ヒースつれづれ

東京国立バー・ヒースのマスター大川貴正のブログです。

新幹線最初の苦情

2016-08-18 02:20:16 | 日記・エッセイ・コラム
 リオデジャネイロ・オリンピックで日本の選手が大活躍だ。
オリンピック大会は1964年・昭和39年の東京大会から
全世界に生放送されることになり
(1963年から衛星中継が始まったので)
以降、世界中の人たちが同時に
画面を通して観戦できるようになった。
 私がオリンピックの時に毎回必ず思い出すのが
1964年10月1日の東海道新幹線開業だ。
東京大会開会式の10日前だった。
オリンピックに合わせての開通だったので
本当にぎりぎりの発車ということになる。

 開通初日の一番列車で予期せぬ苦情が殺到した。
最初の新幹線ということで、
しかも短い工期で突貫で造った為
色々不具合が生じないようと、最初の一年間は
最高速度210kmのところを160kmに抑えて運転したのだが。

1994/5年頃、NHKの番組に開通した初日の
新大阪発一番列車の運転手さんが登場した。

「今だから言っちゃいますけど、
もう時効でしょうから。
当時はビュッフェにスピードメーターが
付いていたのです。
何せ世界最高速度の210kmの世界を初体験したい
一番列車のお客様ですから、
皆さんビュッフェに集まり、
今か今かと210kmを期待してスピードメーターを
ご覧になっていたのでしょう。
ところが、一年間は160km運転、
このことはあまり広くは発表されていなかったので
お客様たちはかたずをのんで待っているわけです。
やがてビュッフェのスタッフへ苦情が殺到し
{何故210km出さないんだ}
そこから車掌に、さらに運転手の私に連絡が入り、
実はこういうわけでビュッフェが大変な騒ぎに
なっています、と。
そこで私はとっさの判断で、反則なんですけど
ATC(自動列車制御装置)のスイッチを切り
数分だか10分だか忘れてしまいましたけど
210km出してしまったんです。
間もなくビュッフェからの連絡で
{お客様から大歓声が上がり
スピードメーターを記念撮影して
お席に戻られました}
ところが、問題は、
オーバースピードで走ったので
品川通過時刻が5分早くなってしまいました。
スピードをうんと落とし、徐行して
東京駅にピッタリ着けました。
一番列車ですから、ホームには
報道陣の方、鉄道ファンの方が
あふれんばかりの状態です。
一分たりとも、遅れても早くても
許されなかったんです」

 いい話ではありませんか、
列車内での事実をだれもつっついたり
とやかく言ったりせず、
何事もなかったように乗務記録が残され、
新聞には新幹線一番列車無事定刻で到着と報道され、
乗客たちはいい思い出を残しました。
何事も規則通りで、融通の利かない、世知辛い
どこかの国?とは大違いです。
 当時、鉄道少年だった私はオリンピックの時期が来ると
あの大成功を収めた第18回東京大会のことと一緒に
この東海道新幹線の開通のことを、
いつも想い出します。