前回の更新の終わりに、「本当は書くつもりだった話あったのに」というフリをしておいた。
そういっておきながら、そっちのけで別の話を思いついたような気がしたのだが、すっかり忘れてしまった。
なんだったか・・・。
確か、ピロリ菌が胃がんの原因というのは変ではないか?という話を聞いてから何か思いついたような気がした。
多分、その後酒を飲んでいたのですっかり忘れたというわけだろう。困った困った。
せっかくなので少々話をしておく。
ピロリ菌というのは、それこそ日本人の胃の中にいるのが当たり前のレベルだそうな。菌が原因で病気を引き起こすというのならば、誰も彼も胃がんにならなくておかしいのだが、実際はならない。
風邪も同じである。年がら年中、風邪の諸症状を引き起こす菌やらは飛び回っている。捻挫、じゃなくてインフルエンザの菌もいることはいるはず。ウイルスか。
だが、それなら年中流行るわけで、ワクチン業界は季節ごとに「秋の流行ワクチン!」だとか、熱でも出したかのような広告を打ち出してもおかしくはないのだが、寒くなってからしか配らない。
配らなくて結構である、というのは前提として、単純に寒くならないとインフルエンザ、つまり風邪にかかる率が低いので出しようがないというわけだろう。
これの前提の説を、タイトルに書いたパスツールという有名人が打ち出した。病原菌説というのだったか。いつもながらわざわざ調べて書いてないので後は任せた。
風邪を引くのは風邪の菌がいるからだ、というわけだ。
だが、菌がどの人も風邪にするならば、乾布摩擦で身体を鍛えてる人でも息も絶え絶えの虚弱体質も等しく風邪を引いていなければおかしくなる。
それはこれこれこうでとかいう理屈はやめておこう。
菌が原因なら毎日が風邪日和である。毎日看病で看病するほうも風邪で、実に世界は平等であろう。ゲホゲホうるさい平和である。
でもなってない。
さて、そのパスツールの同僚の学者が、正反対の説を打ち出していた。
理屈は簡単で、病気になるのは菌があるからじゃなくて、適切な栄養だとか休養が足りてなくて身体が弱ってるからだ、という。
それで菌に負けて風邪を引くのだとなる。
この二説は根本的に西洋人の考えからは離れてない。
「病気や病的状態は悪いこと」という観念からどっちも出ているといえる。
それはさておき。
延々この二人は論争をしていたのだが、病床にあったパスツールはついに、自説が間違いであったことを認めてからお亡くなりになったそうな。
しかし、彼の死後、フランスにはパスツール研究所なるものができ、現在も伝染病の研究をしているのであった。
説を打ち出した本人が「間違えてました」と申したのに、堂々と大手を振って世の中に君臨しているのである。
その流れを汲んで、「菌をなくせば病気がなくなる」という理屈になり、ワクチンに繋がっている。
ワクチンだけではない。「殺菌消毒」のフレーズでそこらじゅう何でも毒ガスを撒いている。
毒ガスとは失敬な!と目くじらを立てる人の方が多かろうが、実際毒である。
毒(例:界面活性剤)を造っている大手の会社が作っているのだから毒には違いない。ひどく大雑把だが、こんな感じである。
昔といって差し支えなくなってきたが、貝割れ大根に強烈な食中毒菌が、というのがあった。O-157と呼ばれる、大腸菌の一種である。
あれは、殺菌のし過ぎで、普段なら他の菌と言ってしまえば三すくみのような状態で暴れなかったのが、均衡が崩れてああなった、といわれている。
でも、殺菌消毒は正しいのです!で物を売っているので引っ込めることもなく、抗生物質では誰も更生出来ないのにおかまいなしといった世の中になっている。
さて、死の間際に間違いを認めた学者の話をもう一つ。
何あろう、ダーウィンである。もしかしたら、先日のラヂヲで言ったかもしれないが、誰も以下省略。
これも上の大雑把な例に漏れず、今も大手を振って歩いている。死んだものが生きているかのように振舞うとは、まるで悪夢のようである。
だが、その悪夢は未だ覚めず。
嘘か真か、悪夢の世界を実現するために、死んだことを忘れているのだとか。
万事が万事、かような始末である。
そんなわけで、習慣や決まり文句で物事を見るのは気をつけるべきである。
「人はこうあるべきだ」と主張するものの「人」とはどのような存在を指すのか?
人だと中傷、じゃなくて抽象に過ぎるなら、「日本人はこうあるべきだ」といったとして、その「日本人」とはどういった存在を想定しているのか?
わたしやあなたを取り巻く常識が上に記した一端のように虚偽に満ち満ちたものから抜け出せていないのなら、
「死んだものが生きているかのように振舞」っているのと変わらないのではないのか?
我々は死霊の夢の中をさ迷い歩くわけには行かないのである。
というわけで、「菌で病気になるなら皆病気になっている!」と叫んで目を覚ましていっていただきたい。
お前こそ目を覚ませ!なんぞといわれるかな、とこういうことを書いてよく思ったものだが、ついぞ言われたことはなかった。
なんせ、「今まで当たり前だと思っていたことは悪い夢だったのではなかろうか?」なんぞという考え方自体、とても思慮深い態度だとは思わんかね。
栩栩然胡蝶也。どっちが夢かはわしにもわからん。
では、よき終末を。
そういっておきながら、そっちのけで別の話を思いついたような気がしたのだが、すっかり忘れてしまった。
なんだったか・・・。
確か、ピロリ菌が胃がんの原因というのは変ではないか?という話を聞いてから何か思いついたような気がした。
多分、その後酒を飲んでいたのですっかり忘れたというわけだろう。困った困った。
せっかくなので少々話をしておく。
ピロリ菌というのは、それこそ日本人の胃の中にいるのが当たり前のレベルだそうな。菌が原因で病気を引き起こすというのならば、誰も彼も胃がんにならなくておかしいのだが、実際はならない。
風邪も同じである。年がら年中、風邪の諸症状を引き起こす菌やらは飛び回っている。捻挫、じゃなくてインフルエンザの菌もいることはいるはず。ウイルスか。
だが、それなら年中流行るわけで、ワクチン業界は季節ごとに「秋の流行ワクチン!」だとか、熱でも出したかのような広告を打ち出してもおかしくはないのだが、寒くなってからしか配らない。
配らなくて結構である、というのは前提として、単純に寒くならないとインフルエンザ、つまり風邪にかかる率が低いので出しようがないというわけだろう。
これの前提の説を、タイトルに書いたパスツールという有名人が打ち出した。病原菌説というのだったか。いつもながらわざわざ調べて書いてないので後は任せた。
風邪を引くのは風邪の菌がいるからだ、というわけだ。
だが、菌がどの人も風邪にするならば、乾布摩擦で身体を鍛えてる人でも息も絶え絶えの虚弱体質も等しく風邪を引いていなければおかしくなる。
それはこれこれこうでとかいう理屈はやめておこう。
菌が原因なら毎日が風邪日和である。毎日看病で看病するほうも風邪で、実に世界は平等であろう。ゲホゲホうるさい平和である。
でもなってない。
さて、そのパスツールの同僚の学者が、正反対の説を打ち出していた。
理屈は簡単で、病気になるのは菌があるからじゃなくて、適切な栄養だとか休養が足りてなくて身体が弱ってるからだ、という。
それで菌に負けて風邪を引くのだとなる。
この二説は根本的に西洋人の考えからは離れてない。
「病気や病的状態は悪いこと」という観念からどっちも出ているといえる。
それはさておき。
延々この二人は論争をしていたのだが、病床にあったパスツールはついに、自説が間違いであったことを認めてからお亡くなりになったそうな。
しかし、彼の死後、フランスにはパスツール研究所なるものができ、現在も伝染病の研究をしているのであった。
説を打ち出した本人が「間違えてました」と申したのに、堂々と大手を振って世の中に君臨しているのである。
その流れを汲んで、「菌をなくせば病気がなくなる」という理屈になり、ワクチンに繋がっている。
ワクチンだけではない。「殺菌消毒」のフレーズでそこらじゅう何でも毒ガスを撒いている。
毒ガスとは失敬な!と目くじらを立てる人の方が多かろうが、実際毒である。
毒(例:界面活性剤)を造っている大手の会社が作っているのだから毒には違いない。ひどく大雑把だが、こんな感じである。
昔といって差し支えなくなってきたが、貝割れ大根に強烈な食中毒菌が、というのがあった。O-157と呼ばれる、大腸菌の一種である。
あれは、殺菌のし過ぎで、普段なら他の菌と言ってしまえば三すくみのような状態で暴れなかったのが、均衡が崩れてああなった、といわれている。
でも、殺菌消毒は正しいのです!で物を売っているので引っ込めることもなく、抗生物質では誰も更生出来ないのにおかまいなしといった世の中になっている。
さて、死の間際に間違いを認めた学者の話をもう一つ。
何あろう、ダーウィンである。もしかしたら、先日のラヂヲで言ったかもしれないが、誰も以下省略。
これも上の大雑把な例に漏れず、今も大手を振って歩いている。死んだものが生きているかのように振舞うとは、まるで悪夢のようである。
だが、その悪夢は未だ覚めず。
嘘か真か、悪夢の世界を実現するために、死んだことを忘れているのだとか。
万事が万事、かような始末である。
そんなわけで、習慣や決まり文句で物事を見るのは気をつけるべきである。
「人はこうあるべきだ」と主張するものの「人」とはどのような存在を指すのか?
人だと中傷、じゃなくて抽象に過ぎるなら、「日本人はこうあるべきだ」といったとして、その「日本人」とはどういった存在を想定しているのか?
わたしやあなたを取り巻く常識が上に記した一端のように虚偽に満ち満ちたものから抜け出せていないのなら、
「死んだものが生きているかのように振舞」っているのと変わらないのではないのか?
我々は死霊の夢の中をさ迷い歩くわけには行かないのである。
というわけで、「菌で病気になるなら皆病気になっている!」と叫んで目を覚ましていっていただきたい。
お前こそ目を覚ませ!なんぞといわれるかな、とこういうことを書いてよく思ったものだが、ついぞ言われたことはなかった。
なんせ、「今まで当たり前だと思っていたことは悪い夢だったのではなかろうか?」なんぞという考え方自体、とても思慮深い態度だとは思わんかね。
栩栩然胡蝶也。どっちが夢かはわしにもわからん。
では、よき終末を。