リオデジャネイロ・オリンピックで日本の選手が大活躍だ。
オリンピック大会は1964年・昭和39年の東京大会から
全世界に生放送されることになり
(1963年から衛星中継が始まったので)
以降、世界中の人たちが同時に
画面を通して観戦できるようになった。
私がオリンピックの時に毎回必ず思い出すのが
1964年10月1日の東海道新幹線開業だ。
東京大会開会式の10日前だった。
オリンピックに合わせての開通だったので
本当にぎりぎりの発車ということになる。
開通初日の一番列車で予期せぬ苦情が殺到した。
最初の新幹線ということで、
しかも短い工期で突貫で造った為
色々不具合が生じないようと、最初の一年間は
最高速度210kmのところを160kmに抑えて運転したのだが。
1994/5年頃、NHKの番組に開通した初日の
新大阪発一番列車の運転手さんが登場した。
「今だから言っちゃいますけど、
もう時効でしょうから。
当時はビュッフェにスピードメーターが
付いていたのです。
何せ世界最高速度の210kmの世界を初体験したい
一番列車のお客様ですから、
皆さんビュッフェに集まり、
今か今かと210kmを期待してスピードメーターを
ご覧になっていたのでしょう。
ところが、一年間は160km運転、
このことはあまり広くは発表されていなかったので
お客様たちはかたずをのんで待っているわけです。
やがてビュッフェのスタッフへ苦情が殺到し
{何故210km出さないんだ}
そこから車掌に、さらに運転手の私に連絡が入り、
実はこういうわけでビュッフェが大変な騒ぎに
なっています、と。
そこで私はとっさの判断で、反則なんですけど
ATC(自動列車制御装置)のスイッチを切り
数分だか10分だか忘れてしまいましたけど
210km出してしまったんです。
間もなくビュッフェからの連絡で
{お客様から大歓声が上がり
スピードメーターを記念撮影して
お席に戻られました}
ところが、問題は、
オーバースピードで走ったので
品川通過時刻が5分早くなってしまいました。
スピードをうんと落とし、徐行して
東京駅にピッタリ着けました。
一番列車ですから、ホームには
報道陣の方、鉄道ファンの方が
あふれんばかりの状態です。
一分たりとも、遅れても早くても
許されなかったんです」
いい話ではありませんか、
列車内での事実をだれもつっついたり
とやかく言ったりせず、
何事もなかったように乗務記録が残され、
新聞には新幹線一番列車無事定刻で到着と報道され、
乗客たちはいい思い出を残しました。
何事も規則通りで、融通の利かない、世知辛い
どこかの国?とは大違いです。
当時、鉄道少年だった私はオリンピックの時期が来ると
あの大成功を収めた第18回東京大会のことと一緒に
この東海道新幹線の開通のことを、
いつも想い出します。
オリンピック大会は1964年・昭和39年の東京大会から
全世界に生放送されることになり
(1963年から衛星中継が始まったので)
以降、世界中の人たちが同時に
画面を通して観戦できるようになった。
私がオリンピックの時に毎回必ず思い出すのが
1964年10月1日の東海道新幹線開業だ。
東京大会開会式の10日前だった。
オリンピックに合わせての開通だったので
本当にぎりぎりの発車ということになる。
開通初日の一番列車で予期せぬ苦情が殺到した。
最初の新幹線ということで、
しかも短い工期で突貫で造った為
色々不具合が生じないようと、最初の一年間は
最高速度210kmのところを160kmに抑えて運転したのだが。
1994/5年頃、NHKの番組に開通した初日の
新大阪発一番列車の運転手さんが登場した。
「今だから言っちゃいますけど、
もう時効でしょうから。
当時はビュッフェにスピードメーターが
付いていたのです。
何せ世界最高速度の210kmの世界を初体験したい
一番列車のお客様ですから、
皆さんビュッフェに集まり、
今か今かと210kmを期待してスピードメーターを
ご覧になっていたのでしょう。
ところが、一年間は160km運転、
このことはあまり広くは発表されていなかったので
お客様たちはかたずをのんで待っているわけです。
やがてビュッフェのスタッフへ苦情が殺到し
{何故210km出さないんだ}
そこから車掌に、さらに運転手の私に連絡が入り、
実はこういうわけでビュッフェが大変な騒ぎに
なっています、と。
そこで私はとっさの判断で、反則なんですけど
ATC(自動列車制御装置)のスイッチを切り
数分だか10分だか忘れてしまいましたけど
210km出してしまったんです。
間もなくビュッフェからの連絡で
{お客様から大歓声が上がり
スピードメーターを記念撮影して
お席に戻られました}
ところが、問題は、
オーバースピードで走ったので
品川通過時刻が5分早くなってしまいました。
スピードをうんと落とし、徐行して
東京駅にピッタリ着けました。
一番列車ですから、ホームには
報道陣の方、鉄道ファンの方が
あふれんばかりの状態です。
一分たりとも、遅れても早くても
許されなかったんです」
いい話ではありませんか、
列車内での事実をだれもつっついたり
とやかく言ったりせず、
何事もなかったように乗務記録が残され、
新聞には新幹線一番列車無事定刻で到着と報道され、
乗客たちはいい思い出を残しました。
何事も規則通りで、融通の利かない、世知辛い
どこかの国?とは大違いです。
当時、鉄道少年だった私はオリンピックの時期が来ると
あの大成功を収めた第18回東京大会のことと一緒に
この東海道新幹線の開通のことを、
いつも想い出します。