お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

母の顔

2016-04-19 10:02:59 | Weblog

母は今どのような心境なのだろう

私はどのように見えるのだろう

補聴器は全然使えないから話していることは良く聞こえていない

唇も良く動かないし自分の話している音も聞こえていないから何を話しているのか分からない


ただ、悲しい顔、嬉しそうな顔、嫌がってる顔をはする

話しかけられると、そうそう、うんうん、そうだよ、と答えてあげる。

否定されたり、聞きなおされるのが嫌なのだろうから


介護は家庭で、、それは理想です。

立派な介護施設はいらないから、人材を沢山確保して、職員の待遇をよくすることが大事だと思う。


良い介護は、親密な介護だもの、それは目の届く介護だもの

癌宣告から3年目、血尿が出ても治療は一切しない、それで長生きしてる。


嘘でもいいから母に結婚式の様子を見せたい







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母のいる特養へ聖歌隊を

2016-04-16 15:28:11 | Weblog
母のこと諸々あって教会へは足を運ばなくなった。

教会内の分裂時、母は婦人会長をしていた時だったから、母が苦労し心を悩ましていたことを知っている。

母は誰も敵にすることはしない、それを良いことに言いたい方だった。

それなのに母が認知症になった後その人たちは母を訪ねることもなく、母のことを皆の前で語ろとすると、そのような

ことには我慢できなかった。

それから十数年、一度も歌など歌いに来たこともない、、、、。

牧師が代わり、私も年を取り、母が生きているうちにもう一度讃美歌を聞かせたいその思いが強くなった。

新しい牧師にその話をしたら全員は無理であるが何人か行くという、それもやむを得ない。

他の教会だとクリスチャンで無い人のところにも、家族が教会に来ているからと毎週訪ねたりしているところもあるのに。

でももう争うのも嫌なので、その日を待っている。







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母は今では最長入居者に

2016-04-09 11:09:48 | Weblog
母を特別養護老人ホームに入れて、十数年。
6年間、2000人待ちでの入所だった。
その間に2000人亡くなったってことでもある。

いつの間にか、母は古い方から10番以内の入居者になってしまいました。

最初からお世話になった施設の方とも10年以上のお付き合い、ここで異動、ご一緒に記念写真を撮っていただきました。

母にはここが家です。









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讃美歌を聞き

2016-04-08 13:56:34 | Weblog
久々のブログ更新、一時全国で50番以内まで入ったことがありましたが。

母の介護をめぐり私と弟とのメールを紹介していたので、それが終わった後、やり終えた感があり、更新もままならなくなっていました。

少しでも介護をしている人の参考になればと思って始めたものですもの。


今母は癌です。大正11年生まれですから、癌宣告から3年も生きているのは不思議です。

母にスマホで讃美歌やショパンの曲を聞かせています。

あの年の女性で、ピアノを弾きこなし簡単な曲なら採譜してしまうのは珍しいでしょう。


スマホから流れるメロディーにかすかに指を動かし、口ずさむような母。

それしか親孝行できないもどかしさもあります。


血尿が出たというので心配で特養に行きました。

検査するだけで体に負担になり、死期を早めるというので、治療はしないと決めたのは3年前、

それでも心は動揺しないわけでもない、自分がひどく残酷で無責任のようにも思ったりします。


もはや母に子も妻も見せられる年ではないのですが、それでもその夢を果たしたい思いは消えません。




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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。