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春の名勝負

2017-03-27 | 雑記
このgooブログとやらには、「お題に参加してみよう」などと謳った、カテゴリー記事があって、わしも一つ参加してみようと考えた。

なんせ、「春の勝負パンツは?」とかいう、桃色の空気が紛紛たるものだったからだ。

しかし、わしはパンツを穿いてなかった。なんせ、ふんどしだから。

などと思いながら、お題を検めてみたら、「春のセンバツの名勝負は?」だった。

春の陽気に中てられて、妖気が横溢していたのは、わしの方だったというわけである。


冗談はさておき、いつもさして変わらぬ本題へ参る。



以前、気持ちの悪いコメントをしてくる奴がいた、と書いた。

その態度の気持ち悪さを具体的に評し、それは「あなたを助けてあげているんです」という雰囲気だから、もう来るなとやったら、本当にそうだったという。

具体的には「仲間に引き入れようと思い、正しい知識を授けようとしていた」だったと白状したので、ほぼその通りだったというわけだ。


知識というのは情報を使いこなすことであって、情報に跪くことではないとは、後日さらに書いたものである。


そこでさらに問いを重ねてみようというわけである。


そもそも、正しい知識とかいうものは何か?言ってしまえばそんなものはない。

例えば、戦争が良いか悪いかという話は一度脇に置いて想像してもらう。
実際に戦争に入っている状態で、戦争反対を唱えることは、戦争自体は良くないのは当然としておいても、自他を危険にさらすことになりうるので、情報としては正しいが、知識としては間違えているとなる。

だからといって、「非国民だ!」と非難するのもまた、やりすぎでおかしな話であることは論を俟たない。

元々日本も他の国もぶち壊すために戦争を仕掛けている戦争屋と国々が共謀しているものだとはいえ、やりすぎたら破滅するのもまた事実であるからだ。

この場合は、戦争に入る前に、戦争はよろしくないというのが正しいといえる。戦争やっている最中にいうのが間違いとは言わんが、ヒステリーを起こしている人に向かって言うと捏造しだすので、気をつけるべし、といったところである。


情報を扱うということは、そういうことである。



あのおっさんも、正しい知識がどうこうとよく言っていた。俺はこのことを知らなかったが、知って正しくなった、と言っていたのである。

正しくなったおっさんの正しい言葉を改めてここに記す。

「バカな人類は滅びて当然だ」

実に正しい。それはあなたのことだからだ。


何ゆえか?それは実に単純である。

既に述べたが、情報に跪いただけだからだ。

偶像崇拝というが、知識という名の偶像を崇拝したというわけだ。仏像やら磔刑の石像だけが偶像ではないのである。


余人が知らないことを知ったということでうぬぼれた、というのはよくある話。

うぬぼれるということは、己が矮小な存在であると常々吹き込まれ、凝り固まっているからなのである。

それで、目の前のニンジンに飛びついて、それはただ単に釣り上げられたのだということを知らずに、自分は偉くなったと思い上がる。


我々人類は、バカになるように作り上げられたとはいえ、これが彼の者のいう、「バカな人類」の姿であり、それは正に、当人自身のことである。

自分自身のうちに跪きたくなる程のものの存在を感じえないのだから、あっちこっちで跪いては醜態をさらすというわけだ。

醜態をさらしていると憑かれて疲れるので、他人を跪かせて椅子に仕立てるわけである。

その椅子でふんぞり返っているうちに、二本の脚は萎えて使い物にならなくなるのである。


仲間とやらにするために、「正しい知識」を授けるというのは、上記のやり口でしかないのである。


敢えて気取った言い方をする。

わしは、自身のうちから人類共通の「人間」を見出したので、それ以外のでっち上げに跪くつもりは微塵もない。

仮にそれが思い違いだとしても、わしは「わし自身」に跪く以外に意味はないと信じているだけである。


では、よき終末を。


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