東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

八幡坂(小山)

2015年02月05日 | 坂道

八幡坂(小山)下 八幡坂(小山)下 八幡坂(小山)下 八幡坂周辺明治44年地図 前回の江戸見坂上をさらに上り、平坦になった四差路を左折すると、ちょっとした下り坂になる。神社の塀で行き止まりになるので、左折し、この神社の裏手の道をちょっと下ると、右手に小山八幡神社の境内の出入口がある。境内に入ってそこからの風景を眺めてから、先ほどの神社裏手の道にもどる。下ると八幡坂の中腹に出る。江戸見坂上を左折すれば、こんな迂回をせずに八幡坂であったが、このときは、上の平坦な所が坂上と思っていた。

右折しいったん坂下まで下り、坂下の信号のある交差点で引き返し坂を上る(現代地図)。小山六丁目22番と荏原七丁目5番との間を西へ上る坂。

坂下の交差点から坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、中程度の勾配でまっすぐに上る。

ちょっと進んでから振り返って坂下を撮ったのが二枚目で、この先で、暗渠化された立会川の上にできた立会道路と交差する。ここも立会川の流域から荏原台地へ上る坂である。

さらに坂上側に歩いてから坂上側を撮ったのが三枚目で、このあたりではまだ緩やかである。

四枚目は、明治44年(1911)の地図のこのあたりの部分図である。中央左斜め下の天祖神社が、その右(東)となりに摩耶寺があるので、小山八幡神社で、その上(北)にある道がこの八幡坂である。坂下に立会川が流れているのがわかる。

八幡坂(小山)中腹 八幡坂(小山)中腹 八幡坂(小山)中腹 八幡坂周辺昭和16年地図 さらに上ってから坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、勾配がかなりつきはじめている。

ちょっと進んでから振り返って坂下側を撮ったのが二枚目、そのあたりで坂上側を撮ったのが三枚目である。

四枚目は、昭和16年(1941)発行の地図のこのあたりの部分図で、この坂名が見える。この昭和地図をみると、先ほどの八幡神社裏手の道がつながる坂中腹の下側の道幅が狭くなっているが、現在はそうなっていない。戦後に改修されたのであろうか。

八幡坂(小山)中腹 八幡坂(小山)中腹 八幡坂(小山)上 八幡坂(小山)上 さらに上ってから坂上方面を撮ったのが一枚目の写真、そのあたりから坂下側を撮ったのが二枚目である。

さらに進んで坂上側を撮ったのが三枚目で、坂上が見えてきた。そこからさらに上ってから坂下側を撮ったのが四枚目である。

この坂が品川区HPで次のように説明されている。

『名称の由来は定かではありませんが、小山八幡神社の近くにあることからこの名前がついたのではないかと言われてます。』

小山八幡神社は、荏原七福神の一つ「大国天」をまつる。となりの摩耶寺もその一つ「寿老人」をまつる。他の五つは、大井蔵王権現神社の「福禄寿」、不動院・東光寺の「毘沙門天」、上神明天祖神社の「弁財天」、法蓮寺の「恵比寿」、養玉院・如来寺の「布袋尊」。ちょうどきょうの東京新聞夕刊にのっていた。

八幡坂(小山)上 八幡坂(小山)上 小山八幡神社境内からの風景 小山八幡神社下そのあたりから坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、この先で江戸見坂の坂上と交差する。

その交差点から坂下側を撮ったのが二枚目で、この左(北)が江戸見坂の下りである。

ここから坂を下り、中腹で右折し、小山八幡神社に入る。高台で東側の見晴らしがよい。三枚目は、そこから撮った風景である。

神社の階段を下ったところで、上側を撮ったのが四枚目で、下に写っているのは「しながわ百景」のプレートである。

品川区HPで、坂の延長が約220m、高低差が10.8m、最大勾配が9.0%(5.1度)となっている。江戸見坂よりも長い。

同名の坂が同じ品川区の戸越銀座近くにある。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「東京市15区・近傍34町村⑰荏原郡大井町・平塚村全図」(人文社)
「地形社編 昭和十六年 大東京三十五區内⑲荏原區詳細図」(人文社)
「東京人 april 2007 no.238 特集東京は坂の町」(都市出版)
菅原健二「川の地図辞典」(之潮)

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