事件三日目の「断腸亭日乗」は次のとおりである。
「二月廿八日。朝来雪また降り来る。午後銀座に徃く。霞関日比谷虎の門あたり一帯に通行留なり。叛軍は工事中の議事堂を本営となせる由。雪は四時頃に至りて歇む。茶店久辺留に少憩し薄暮宇田川乗替の電車にて帰る。燈下マルクオルランの小説女騎士エルザを読む。春寒尚料峭たり。」
事件三日目も朝から雪が降ったが、午後銀座に行った。この日は、霞ヶ関、日比谷、虎の門のあたりが通行留になったためと思われるが、宇田川(浜松町のあたり)乗替の電車で帰った。まだ寒かったようだ。
事件についての報道はまだ少なかったようで、日乗の記述も少ないが、叛軍となっているのが、眼にとまる。この日、午前5時8分、決起部隊の原隊復帰を命ずる奉勅命令が厳戒司令官によって公布され、このときから決起部隊は一転して叛乱軍となったが、そのことが報道されたのであろうか。
戒厳参謀の石原莞爾大佐は奉勅命令が下ったのだから従わなければ武力鎮圧をするとしたようで、そういった動きのためか霞ヶ関や虎の門などが交通留となって緊迫感が出てきたようである。
工事中の議事堂を本営とするようだとあるが、誤報のようである。上の首相官邸周辺地図(昭和11年頃)は、大内力「日本の歴史24 ファシズムへの道」(中公文庫)426頁からの引用であるが、決起部隊は、首相官邸、山王ホテル、警視庁、陸軍大臣官邸などを占拠し、陸軍中枢の陸軍省、参謀本部、陸相官邸を包囲・遮断し、陸相官邸を作戦本部とした。
陸軍省、参謀本部が三宅坂にあったので、上記の奉勅命令にも「三宅坂附近ヲ占拠シアル将校」とある。いまの憲政記念館のあたりであろう。
陸軍省、参謀本部、陸相官邸と首相官邸、山王ホテルとの間に議事堂があり、地理的にはここが中心となっている。
上の地図で首相官邸と外務大臣官邸との間から南へ延びる道が霊南坂、荷風の偏奇館近くの市兵衛町の表通りと思われる。
(続く)
参考文献
永井荷風「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
平塚柾緒「2・26事件」(河出文庫)