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警視隊と蒸気機関車

2012年03月22日 | 侍たちの警視庁

昨年、古写真研究家の森重さまから西南戦争や軍装史の研究家である鈴木徳臣さまを紹介していただきました。
以来、鈴木さまからは西南戦争に関するたくさんの貴重な情報をいただいております。

最も感謝していることの一つが、赤須忠良三等巡査の西南戦争従軍日記である『戦闘録』の存在をご教えてくださったことです。
警視官の西南戦争従軍日記といえば、喜多平四郎三等巡査の『征西従軍日誌』が有名ですが、『戦闘録』については坂井政治先生が『西南戦争之記録 第4号』にて紹介しています。
喜多の『征西従軍日誌』とも重なる部分が多く、興味深く拝読しました。
特に私が興味を持ったのは、警視隊出発の日の記録です。
喜多の『征西従軍日誌』の明治十年二月十日の部分には、
「午後一時本署を発し、同三時四十五分、新橋停車場汽車発横浜へ着。ここに大警視より内諭あり。その意、巡査においてはもとより悉く士族の者なり。故にこの度の出張、必ず他兵に劣らず充分の奮発一層の勉励を希望するとの意なり。今夜ここに一泊す。」と記されています。
赤須の『戦闘録』の明治十年二月十日の部分には、
「午後一時ヨリ小警視綿貫吉直ノ指揮ヲ受ケテ整列ヲナシ同時三十分頃二警視局ヲ繰出シ新橋ノ停車場二到リ従夫機車二乗リ込ミ三時頃ニ同所ヲ出発シテ横濱神奈川縣ノ停車場ニ着到ス此日少ク雨降ル四時頃ニ同所本町四甼目ノ松本屋忠介方ニ到リ一飯ヲ喫シ畢ツテ蒸機船エ乗リ込ム筈ノ處ロ船都合ニ依リ右宿エ泊ス此日六百名ノ巡査意気揚々トシテ実ニ隆盛ナリ」と記されています。
二人の日記から、警視隊が新橋―横浜間を蒸気機関車で移動したことがわかります。
西南戦争勃発時に新橋横浜間を走行していた蒸気機関車のうちの三両は、現在でも保存されています。
そのうちの二両は鉄道博物館と青梅鉄道公園で見ることができます。
残る一両は博物館明治村で保存されていますが、なんと平成二十二年まではお客さんを乗せて明治村内を走行していたというから驚かされます。
残念ながら現在は休止中のようですが、私は十五年ほど前にこの蒸気機関車に乗ったことがあります。
警視隊が乗ったであろう蒸気機関車に自分も乗車できたのは大変な感動のはずですが、当時は警視庁史に興味を持つ前であったため、残念ながらあまり記憶に残っていません。
蒸気機関車の前で写した一枚の写真だけが残っています。


※写真は再現された新橋停車場

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