193番、小排気量順に338番です。
6.価格ランクは、高い順に255番、安い順に278番です。




運転席視点です。
前に紹介した「TDU」にDLCとして配信されていた「Chevrolet Corvette C1 1957」とは、運転席のデザインが異なっています。

ハンドルの隙間から見える半円状の大きな背景が黒で白文字で数字などがふられているのが「スピードメーター」で、その少し手前の中央にある写真では半分程度しか見えていないの「Camino Viejo de Montserrat(カミノ ヴィエホ デ モンセラート)」が「タコメーター」です。
ちなみに、スピードメーターは半円状ですが、タコメーターは普通に円形をしています。

この時のスピードは「80MPH(マイル/約128km/h)」程度で、エンジン回転数は「5850回転」程度です。


FM3-1960 Chevrolet Corvette 720p 30sec


動画です。
少しだけドロドロした感じの音が聞こえてくるアメ車らしいV8エンジンとなっているように思いますが、どうでしょうか。


今回は余分に撮った写真を3枚程度以下に掲載しておきます。








今回掲載した写真や動画は全て「Camino Viejo de Montserrat(カミノ ヴィエホ デ モンセラート)」の「Mini Circuit Reverse(ミニ サーキット リバース)」を使用しました。



以上で今日のFM3の収録車種紹介を終わります。


いやぁ、今日は組み合わせが特に最悪でした。
「シボレー」という巨大なブランドの説明と、その「シボレー」でフラグシップであり有名な「コルベット」という組み合わせだったので・・・。
でも、少し助かったのは初代の「C1型コルベット」だったということです。
なので、C1型コルベット以外の事は、基本的に書きませんでした。
(恐らく、書いていないはず)

まぁ正直言えば、5時間も連続で書いていたので、あんまり上手く書けていないと思いますけどね・・・。

それで今週は予定では、ストックかなりあるので、金曜日までしっかり連続でやろうと思っています。
もちろん、緊急事態などが発生すれば、別ですが・・・。



そんなわけで、今日はこれで終わります。
それでは!

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2 コメント

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Unknown (にゃご)
2011-02-25 13:18:10
う~ん、確かに長いですね!
有名企業なだけあるので、書く事も多いですね。
会社紹介と車種紹介は別でやった方がいいのではないでしょうか?

シボレーと聞くとアメリカの車メーカーだよね~としか知りませんでしたが、
結構複雑な経歴の持ち主だったわけですね。日本でシボレーの車(特に大型乗用車)は
ほとんど見かけないんじゃないかなと思います。日本のメーカーとタイアップした
小型車はよくみかけます。

う~ん、お洒落ですね!!
このデザインはまさしく当時のアメ車ではないかなと思います!
流線型のボディにキラビやかな装飾品はカッコいいと思います。
初期型に直6エンジンがあったとはしりませんでしたね。
アメ車=V8だとずっと思っていました・・・。
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Unknown (JB)
2011-02-25 14:21:21
長くなってしまいました・・・。
そうですね。
正確に書けば、有名な企業であるがゆえに日本語での情報が多いので、書きやすいというのもあります。
それも、考えたりすることはありますが・・・今のところは、この方法を通すつもりです。

そうですね、初代C1型コルベットはお洒落という感じですよね。
確かに当時のアメ車は、こんなのが多かったと思います。
そうですね、なかなか豪華ですよね。
最初の初期型は「直6エンジンがあった」というよりも「基本的に直6エンジンだけだった」という感じだったようです。
そう思うかもしれませんね。
コルベットの最初の初期型はどちらかというと「スポーツカー」というよりも「オープンカー」として売り出したような感じもあります。
でも、コルベットはある意味で「スポーツカー」としての道を歩むことになったおかげで、今まで長く続いているのかもしれませんけどね。
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