バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

先を照らす明かりが欲しい

2023-10-11 15:24:37 | ギャラリー輝
先日、上田で長く営業していた画材店「遊美」さんの店主が亡くなった。
困ったときの遊美さんで,頼りきっていた方だけに陳腐な言い方だが,本当に心にポッカリ穴が空いている。

あれは中学生の頃だっただろうか。
上田の海野町に大きな文具屋さんがあり、そこは画材も豊富で度々父に連れられて行った。
ある時店の奥の部屋から出てきた青年を「この人にいつもお世話になっているんだよ」と紹介された。それが先の店主、遊美さんだった。
その後独立し,画材専門店を開業されたのだった。

父は上田に用事があると,いや別に用事がなくても絵を描く合間に午後になると上田に出かけていたが,その都度遊美さんに立ち寄っていた。
店内をぐいぐい奥まで進みまるで我が家のようにくつろぎ、コーヒーをご馳走になっていた。
そこは芸術家のたまり場で,そのテーブルにはいつも誰かしら知り合いが居て,居心地の良い空間だったのだろう。
父が佐久で個展を開く際、プロフィールを作るために遊美さんでワープロ借りることになった。ワープロの機種により操作が異なる。書式設定だの修正だのと戸惑いながらカチャカチャ打っていると、父は「おい、まだか?」なんて言いながら奥で仲間と談笑していた。遊美さんはその間に立ち,時折様子を見にやって来た。その空気感は遊美さん独特。

父から色々聞いていたらしく,遊美さんは私のことをよく知っていた。
そして私のことを「おねえちゃん」と呼んでいた。
いつ頃までそう呼ばれていたのか。
いつの間にか「おねえちゃん」とは呼ばれず、かといってどう呼ばれていたのか思い出せない。ねぇとか、あのでもなく、それで会話が成り立つフワッとした空気でつながることができていた。いつだったか呼び名が必要になったときに、おねえまで言いかけてやめたことがあった。
ゆるりと会話しながら、そしてぴしゃりと色々アドバイスしていただいていた。

聞きたいことがあったので、電話した。店の固定が出ない。携帯も出ない。なんだか無性に心配になり店舗に駆けつけると「調度今絵を運んで帰ってきたところだよ。電話鳴ってるの知ってたけど,出られなかった」
トラックで運送するほどお元気なことにほっとしたが,なんだかとても疲れている様子だった。
その後額選びしてもらい,受取に行き、それが最期だった。

絵に合わせて額を選んでもらうことはもうできない。
輝さんならいつもこうしたよ、とさりげなく道を照らしてもらうこともできない。
おねえちゃん、と呼んでもらうことなんかもうできない。


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