ヒースつれづれ

東京国立バー・ヒースのマスター大川貴正のブログです。

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リスペクテッド・レディース 3 田代久美

2016-08-31 15:15:38 | 日記・エッセイ・コラム
   「生涯一女優」

 もうかなり前に田中絹代生誕百年の記念本が
出版されました。
その時、亡くなってからもうすでにずいぶんと経って
いたので、今ご健在なら世界最高齢近くになっている
かもしれません。

 田中絹代というと、小津安二郎作品の山の手の母親役や
「前略おふくろ様」の老いたる母のように
温厚なイメージがあると思いますが
伝えられている彼女の素顔は破天荒でガラッパチな
お転婆さんのようです。
 ある監督と同棲している時に、ケンカになり
「そんなこと言うならオシッコしてやる!」
と言って、本当に布団の上に放尿したこともあるらしいです。

 私がこの女優さんで印象に残っているのは、やはり
「サンダ館八番娼館」という名作映画です。
「からゆきさん」といわれた海外に出稼ぎに行った、
又は行かされた貧しい娘が主人公で
前半を高橋洋子が好演し
後半生を田中絹代が演じました。
 「下手上手(へたうま)」という言葉がありますが
お世辞にも演技巧者とはいえない彼女が
映画史に残る熱演で
若い頃にボルネオで娼婦として生きなければならなかった
哀しい老女を再現しました。

 実際にどうだったのかは良く識りませんが
私が思うにこの方は多分世渡りがあまり上手ではなかった
のではないかと思います。
何故ならば、あんな大女優であったにもかかわらず
後年は脇役に甘んじることが多かったからです。

 これもかなり古い作品ですが、有吉佐和子原作の「香華」
という作品があります。
 三度も結婚・離婚を繰り返す奔放な母を音羽信子が、
そのとばっちりを受けて
縁薄く苦労する娘を岡田まり子が演じましたが、
その母の母役を田中絹代が特別出演的にチョッとだけ
付き合っているのですが、
主演の二人を凌駕するほどに凄まじい怪演でした。
 狙ったのかどうかは私には判りませんが
完全に主役の二人を喰った印象があります。

 そしてテレビだラマ、吉屋信子原作の「女人平家」。
主演は吉永小百合が清盛の双子の娘を二役務めていて、
吉永小百合がテレビドラマに出るようになった最初の頃
なので、当時話題を呼んだと思います。
 清盛の妻時子に有馬稲子、そして
娘達にも当時の美人女優が居並んで
一服の平安絵巻のように美しかったのを覚えています。
 吉永小百合が急死した双子の姉の代わりに
預けられていた寺から理不尽にも呼び返される役で
そのお守り役として呼び寄せられて彼女を優しく見守る役を
田中絹代が演じました。
 クレジット上は吉永小百合、有馬稲子のほうが上でしたが
この作品でも輝くいぶし銀(矛盾していてすみません)
の如く素晴らしい好演だったと思います。

 人生も演技も決して器用に立ち居ふるまえなかった人だと
思いますが、
生涯一女優として
彼岸に旅立たれたこの方の如く、
私も生きられたらなア・・と
一女として切ない思いで過ごしております。




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新幹線最初の苦情

2016-08-18 02:20:16 | 日記・エッセイ・コラム
 リオデジャネイロ・オリンピックで日本の選手が大活躍だ。
オリンピック大会は1964年・昭和39年の東京大会から
全世界に生放送されることになり
(1963年から衛星中継が始まったので)
以降、世界中の人たちが同時に
画面を通して観戦できるようになった。
 私がオリンピックの時に毎回必ず思い出すのが
1964年10月1日の東海道新幹線開業だ。
東京大会開会式の10日前だった。
オリンピックに合わせての開通だったので
本当にぎりぎりの発車ということになる。

 開通初日の一番列車で予期せぬ苦情が殺到した。
最初の新幹線ということで、
しかも短い工期で突貫で造った為
色々不具合が生じないようと、最初の一年間は
最高速度210kmのところを160kmに抑えて運転したのだが。

1994/5年頃、NHKの番組に開通した初日の
新大阪発一番列車の運転手さんが登場した。

「今だから言っちゃいますけど、
もう時効でしょうから。
当時はビュッフェにスピードメーターが
付いていたのです。
何せ世界最高速度の210kmの世界を初体験したい
一番列車のお客様ですから、
皆さんビュッフェに集まり、
今か今かと210kmを期待してスピードメーターを
ご覧になっていたのでしょう。
ところが、一年間は160km運転、
このことはあまり広くは発表されていなかったので
お客様たちはかたずをのんで待っているわけです。
やがてビュッフェのスタッフへ苦情が殺到し
{何故210km出さないんだ}
そこから車掌に、さらに運転手の私に連絡が入り、
実はこういうわけでビュッフェが大変な騒ぎに
なっています、と。
そこで私はとっさの判断で、反則なんですけど
ATC(自動列車制御装置)のスイッチを切り
数分だか10分だか忘れてしまいましたけど
210km出してしまったんです。
間もなくビュッフェからの連絡で
{お客様から大歓声が上がり
スピードメーターを記念撮影して
お席に戻られました}
ところが、問題は、
オーバースピードで走ったので
品川通過時刻が5分早くなってしまいました。
スピードをうんと落とし、徐行して
東京駅にピッタリ着けました。
一番列車ですから、ホームには
報道陣の方、鉄道ファンの方が
あふれんばかりの状態です。
一分たりとも、遅れても早くても
許されなかったんです」

 いい話ではありませんか、
列車内での事実をだれもつっついたり
とやかく言ったりせず、
何事もなかったように乗務記録が残され、
新聞には新幹線一番列車無事定刻で到着と報道され、
乗客たちはいい思い出を残しました。
何事も規則通りで、融通の利かない、世知辛い
どこかの国?とは大違いです。
 当時、鉄道少年だった私はオリンピックの時期が来ると
あの大成功を収めた第18回東京大会のことと一緒に
この東海道新幹線の開通のことを、
いつも想い出します。







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旧制中学のような  2

2016-07-24 22:05:44 | 日記・エッセイ・コラム
・ あるとき、同級生がタバコを吸ったか何かで
10日間の謹慎処分になりました。
謹慎期間が解けてその生徒はた父親に付き添われて
担任の先生に謝りにいきました。先生が
「また明日から皆で一緒に勉強しよう」
そしたら父親が
「先生、とんでもねえ、学校の謹慎期間が終わった
からといって、これで終わりじゃねえです」
明日から我が家で10日間の謹慎生活を
やらせてください」
 町工場のおやっさんの父親は息子を
工場の職人・工員さんたちと一緒に
朝から晩まで働かせたそうです。
彼はそうとう辛かったらしく
以降、改心して真面目になりました。

・ 友人が昼休みに校舎の裏の塀を乗り越えて
外出しようとしました。
たまたまその場面を見かけた用務員さんが
友人のズボンをつかんで引きずり降ろし
「君は何年何組だ、生徒手帳を出しなさい。
担任の先生は誰だ」
その場で担任の先生が呼び出されました。
「先生、私は学問は解らないが、やって良いことと
悪いことの判断はできる。
あなたは生徒たちにどういう教育をしているんですか」
 先生は平身低頭、用務員さんに謝り、
友人も用務員さんと先生に謝り、
その場は一件落着しました。

・ 伝統的に修学旅行は京都・奈良と決まっていました。
戦前は船で行ったそうです。
 国語の教科書の後半のほうに和辻哲郎の
「古寺巡礼」がありました。
奈良の寺や仏教美術品を思い入れ深く紹介・説明した
印象記です。
ある国語の先生が
「修学旅行の前に先にこれを授業でやります」
とおっしゃって、もちろん教科書を授業してくださる
のですが、
加えて、京都の古寺も色々紹介・解説してくださり
生徒たちの想像力を大いに刺激して
修学旅行への士気が高まりました。
 和辻哲郎の魅力ある文章に生徒たちが引きずり込まれて
いくのですが
我が国語の先生の博覧熱弁ぶりにも
とても感動いたしました。

           つづく




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旧制中学のような  プロローグ

2016-07-18 22:35:10 | 日記・エッセイ・コラム
 私が通っていた中学・高校は6年一貫教育の
まあ、旧制中学のような学校でした。
自由な校風で生徒も先生も自由にオリジナリティを
発揮して青春を謳歌し、
その後好きな大学に入学したり
板前さんに弟子入りしたり、と
自分の進路を世間に媚びずに決めていました。
 先日、同窓大先輩で放送作家・作詞家・ラジオ
パーソナリティの永六輔さんが亡くなりました。
追悼の意を込めまして
少し自分の思い出を書こうと思います。

・最初のクラス会
 中学に入学して間もなく5月頃に担任の先生が
クラス会をやろう、とおっしゃいました。
ついこないだまで小学生だった少年たちが
方々から集まってきて
皆、知らないどおしな訳ですから、
親睦を深めようということだったのでしょう。
 日曜日に皆でピクニックに行きました。
場所は覚えてません。
幹事たちが行き先、集合時刻などを決めて
バスを1台チャーターしました。
先生のお弁当は私が担当しました。
(実家が総菜屋だったので)
 友人たちが先生の力を借りずに
色々決めて実行していく姿を見て
奥手だった私は圧倒され、感動しました。

・林間学校・臨海学校
 夏には毎年、自由参加の林間学校や臨海学校
があり、どの学年が参加しても良いのですが
中学生が多かったように記憶してます。
先生方の他にOB達やその地元のお姉さまたちが
ご飯の世話をしてくださいました。
運動部の合宿のような規律正しい生活が
1週間続き、それがまた新鮮でした。
 山では生物の先生がアコーディオン・歌が
とてもお上手だったこと。
他にも隠し芸が得意な先生方が夜の
レクリエーション会で披露されました。
生徒たちもコーラスや自作の即興の芝居など
やって楽しい毎晩でした。
 海では毎晩先生方が酒を呑んでいるようでした。
いつも1番酔っぱらう体育の先生が、翌朝には
1番早く起きて海岸に潮目を見に行かれてました。
生徒たちがその日はどの辺りまで遠泳できるかを
判断するためです。

・先生の中にはスパルタンな恐い先生もおられましたし
少し気の弱わそうなおとなしいタイプの先生もおられました。
その先生は体力も弱く、早稲田の理工学部に入学した
のだけど、理系の学生生活には体力がついてゆけず、
文学部に転部したのだそうです。
古今和歌集がご専門でした。
私はその先生が担任のクラスにいたことも
ありました。
 ある時クラスの誰かがある先生にビンタされました。
そしたら気の弱い我が担任の先生はビンタした
先生に理由を伺い、その旨を我がクラスの生徒たち
に説明してくださいました。
 またある時、そのおとなしい先生がビンタした
ことがありました。
予想外だったのでクラス中、皆シーンとなりました。
後日談ですが、先生は瞬間落ち込んでしまったよう
です。
「ああ、自分は生徒をなぐってしまった」と。
授業が終わり、廊下で別の生徒が
「先生! ついにやりましたね!」
と声をかけたそうです。
先生はホッとされたそうです。

             つづく


  
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リスペクテッド・レディ-ス 2 田代久美

2016-07-13 21:37:02 | 日記・エッセイ・コラム
  「ヌードの女王」

 かつて、現在有楽町マリオンが建っている場所には
円形の日劇ビルがありました
メインは5階席まであった大劇場ですが、その地下に
世界的に名前の知れ渡った「日劇ミュージックホール」
というストリップティーズの小劇場が在りました
 私が知っているのは1970年代後半で
それ以前のスター達のことは殆ど知りませんが
後にコメディアンとして大成した春川ますみや
アキ竹城も此処の出身です

 私が興味を持って観に行っていた頃、トップスターだった一人に
朱雀(すざく)さぎりという方が居ました
とてもゴージャスでヴァンプ的だった彼女の人生が
波乱万丈だったことは後から知ったことでした
 少女時代まで地方の豪商のお嬢様として育った彼女の家が
没落して一転、極貧の生活に変わったみたいです
ツテを頼って日劇ミュージックホールのヌードの踊り子に成り
初舞台を踏んだ夜は相部屋の布団の中で声を殺して泣いたのだそうです
 その後メキメキと頭角を顕わしてスターダムに乗ったのは
天性の美貌に加えて、もう後にはさがれない必死の思いがあったから
なのでは・・・と推測しています
 後年、一線を退いた後に博品館劇場のレビューに出たときは
もうアラフォーだったのではないかと思います
テレビ・映画などでもそういう熟年女性の肉体は見たことが無かったので
とても鮮烈だったのを覚えています
若いヌードダンサーの細くて整ったボディとは違い、
色っぽさを通り越して母性的に輝いていました!
 その前後に彼女のファンだった男性と結婚して
お幸せなのだと思っていましたが、
最後の舞台の何年後かにガンで亡くなりました
 ガンを告知されて、大手術をした後に・・・
ヌードダンサーの命と思っていた長い髪を
バッサリ切ったそうです
身体が動かなくて長い髪を洗う体力が無くなったからです

 劇場の大看板だった彼女のポスター等は
ちょっと過剰かナアと思うくらい妖艶なメイクでしたが
閉館が決まって「さよなら日劇ミュージックホール」という
イベントの千秋楽の舞台あいさつの時に
オフの姿で壇上に立っていた時に
とても清楚で若々しかったので
どうしてわざわざキツイ化粧を施していたのだろうと
いぶかしく思ったのですが
自分からすすんで成った訳ではないヌードダンサーの舞台では
限りなく自分の素顔を隠したかったのでしょうネエ!

 下級生のダンサー達からさぎり姉さんと慕われたこのスターが
刑務所の慰問に行った時に、看守さんから
「ちゃんと衣装を着けて出てください!」
と釘を刺されたにもかかわらず、トップレスで踊って
客席はヤンヤヤンヤの大喝采だったらしいのですが
看守に、
「ちゃんと衣装を着用するように言ったでしょう!」
と怒られて
「だって私たちの衣装はツンパよ! 
 だから一番いいツンパをはいて出たのに、
 だったら最初からブラを着けてとか言ってよ!」
と真顔で答えたらしいです
 私はこういう気取らない美人さんが大好きです!
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