東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

三井坂

2015年01月27日 | 坂道

三井坂下 三井坂下 三井坂下 三井坂下 前回の八幡坂下から右折し戸越銀座の通りを東へ進み、二本目を右折すると、三井坂下である(現代地図)。戸越二丁目7番と豊町一丁目5番の間を南に上る。

この坂は、清水坂宮前坂と同じように、まっすぐに上って、そのまま坂上にいたるが、清水坂や宮前坂よりも道幅が狭く、ひっそりとした雰囲気になっている。戸越銀座通りの脇道であるが裏道を感じさせる。

通りから曲がってすぐのところから坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、坂下はしばらくかなり緩やかである。

さらに進んでから坂上側を撮ったのが二枚目で、まだ緩やかであるが、さらに歩いてから撮った三枚目では、勾配がはじまっている。

そのあたりから振り返って通り側を撮ったのが四枚目で、この坂はT字路になっていることがわかる。

品川区HPに次の説明がある。

『戸越銀座通りから戸越小学校に向かう坂を呼んでいます。
 戸越公園・戸越小学校・国文学資料館等この辺一帯は、かつて三井農園・三井文庫があったところであり、この名称はそのためです。
 現在坂の途中にある民家の塀に、昭和2年11月に建てられた「三井坂」の小石標が残されています。』

今回、この小石標には気がつかなかった。

三井坂中腹 三井坂中腹 戸越銀座周辺明治44年地図 戸越銀座周辺昭和16年地図 さらに上ってから坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、その上側から坂上側を撮ったのが二枚目で、このあたりでは中程度の勾配になっている。

三枚目は、明治44年(1911)発行の地図の部分図、四枚目は、昭和16年(1941)発行の地図の部分図である(清水坂、宮前坂、八幡坂の各記事で引用したものと同じ)。

前回の八幡坂は、明治地図で、八幡社と行慶寺の右(東)に上下(南北)に延びる道で、昭和地図でも同様である。

明治地図には、八幡坂の右(東)に上下(南北)に延びる道がなく、明治期にはこの坂はなかったことがわかる。ところが、昭和地図を見ると、この坂ができている。坂上の先(南)に三井文庫があるので、すぐこの坂であることがわかる。

三井資料館HPによれば、1903(明治36)年10月に三井家の修史事業のために日本橋駿河町の三井本館内に三井家編纂室が設立され、三井家編纂室は、その後、1918(大正7)年に荏原郡戸越(現在の品川区豊町)に移転して、三井文庫と名称を変えた。

三井文庫は大正7年(1918)にできたとあるが、この坂もその頃にできたのであろうか。

三井坂中腹 三井坂中腹 三井坂上 三井坂上 さらに上って坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、そのちょっと上から坂下側を撮ったのが二枚目である。このあたりがもっとも傾斜している。

さらに進んで坂上側を撮ったのが三枚目で、坂上が見えてきて、坂上から先に坂よりもちょっと幅広の道がまっすぐに延びている。現代地図には、この先に文庫の森というのがあり、その中に旧三井文庫がある。

品川区HPの三井坂のデータによれば、この坂は延長100m、最大勾配が約9.0%(5.1度)である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「東京市15区・近傍34町村⑰荏原郡大井町・平塚村全図」(人文社)
「地形社編 昭和十六年 大東京三十五區内⑲荏原區詳細図」(人文社)
「東京人 april 2007 no.238 特集東京は坂の町」(都市出版)

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