Nyancoin Bakery / 江都屋

当ブログは引っ越しました。→ http://blog.livedoor.jp/edoyakogane/

2006年3月 記事一覧

2006年03月31日 23時59分59秒 | 記事一覧
2006年3月、記事一覧です。

*特にどの記事に対してということもないコメントやトラックバックは、
この「記事一覧」へどうぞ。


3/ 1 朽ちていくフォルクスワーゲン/幽霊の正体見たり/なんのオブジェだ
3/ 2 水底の自転車  3/ 3 今日の水底チャリ
3/ 5 たまに鷺/ビルの壁面ぼこぼこ/水底チャリ(PEN D3)
3/ 6 ベジタリアンに向けて昼食改善  3/ 9 芸術、とは  3/10 この写真のどこかに猫がいて、寝てます/川底
3/11 狛犬ちゃん  3/12 日曜はイギリス人の如く/お出迎え/歪み  3/13 猫に呼ばれて/合成洗剤をやめて、せっけんを使おう
3/14 あ、向こうからキジトラが/空のことは  3/16 薦める理由  3/18 曇天
3/19 やけに明るい夜/スイッチバック/WEEKLY JACKETS/素敵なラブリーボーイ  3/20 鏡と雲/雲の写真、多し
3/21 引潮時/呼びかけ  3/22 海への門  3/23 門の向こうに何がある  3/26 mirror/"ほぼ"ベジタリアンカレー
3/27 ドーム/川底の自転車/ツキノアカリ/イチレンタ(苦笑)  3/28 旧国鉄宇品線の名残/地下通路
3/29 線路下をくぐる  3/30 生きるために(別室ブログでの更新です)LEON  3/31 納豆スパゲッティ

納豆スパゲッティ

2006年03月31日 21時09分41秒 | ベジタリアン
 仕事をしながら、今夜の夕食を何にしようか考える。納豆スパゲッティはどうだという結論に至る。なかなか旨かった。

 ところで先日、カレーの残りを始末するのにスパゲッティを作ったのだが、驚くべきことにスパゲッティを茹であげてから我が家にはフォークがない(!)ことに気づいたのだった。しょうがないから箸でずるずると食べたよ。別に誰が見ているわけでもなし、ねえ、イタリアの人たちだって周りに誰もいない時にはずるずる音を立てて食べているかもしれないじゃない?

 しかしそういう理由付けはいかん。というわけで仕事の帰りに、皿(楕円形のお皿がいいような気がした)とフォーク、納豆と紫蘇の葉を買って帰る。完璧だぜ。

 スパゲッティを茹でる間に、紫蘇を刻み、納豆をまぜ、皿に胡麻油と醤油、少量の酢、胡椒。アル・デンテに茹であがった麺をトングで直接皿に盛り、混ぜ合わせる。やや固めなので茹で汁も少し足してみる。納豆をのせ紫蘇の葉を散らし、胡麻を少々ふる。うむむ、うまいぞ。

 あ、こういうときは挽き割り納豆の方がよかったのかもしれないね、麺によく絡むように。

(しかし以前から個人的に俺を知る人は、俺が納豆を旨い旨い言って食べている姿を想像できないかもね。5年ほど前まで、大っ嫌いだったから。俺が割とスムーズに肉抜きの食生活に移行できたのは、納豆を好きになれたおかげなのかもしれない。)

LEON

2006年03月30日 23時30分10秒 | ヨタ話/写真

 やや時機を逸した感もあるのだがとにかく書いておきたかったことなので書いておく。

 数カ月前のあるテレビ番組で、チョイ悪オヤジを目指す男どものパーティー会場への取材がなされていた。そのパーティーの参加者のひとり。いっぱしのチョイ悪オヤジになるべく、「LEON」を毎号読んでいるのだそうな。

 あほか。真のチョイ悪オヤジ(というのがどんなものだか知らぬがね)になるような男はあのような雑誌の後追いなんぞは決してしないものだ。男女問わず、ファッションというものはそういうものではないかね。あらゆる雑誌を事細かくチェックして流行の最先端を行っているかのように振舞う人もいるが、雑誌に載った時点でそのファッションはすでに最先端からは後退しているのだよ。

 常に最新号のLEONを読んでいる男?そんな男は半径50メートル以内に近づいてほしくはないな。そのファッションや生き方は所詮人まねでしかないし、だいいちそれでモテようとしているなんて、浅ましいことこの上ないではないか。

線路下をくぐる

2006年03月29日 00時00分01秒 | ヨタ話/写真
 線路下をくぐる道。こういう蛍光灯は不粋だ。

 広島駅の駅構内の地下通路なんかもこういうタイプのむき出しの蛍光灯が設置されている。明るいのはいいのだが、その光は白々しい。ペンキがべったりと塗られたコンクリートのトンネル。その道を歩くのに何のよろこびも抱けないのだ。

 都市開発というのは、こういう細かいところにも目が向けられるべきだと思うのだがいかがか。○○のお店がある、では駄目なのだ。

川底の自転車

2006年03月27日 18時59分34秒 | 自転車
 別にシリーズものにしようというつもりはないのだが、目に入ってしまうものは仕方がない。散歩中、川底に目を遣ると自転車がある。雁木のそばなのでちょっと下りて近くで撮ってみる。

 

 右の写真は、去り際に撮ったもの。足跡がついているのがわかるだろうか。下りてみるまで、川底の土があんなに柔らかいものだとは思わなかった。

 たとえば俺の足がもっと小さく、つまり足裏の面積がもっと小さかったのなら、あのままズブズブと川底の土の中へと埋まってしまっていたかもしれない。そうするとこの記事をアップすることもできなかったわけだ。なるほど、俺のこの大足(メーカーにもよるが29センチ)はこういうときのためにあったのだ。

 世の中はうまくできているものなのである。

ドーム

2006年03月27日 10時42分35秒 | ヨタ話/写真

 また原爆ドームを撮ってみた。特別な思いあってのことではない。

 普段は人のいない時を狙って写真を撮ることの方が多い。そのせいか、静かな写真が多くなっている気がする。こうして後ろ姿とはいえ人が入ると、それだけで写真に動きというのか、いくらかでも生命感が生まれるようだ。

"ほぼ"ベジタリアンカレー

2006年03月26日 20時24分34秒 | ベジタリアン

 夕食にカレーを作った。買い物に行く前までは、カレールーに入っているであろう牛脂やラード、あるいはチキンエキスの類いのものはまあまあ妥協する「不完全ベジタリアンカレー」にするつもりだったのだが、S&Bの粉末カレールウ(カレー粉ではない)の原料を見てみると「牛肉関連原材料不使用・植物油脂使用(乳製品を除く牛由来原材料は使用しておりません)」とある。なるほど、これはよい。乳製品については完全には避けてはいない(缶コーヒーやチョコレートは口にするので)のだから俺としては問題はない。とりあえずは作ってみよう。

 材料:ジャガイモ、ニンジン、玉葱、チンゲン菜、蒸し大豆、粉末のカレールウ、トマトソース

 作り方は、肉が入っていない意外はごく普通のカレーの手順と変わりはない。野菜を炒めて水を入れ、しばらく煮た後にトマトソースを加えさらに煮込み、一旦火を止めカレールウを振り入れ、またしばらく煮込んで出来上がり。
   

 で、とりあえず丼に(これが使いやすいのです)よそって食べてみる。ふむ、予想通りちょいとコクが足りないかな。なんというか、ストレートなカレーの味。しかし今日のところはこれでいいのだ。今後のための実験なのだし、だいいち、思っていたよりずっと旨いのだからね。

 改めて思う。やり方次第で、肉抜きでもちゃんとカレーは作れるものなのだ。次回はここにシメジやブロッコリーを足してみよう。旨味が格段に違うはずだ。


追記:この記事を更新したあとで二杯目を食べてみたらやっぱり味が馴染んできたようで、ウマウマカレーになっておりました。やっぱりいくらかでも寝かせればいい味になるのだね。

mirror

2006年03月26日 16時38分14秒 | ヨタ話/写真

 今日の仮面ライダーカブトでザビーザクターがカガミ君を選んだこととは何の関係もなく、鏡の写真をいくつか御覧いただく。

 

 どことなくモノガナシイ感があるのだ、この鏡には。

 ほんとうならこういうものがなくても見通しのいい道であるべきなのだ。

 敷地いっぱいに庭を広げ、曲り角ギリギリにびしりとブロック塀をはりめぐらす。それは確かに「普通のこと」ではある。しかしそれがために人も車もオドオドして通行せねばならぬ現状はどうだ。このような鏡に頼らねばならぬ、これが昔に憧れた未来の、21世紀の世の中か。

 …なんてね、ちょっと大袈裟だけどそんなふうに考えてしまうよ。

呼びかけ

2006年03月21日 22時40分36秒 | ヨタ話/写真

 卒業式シーズンだ。俺の大っ嫌いなものの一つ「呼びかけ」がまたあちこちの小中学校でおこなわれていることだろう。「きゅうしょくのおじさん、おばさん、ありがとう」「ありがとう!」みたいな、あれ。

 俺自身が小学校を卒業する時にやってから今に至るまで、あれに感動を憶えたことは一度もない(これはあくまで個人的な意見なので、あれに感動を憶える人にとって今日のこの文章はむかつくかもしれない。だとしたらもうしわけないが、これは見解の相違だということで勘弁願う)。ああいう嘘くさいセレモニーはやめてほしいのだ。仮に俺に子供がいたとして、卒業式に(親だから)出席したとして、「呼びかけ」の時間はやはり苦痛に感じるのだろう。虫酸が走る。

 とはいえ、卒業式のような予定調和の世界の中でおこなわれる「呼びかけ」ならば、嫌いで虫酸が走ったとしてもまだ許せるものはある。しかし数年前に見たニュースでの「呼びかけ」は許せなかったな。

 小学生の子が殺されてしまった事件があったのだ。その小学校で、その子を偲ぶ全校集会のようなものがおこなわれ、その場で在校生による「呼びかけ」がおこなわれたのだ。ニュース取材のテレビカメラの前で。練習したのだろうな、やっぱり。一度や二度の練習でうまくいくものではないよな、あれって。そう考えたらその「呼びかけ」セレモニーがものすごく嘘くさく見えてきてしまってニュースを見続けるのが恥ずかしくなってしまったのだよ。

 ま、それに比べれば卒業式の「呼びかけ」はまだ罪が少ないとはいえ、ああいう感動の押し売りが気持ち悪いことには変わりはないのだ。なんだろうね、みんな、そんなに泣きたいのかね。映画で泣き、テレビドラマで泣き、花粉症で泣き…、いいかげんにしてくれ。

 …っていうか、泣きたいなら勝手に泣いとけ。世間を巻き込むな。

 そんな春分の日だ。牡丹餅は食ったか?