5年前の3月11日,私は当時事務局長をしていた自由法曹団の本部で執行部会議をやっていた。
14時からだらだらと始まって,さぁきちんとやろう,としたところに,大きな揺れがやって来た。
あまりはっきり覚えていないのだが,大きな上下動と,いつまでも続くストロークの長い横揺れが続いていたと思う。
執行部の何人かは,外へ様子を見に行った。私も,団本部の部屋(マンションの2階)から外へ出てみて,ずっと揺れ続けている電線に不気味さを感じた。
部屋に戻って,とにかくテレビをつけた。部屋からは春日通り越しに,礫川公園が見えるのだが,道路は段々と渋滞し,公園へ向かう人並みが増えていた。
そして,あの大津波に襲われている映像が流れた。部屋にいた私たちは,ただそれを呆然と見ているだけだった。漁船が岸壁を乗り越えて内陸へと流れていった。街が,人や車や家ごと茶色い津波に飲まれていった。
交通機関が動いていないというので,私たちはずっとテレビを見続けた。ある意味,リアルタイムで何が起きつつあるのかを,割と知ることが出来た方だった。
8時過ぎだったか,地下鉄が動き出すというので,私は団本部を出た。
3時間以上かけて,自宅になんとかたどり着いた。
しかし,すべてはこれから始まるのだった。