ロンドンにある母校、(現)Inter National School of Corporeal Mime(コーポリアル・マイム国際学校)の同級生だったオーストラリア人のジョディ・マンディさんが大阪へ来ました。
彼女の家族は5人ですが、彼女だけ耳が聞こえます。こういった状況で育った人をコーダ(CODA)と呼ぶそうです。そんな彼女、今は手話通訳者であり、女優であり、演出家であり、聴覚の不自由な人たちと一緒に舞台に立ったり、目で見て楽しめる舞台を作ったり、と、色々なことに挑戦するアーティストです。
2009年から始まった彼女の映像プロジェクト”Worlds Within(ワールズ ウィズイン)”を今回は大阪で聴覚の不自由な人たちと一緒に作りたいということで、私がコーディネーターとなって執り行った次第です。
その活動を通して、あまりにもたくさんの出会いがあり、あまりにもたくさんの人々の協力により遂行できましたので、小分け小分けで紹介していこうと思います。
前回の続き
*2011.8.5
大東市手話サークル「虹」に参加
前回のブログ「ジョディ マンディ到着」「ジョディ マンディとその出会い1」でご紹介しました、大東市手話サークル「虹」さんの集まりに、参加させて頂くことができました。
この日ジョディさんは昨日完成した日本の映像を含んだ映像プロジェクト”Worlds Within”を皆さんに見てもらいたいということで、朝から準備をしておりました。
サークル「虹」の会合では、ジョディ英語→私の通訳→サークルの方の手話、といった流れでお話をしました。
ジョディさんは”Worlds Within”の始まりカンボジア、オーストラリア、そして日本の子供達やその環境の違い、ビデオ撮影の様子などを話し、それを皆さんうなずきながら聞いてくださいました。
そしてビデオのプレゼン
その後は質疑や感想などなど、たくさんのお声を聞くことができ、皆さんビデオを通して色々と受け止めてくださったようです。
そして、ジョディの「では最後に1つだけ、何かご質問があればお伺いします」に対していただいたのは、
「これからあなたは色んな国へ行かれることもあるでしょう。体だけは気をつけて、がんばってください」
私はてっきり「質問」が来るかと思っていたのですが、なんと優しい言葉をいただいたことでしょうか。
私も一度日本を離れて戻ってきた身ですが、帰国してまず実感したのが、日本人の「思いやり」や「気遣い」。ジョディも短い滞在期間中に「日本人は常に自分のことよりも他人のことを考えている」とよく言っていました。
その通りだと思います。
最後の質問でいただいたのは今回の出会いの中で、一番心に留まった言葉でした。
皆さんとご一緒できた時間は短かったですが、とても良い時間でした。
私達を受け入れてくださり、本当にありがとうございました。
皆さんと次にお会いできる事を楽しみにしております。
そして、心身共に健康でいてくださいね。
to be continued...