ロンドンにある母校、(現)Inter National School of Corporeal Mime(コーポリアル・マイム国際学校)の同級生だったオーストラリア人のジョディ・マンディさんが大阪へ来ました。
彼女の家族は5人ですが、彼女だけ耳が聞こえます。こういった状況で育った人をコーダ(CODA)と呼ぶそうです。そんな彼女、今は手話通訳者であり、女優であり、演出家であり、聴覚の不自由な人たちと一緒に舞台に立ったり、目で見て楽しめる舞台を作ったり、と、色々なことに挑戦するアーティストです。
2009年から始まった彼女の映像プロジェクト”Worlds Within(ワールズ ウィズイン)”を今回は大阪で聴覚の不自由な人たちと一緒に作りたいということで、私がコーディネーターとなって執り行った次第です。
その活動を通して、あまりにもたくさんの出会いがあり、あまりにもたくさんの人々の協力により遂行できましたので、小分け小分けで紹介していこうと思います。
*観光*
*2011.8.10
奈良へ
奈良へドライブ。
そういや彼女の到着から約2週間、常二人で朝から晩までなんやかんや行動を共にしてきましたが、二人でゆっくり観光、、というのは初めてでした。
でも「ゆっくり」というわけにも行かず、この後二人とも稽古へ直行です。。。
この後3日後にジョディちゃん帰国するのかと思うと、奈良の静けさが寂しく感じられました。

*同日
稽古場
毎週1回、マイムの稽古をしています。
今日は彼女も参加です。
いつも通りのアップにルーティンウォーク、でも彼女がいるだけで何か皆気合入ってます。
ジョディちゃんも先頭に立ち、皆へエクササイズ紹介。
同じミーム・コーポレル・マイミストからして、えらく難しい事やってました。。。
私もアレをしたのは数年ぶり。
ミーム・コーポレル・ドラマティックに対して火の点いた彼女の勢いは留まるところ知らず。
でも皆は必死で着いて行ってましたし、何だか楽しそうでした。
その後は彼女のプチ・ワークショップ。
”Worlds Within”プロジェクトで子供達に施したテクニック等を教えてもらい、プチ即興など。
そして彼女のビデオ観劇。
ここでの稽古に来ているのは皆、何かしらマイム(言葉を使わない演劇)に触れている人たち。
世界中の聴覚の不自由な人たちにより作られた彼女の映像は、私達の胸にドンと強く打つものがありました。
「手」「顔」「身体」による「表現」。
同じだけど、同じではない。
「表現者」として私達のすべきこと、もっとあるような気がしました。

to be continued...
彼女の家族は5人ですが、彼女だけ耳が聞こえます。こういった状況で育った人をコーダ(CODA)と呼ぶそうです。そんな彼女、今は手話通訳者であり、女優であり、演出家であり、聴覚の不自由な人たちと一緒に舞台に立ったり、目で見て楽しめる舞台を作ったり、と、色々なことに挑戦するアーティストです。
2009年から始まった彼女の映像プロジェクト”Worlds Within(ワールズ ウィズイン)”を今回は大阪で聴覚の不自由な人たちと一緒に作りたいということで、私がコーディネーターとなって執り行った次第です。
その活動を通して、あまりにもたくさんの出会いがあり、あまりにもたくさんの人々の協力により遂行できましたので、小分け小分けで紹介していこうと思います。
*観光*
*2011.8.10
奈良へ
奈良へドライブ。
そういや彼女の到着から約2週間、常二人で朝から晩までなんやかんや行動を共にしてきましたが、二人でゆっくり観光、、というのは初めてでした。
でも「ゆっくり」というわけにも行かず、この後二人とも稽古へ直行です。。。
この後3日後にジョディちゃん帰国するのかと思うと、奈良の静けさが寂しく感じられました。
*同日
稽古場
毎週1回、マイムの稽古をしています。
今日は彼女も参加です。
いつも通りのアップにルーティンウォーク、でも彼女がいるだけで何か皆気合入ってます。
ジョディちゃんも先頭に立ち、皆へエクササイズ紹介。
同じミーム・コーポレル・マイミストからして、えらく難しい事やってました。。。
私もアレをしたのは数年ぶり。
ミーム・コーポレル・ドラマティックに対して火の点いた彼女の勢いは留まるところ知らず。
でも皆は必死で着いて行ってましたし、何だか楽しそうでした。
その後は彼女のプチ・ワークショップ。
”Worlds Within”プロジェクトで子供達に施したテクニック等を教えてもらい、プチ即興など。
そして彼女のビデオ観劇。
ここでの稽古に来ているのは皆、何かしらマイム(言葉を使わない演劇)に触れている人たち。
世界中の聴覚の不自由な人たちにより作られた彼女の映像は、私達の胸にドンと強く打つものがありました。
「手」「顔」「身体」による「表現」。
同じだけど、同じではない。
「表現者」として私達のすべきこと、もっとあるような気がしました。

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