(写真:彦根城大手口、追手橋と大手門跡<滋賀県彦根市>)
12/10(日)に行ってきた彦根城。もうちょっと続きます・・・
前回からの続き。内郭の最北端にある山崎郭から内郭を反時計回りにぐるりと大手門まで歩きます。
写真は、彦根城大手口。内郭の南西にある。
彦根城の築城が1603年から始まった際、京都・大阪に面していたことから、大手として厳重な構えが敷かれた。追手橋を渡る際には向かい合う大手門多聞櫓から横矢がかけられ、その先に大手門枡形が控える、という形になる。
内郭西面の土塁。
堅堀と登石垣。
写真中央奥に見える石垣(水平に延びる)は、おそらく西の丸の石垣。
この防御施設によって、敵兵の斜面での水平移動を封じた。
登石垣の基部。
ここから斜面(右手)に向かって石垣が延びている。
ここには門が構えられ、やはり水平方向の移動を阻止した。
上写真の登石垣を越えると(南へ進むと)、梅林がある。
ここはかつては幕府の預かり米五万石が貯蔵される米蔵が立ち並んでいた。戦後になって紅梅白梅約600本が植えられた。
埋門跡。
ここは内濠に面し、水門となっていた。幕府からの預かり米を琵琶湖の水運によって輸送するために用いられた。
埋門跡から内郭を見返す。
大手坂。
大手門からここに至り、天秤櫓の足下に出る。
写真奥の中ほど、大手坂の突き当たりに見えるのが、天秤櫓の石垣。
大手門多聞櫓の雁木。
写真中央の右手に見える石垣は、大手門多聞櫓の二階櫓跡。
大手門多聞櫓跡のあたりの紅葉。
夕陽があたっていい色付きになってました。
大手門枡形より追手橋を望む。
追手橋より大手門を望む。
左折れの枡形になっており、やや珍しい(通常は右折れにする)。これは城の縄張りの都合であろう。
大手門多聞櫓跡。
追手橋に並行する形で設置されていた。この石垣の隅に二階櫓が設けられた。
多聞櫓跡の後ろ側(内郭の西面、大手門多聞櫓から山崎郭まで)には腰巻石垣と土塁が続く。
大手門から、さらに反時計回りに内濠沿いを歩く。
こちらは大手門と表門を結ぶ腰巻石垣・鉢巻石垣。もう少し内濠沿いに回りこむと表門橋に辿り着く。
ちなみに、正面にあるのは彦根東高校。お城の中(内曲輪、内濠と中濠のあいだ)にある高校である。
近畿地方>>滋賀県、彦根城。
(つづく)
12/10(日)に行ってきた彦根城。もうちょっと続きます・・・
前回からの続き。内郭の最北端にある山崎郭から内郭を反時計回りにぐるりと大手門まで歩きます。
写真は、彦根城大手口。内郭の南西にある。
彦根城の築城が1603年から始まった際、京都・大阪に面していたことから、大手として厳重な構えが敷かれた。追手橋を渡る際には向かい合う大手門多聞櫓から横矢がかけられ、その先に大手門枡形が控える、という形になる。
内郭西面の土塁。
堅堀と登石垣。
写真中央奥に見える石垣(水平に延びる)は、おそらく西の丸の石垣。
この防御施設によって、敵兵の斜面での水平移動を封じた。
登石垣の基部。
ここから斜面(右手)に向かって石垣が延びている。
ここには門が構えられ、やはり水平方向の移動を阻止した。
上写真の登石垣を越えると(南へ進むと)、梅林がある。
ここはかつては幕府の預かり米五万石が貯蔵される米蔵が立ち並んでいた。戦後になって紅梅白梅約600本が植えられた。
埋門跡。
ここは内濠に面し、水門となっていた。幕府からの預かり米を琵琶湖の水運によって輸送するために用いられた。
埋門跡から内郭を見返す。
大手坂。
大手門からここに至り、天秤櫓の足下に出る。
写真奥の中ほど、大手坂の突き当たりに見えるのが、天秤櫓の石垣。
大手門多聞櫓の雁木。
写真中央の右手に見える石垣は、大手門多聞櫓の二階櫓跡。
大手門多聞櫓跡のあたりの紅葉。
夕陽があたっていい色付きになってました。
大手門枡形より追手橋を望む。
追手橋より大手門を望む。
左折れの枡形になっており、やや珍しい(通常は右折れにする)。これは城の縄張りの都合であろう。
大手門多聞櫓跡。
追手橋に並行する形で設置されていた。この石垣の隅に二階櫓が設けられた。
多聞櫓跡の後ろ側(内郭の西面、大手門多聞櫓から山崎郭まで)には腰巻石垣と土塁が続く。
大手門から、さらに反時計回りに内濠沿いを歩く。
こちらは大手門と表門を結ぶ腰巻石垣・鉢巻石垣。もう少し内濠沿いに回りこむと表門橋に辿り着く。
ちなみに、正面にあるのは彦根東高校。お城の中(内曲輪、内濠と中濠のあいだ)にある高校である。
近畿地方>>滋賀県、彦根城。
(つづく)
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