東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

山形ホテル跡(1)

2010年08月13日 | 荷風

 

上の写真は、今年の1月に六本木一丁目駅近くの「麻布市兵衛町ホームズ」の角に立っている山形ホテル跡の説明パネルを撮ったものである。石板に金属パネルが貼りつけられている。

この説明パネルは、以前の消えた地名・その記憶御組坂(3)の記事で紹介した。


 
この辺りの再開発で新たにできた泉ガーデンの通りを南側に進み、御組坂の坂下を左に見て歩き、突き当たりの右角に立っている。

上記の後者の記事にのせた写真を左に再度掲げる。

この写真は南側から撮ったものである。

上の説明文にあるように、昭和47年(1972)に竣工した麻布パインクレストというマンションが建て替えられて麻布市兵衛町ホームズが完成したが、その記念碑の意味もあるようである。

右の写真は上左の写真の通り寄りを撮ったもので、説明パネルはこの写真から外れた左側にある。

泉ガーデンの車道と歩道が見えるが、この歩道を写真奥側(北側)に歩いていくと、偏奇館跡の記念碑が左側に立っている。

以前の記事のように、永井荷風が大正八年(1919)の秋に始めて麻布市兵衛町の陋屋を訪れたときの様子が「枇杷の花」に描かれているが、山形ホテルについて次のように記述されている。

「山形ホテルの門内に軍服らしいものを着た外国人が大勢立話をしてゐるのを見て、何事かと立止つて様子をきくと、此のホテルはチエコ、スロバキア国義勇軍の士官に貸切りになつてゐるとの事であった。」

荷風はこの後、この近くの偏奇館に住むことになって、山形ホテルは、荷風が食事や接客などでよく使い、このため有名になっている、といっても過言ではない。

偏奇館と山形ホテルとは、偏奇館あたりの風景(1)の記事のように、崖を隔てて向かいあっており、直線距離にすれば、上の説明文のとおり、100m程度である。
(続く)

参考文献
「荷風全集第十七巻」 (岩波書店)

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