東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

芋洗坂~饂飩坂

2010年10月22日 | 坂道

市三坂上の六本木交差点を西側に渡り、ほんのちょっと進むと、左手に芋洗坂の真新しい標柱が立っている。坂上から繁華街の中をまっすぐに下っている。標柱には次の説明がある。

「いもあらいざか 正しくは麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以後にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。」

尾張屋板江戸切絵図をみると、現在の坂上よりも少し下側(南側)に、芋洗坂、とある。坂途中に朝日稲荷があり、坂下には、北日ヶ窪町、南日ヶ窪町が道の両脇にある。

しかし、近江屋板の位置は違う。現在の坂上から下り、一本目を右折した西向きの道に、芋洗坂とあり、西側が坂上である。尾張屋板の芋洗坂に相当する坂には坂マークの三角印△があるだけである。坂上側の道に、西丸御書院組とある(尾張屋板では、道の両側に御書院番組の屋敷がある)。

左の写真は、標柱の立っている坂上から下ったところから坂上を撮ったものである。

左側に赤いトラックがみえるが、この道のさきが近江屋板で示す芋洗坂である。

この道を進むと、右手に麻布警察署裏があるので、「正しくは麻布警察署裏へ上る道をいった」とする標柱の説明は、近江屋板が示す芋洗坂を正しい位置とする立場に基づくものである。

「御府内備考」には、「芋洗坂は、日ヶ窪より六本木へのぼる坂なり、坂下に稲荷社あり、麻布氷川の持なり、」とあり、尾張屋板と同じである。

標柱のある坂上から下って芋洗坂の中ほどを左折して進むと、上り坂になるが、ここに饂飩坂の標柱が立っている。下右の写真は坂下から撮ったものである。

写真左に写っている標柱には次の説明がある。

「うどんざか 天明年間末(1788)頃まで松屋伊兵衛という、うどん屋があったために、うどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗坂とまちがうことがある。」

この坂はまっすぐ北側に上り、短く、坂下側で勾配がちょっとあるが、坂上側で緩やかになる。坂上は外苑東通りにつながる。

この坂下はちょっと複雑で、芋洗坂から左折すると、この北に向いた坂道以外にもう一本、東(右の写真の右手)に延びる道がある。地図によれば、その東向きの道を進み、突き当たりを左折すると、すぐに外苑東通りにでる。饂飩坂と、そこから東向きの道と、左折した短い道と、外苑東通りとで台形状の一区画を形成している。

江戸切絵図をみると、この台形状の区画があり、江戸時代から続くものであることがわかる。この外苑東通りの反対側には、前回の閻魔坂の坂上がある。

左の写真は坂上から撮ったものである。坂上にも標柱が立っている。

この饂飩坂について「御府内備考」は、温飩坂と書き、「六本木より日ヶ窪へ下る芋洗坂中程より右へ組屋敷の方へ行坂なり。江戸志」とし、饂飩坂は、近江屋板が芋洗坂と示す坂となってしまう。

以上のように、芋洗坂と饂飩坂の位置は、江戸切絵図の尾張屋板・近江屋板、御府内備考を参照しただけでそれぞれまちまちで、違っていることがわかる。
(続く)

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
横関英一「続 江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
「大日本地誌体系 御府内備考 第四巻」(雄山閣)

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