だんだん写真も、現状を伝える写真を出せる勇気も少しずつだが出てきた。まだそれでもその中でもいいのを掲載してる。
今は見るからに認知症の顔になってるのですから。私には優しい賢明なせん母なのだ。
それを学校の教員は見もせず会いもせず
「先生がおかしいのはお母さんがおかしいからなのね」
「おかしくなるのは当たり前」
「もうこの際、お母さんのことはあきらめて、これかrは部活に励んで、そうしたら私も子育てできるし、もう天野先生だけで土日部活持ってくれない、私も子供が小さいから」
私はこれを裁判に訴えるべき弁護士に相談しに行った。
そこで
先生、日本は法治国家ではありません、私も高邁な思想を抱いて弁護士になりました。しかし現実は裁判が長引き耐えられなくなり辞めるもの、県や委員会は譜正義があったと認めても、金の支出を伴くとことは嫌がります。
それで私は裁判を起こせないでいる。
5つもブログを抱えていると、すべてを毎UPしていくの私には難しい、、、でも今やらなければ誰がするか、、、、私しかいないのだから。
私はよく読んでる人は理解してくれると思うけど、母の介護で一年半合計療休を取りました。しかし、もどってみても管理職はハンコを取り上げ、毎日、支給される健康調節のための2時間の療休を取ったことにしてハンコを押し続けた。
だから私はまた体を壊して療休、、、判子が押してあるから彼らは何ら責任を問われない。知り合いの先生に証言してもらわないと無理なのです。それは弁護士さんから聞いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母は記念会以後、少しずつ薬を変え、それが徐々に効果が出てきたようだ。
何度か投薬を変え
「これは強い薬で手足のしびれがでるが、妄想はおさまりますよ」
このお薬はきいた、しばらくは母は不審者のことも口にしなくなり、安心して夜も寝られるようでした。
その年のクリスマス、私と弟は母のクリスマスを祝い讃美歌を歌い、借りてきたクリスマスのビデオを見せ(クリスマスキャロル:母が英文科で読んだ本だ)
、楽しい時も過ごせた、、、それが平穏な最後の、クリスマスだ、、、。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2000年9月12日 23:56
兄上様
報告書を受信致しました。
有り難う御座います。
○○
2000年9月15日 0:16○○
兄上様
本日、保健婦さんに来て戴きましたが、母も大変気に入ってくれた御様子なので、一安心です。
帰り際に「次男さんにも宜敷お伝え下さい・」と言っておりました。兄上チャンスですぞ~~~~~。
母は母で「正道ちゃんのお嫁さんにしたいくらい」と言ってました。
母らしい表現です。
次回は20日の一四〇〇時に来て下さいます。
此で少しずつでも母が良くなってくれれば万歳です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少しでも落ち着くとメールにも冗談が出る。冗談が言えない関係は職場でも最悪だと思う。
最後に努めた学校は、冗談すらいえない、人権、セクハラの大家を自称する除教師、「まるで脂肪の塊だ」私のことを憎々しげに言った。
私は50をすぎ学年主任もし、ここへやってきた。30代初めて口のきき方も知らない。そのくせ生徒の言葉の良さは英文科と国文化のおかげねえ。
だが暇を見つければ「郷ひろみ」の話を昼間からでかい声で、「コンサートですごいのよ、どんどん服脱いで脱いでいって最後はスケスケの着て、、、」
それが職員室で語る言葉か!
「あたし若さと美貌」ですから、、、とか、
この人たちが人権だのセクハラだの、男女平等だの説いて、なんで私の母の介護で帰宅することを妨害する発言をするのだ。
のみならず私自身の身体的特徴から「豚だの脂肪の塊だの」「小さい男はだめねえ」
こういう会話を聞いても校長は一切注意をしてなかった。
なんか言われるのが怖いとか、、、面倒とか、、、アホじゃないか!
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今は見るからに認知症の顔になってるのですから。私には優しい賢明なせん母なのだ。
それを学校の教員は見もせず会いもせず
「先生がおかしいのはお母さんがおかしいからなのね」
「おかしくなるのは当たり前」
「もうこの際、お母さんのことはあきらめて、これかrは部活に励んで、そうしたら私も子育てできるし、もう天野先生だけで土日部活持ってくれない、私も子供が小さいから」
私はこれを裁判に訴えるべき弁護士に相談しに行った。
そこで
先生、日本は法治国家ではありません、私も高邁な思想を抱いて弁護士になりました。しかし現実は裁判が長引き耐えられなくなり辞めるもの、県や委員会は譜正義があったと認めても、金の支出を伴くとことは嫌がります。
それで私は裁判を起こせないでいる。
5つもブログを抱えていると、すべてを毎UPしていくの私には難しい、、、でも今やらなければ誰がするか、、、、私しかいないのだから。
私はよく読んでる人は理解してくれると思うけど、母の介護で一年半合計療休を取りました。しかし、もどってみても管理職はハンコを取り上げ、毎日、支給される健康調節のための2時間の療休を取ったことにしてハンコを押し続けた。
だから私はまた体を壊して療休、、、判子が押してあるから彼らは何ら責任を問われない。知り合いの先生に証言してもらわないと無理なのです。それは弁護士さんから聞いた。
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母は記念会以後、少しずつ薬を変え、それが徐々に効果が出てきたようだ。
何度か投薬を変え
「これは強い薬で手足のしびれがでるが、妄想はおさまりますよ」
このお薬はきいた、しばらくは母は不審者のことも口にしなくなり、安心して夜も寝られるようでした。
その年のクリスマス、私と弟は母のクリスマスを祝い讃美歌を歌い、借りてきたクリスマスのビデオを見せ(クリスマスキャロル:母が英文科で読んだ本だ)
、楽しい時も過ごせた、、、それが平穏な最後の、クリスマスだ、、、。
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2000年9月12日 23:56
兄上様
報告書を受信致しました。
有り難う御座います。
○○
2000年9月15日 0:16○○
兄上様
本日、保健婦さんに来て戴きましたが、母も大変気に入ってくれた御様子なので、一安心です。
帰り際に「次男さんにも宜敷お伝え下さい・」と言っておりました。兄上チャンスですぞ~~~~~。
母は母で「正道ちゃんのお嫁さんにしたいくらい」と言ってました。
母らしい表現です。
次回は20日の一四〇〇時に来て下さいます。
此で少しずつでも母が良くなってくれれば万歳です。
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少しでも落ち着くとメールにも冗談が出る。冗談が言えない関係は職場でも最悪だと思う。
最後に努めた学校は、冗談すらいえない、人権、セクハラの大家を自称する除教師、「まるで脂肪の塊だ」私のことを憎々しげに言った。
私は50をすぎ学年主任もし、ここへやってきた。30代初めて口のきき方も知らない。そのくせ生徒の言葉の良さは英文科と国文化のおかげねえ。
だが暇を見つければ「郷ひろみ」の話を昼間からでかい声で、「コンサートですごいのよ、どんどん服脱いで脱いでいって最後はスケスケの着て、、、」
それが職員室で語る言葉か!
「あたし若さと美貌」ですから、、、とか、
この人たちが人権だのセクハラだの、男女平等だの説いて、なんで私の母の介護で帰宅することを妨害する発言をするのだ。
のみならず私自身の身体的特徴から「豚だの脂肪の塊だの」「小さい男はだめねえ」
こういう会話を聞いても校長は一切注意をしてなかった。
なんか言われるのが怖いとか、、、面倒とか、、、アホじゃないか!
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そんなイカレた輩を語られる際に、
郷ひろみ様の芳名を
引き合いに出さないで頂きたいものです。
意図的ならば、それも致し仕方ございませんが。
いろいろ不安や悩みはつきないと思います。
なるがままに・・・
私は受け入れる事にしました・・・
息抜きして、ご自愛なさって下さいね。
こんなコメントしできないのですか!あなたのような人がいるから、いつまでも差別が残るのです。このコメントは残しておきます。
実に非論理で、浅はかで人の神経を逆なでにするコメントです。
事実は事実ですから、別段俳優の名前をけがしてませんよ。読解力があればそのくらい分かるでしょ。