お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

逃げ出そうとした母

2011-07-31 21:59:26 | Weblog
母のいる特養の納涼会だった。

母は浴衣に着替えさせてもらい、照れながらも

それでも嬉しそうだった。

ヨーヨーやら玉入れをやったりもした。

こう書くと普通のお年寄りとその子供たちの姿にしか思われないだろうね。

弟と最初に母に会ったときは、浴衣に着替に行くも嫌がった。

席を立つこと、どこかへ行くことが怖いのだ。

今は施設から出てはいけない、、、ということがインプットされているように思われる。

母は静かな人で、ワイワイすることが嫌いな人である。

昔は縁日も行かせてもらえない家庭で育ったようだ。

お嬢さんが香具師がしきる、縁日なんて行くものでない、、ということなのだろう。


別に母の家に限ったことではない、。

大店の娘やら、学者の娘などしつけは今とは比べようもない、、、

私も想像するしかない。

母はその教育を私たちにもさせようと試みた。


私自身、縁日連れて行かれたのはほとんどない、、、屋台で食べることもなかった。

一つには健康を考えてのこと、もうひとつはキリスト教以外の信心になるべく触れさせないように
したかったのだろう。

とりあえず浴衣に着替え、ヨーヨーしたり

玉入れしたり、アイスやらジュースやら飲んで、

そして室内の盆踊り会場に行った。

そのあたりから異変、、、。


おどりの人が母の浴衣の乱れを直そうとしたら


「結構です、、、」

とぶすっとした顔をして、胸を抑えた。


「ああ、何か盗られると思ったのね、、。」

その人はそう話した。

その通りなのだ、、、、昔はなれなれしくそばにより、財布を盗む輩などが縁日やら人混みにいたものだ。

それを思い出したのだろう、、。

お祭りが終わり浴衣を着替えることになった。


そこからが大変だった、、、、。


着替えの部屋の前で、車いすの老婆が騒ぎ出した。

「殺すなら殺せ、南無妙法蓮華経!!、、、、」

暴れながら介護士の腕にかみついたり引っ掻いたり、、、

そのうち部屋の中でバタバタと音がして

「まだパンツをはいてないですよ!」

母が飛び出してきた


母は興奮状態、泣きながら、

「さあ、帰りましょう!!」

まずエレベーターに乗せるのに一苦労

そして母から離れるのに一苦労、、、


母は身ぐるみ脱がされると錯覚したのだろう。

また周囲の興奮状態に刺激されたんだろう。


「家に帰ろう、みんなと帰ろう、、、」



どんなに認知症であっても、家は家


無理難題であろうとも、母は家に帰りたがる、、、

「今日はここにお泊まりだよ」

「かわりにみんなが泊ればいい、私はとても無理だから、、」


理屈に合わない会話、、、でもそれが認知症の人の言葉。


母を強制入院させたのが2002年7月

それまでは毎日、この繰り返しだった、、、。


強制入院、老健を転々、、、それが多くの

認知症を抱える家族の実態、、、




応援クリック↓お願いします。
リンクタグ: 人気ブログランキングへ

呪縛

2011-07-03 23:56:50 | Weblog
応援クリック↓お願いします。
リンクタグ: 人気ブログランキングへ

父のことを書いているのだけど、母のことが心配。

母は昨日から熱が38度でた。


おみままいに行っても、顔を毛布で覆って隠そうとする。


私はきらわれているんだろうな、、。

寝顔を見られたくないと言う大正時代の良家の娘の躾が生きていることも事実。


しばし、たった一人きりで母の部屋にいた、、、

涙がこみ上げる。


もう結婚して、子をもうけることなどできない。

母は私に期待した、期待しすぎた、、、、




母はは長女として、
若いころから責任感が強い、大の学問好きである。


私に期待しすぎたんだろうね。

私に、信仰深く大卒の女をあてがおうとしたんだ。


でも母やら教会の婦人連が進めてきたのは、暗く、陰にこもり、疲れる女性ばかりだ。

×一だった李、年上だったり、、、、。


私はおとなしく見えるから、こいつなら文句は言わないだろう、、、母っ子だから母の言うとおりにするだろうから、押しつけてしまえ、、、、それは手に取るように分かった。




こういう進め方をする奴が多い。


僕と友情やら、交流を失うのならそうしろ。



私は救世軍じゃない、、、。

かなりきつい書き方するけど、、、人を小さいからと言って、どうでもよい女を紹介するな。


、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


母にはすまない、本当だったら良い大学出て、きれいな奥さん、可愛い子を母に見せていたはずだ、、、、。



母は隣の家で渡り廊下で行き来できたはず、、、、

あまりの悔しさに、呪いを感じた。

天野家の呪縛、、、、、いつか話すだろう、、、、。

お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。