大阪のタニマチと東京のタニマチはえらいちゃうんやで~。
なんてあたりまえなんですけど、いわゆるパトロンを意味する語源の"タニマチ"は大阪の谷町のほうなんですってね。
昔、お給料を貰えない下っ端の関取衆から、このあたりの幾つかのお医者さんや歯科医さんが治療費をとらなかった事にその地名の由来があると言われています。
ほかにもお食事を振舞われたり、お小遣いを貰ったりと、関取や芸人さんたちエンターテイナーにとっては、とーってもありがたい人たち…が住んでいたというエリアなんですね。
実際大阪の谷町筋は江戸時代はかなりのアップタウンだったそうで、天王寺あたりまで立派なお屋敷がずらり並んでいたとか。
…今はビルが林立する普通の都会…
「ビルが林立」という意味では、東京の谷町も変わりませんが…。
さてその東京の「谷町」は、わが職場より至近、丁度東京全日空ホテルあたりから溜池までの地域を指し、地名としては赤坂一丁目から二丁目あたりを言うようです。
昔、赤坂福榎町といったあたり(赤坂二丁目から赤坂通りに坂を上がる付近のエリア)の隣がそう呼ばれたらしいけど、谷町という地名はいまは現存しておらず、首都高のインターチェンジの名称と「溜池」という交差点の名前に、その由来と名残を探ることが出来るのみです。
共同通信社ビルからアメリカ大使館やホテルオークラのあるあたり、…正確には虎ノ門ですが、このあたりは昔からお屋敷エリアだったみたいで、ここから下のエリア…つまり「霊南坂」の下、(つまりアークヒルズや泉ガーデンのあるあたり)は急な崖になっていて、反対側の福榎町を挟み、崖の下は所謂「谷」でした。溜池交差点はその崖のさらにくぼんだ沼地だったところ、まさしく溜池であったわけで、今でも大雨が降ると水たまりが出来てしまいます。
この谷の北側斜面には昔から無数の墓地があり、このあたりから六本木まではずーっとお墓の町であったようです。(六本木の裏通りは、今でもお墓だらけよね)
住友グループが自社地を中心に再開発した「泉ガーデン」は、ほんの数年前までこの谷を望むお墓のエリアでした。「霊南坂」という溜池の下から延びる坂の名前も、なんかそんな感じでしょ。
実はここのお墓風景…私、子供の頃の記憶が残っているんです。
…アークヒルズは…その昔何があったか覚えていますか…?
記憶は定かではないのですが、森ビルがこのあたりを再開発する前の風景を、私はぼんやり、けれどもある意味でははっきり覚えています。
「東洋曹達」と崖のコンクリート壁に大きく書かれた真っ黒で怖い感じの文字。子供の頃のある日、私は父の運転する車の後部座席から「あれはなんて読むの?」と聞きました。「とうようソーダ」。漢字なのに「ソーダ」という答えが意外で、このフレーズは耳から強烈に、そして目にはその文字のすぐ下にあるたくさんのお墓と卒塔婆の光景とともに、私の記憶に焼きついたのでした。
全く関係ないのに、私の頭の中で「東洋曹達」とお墓は密接な関係のあるものとして、長い間恐怖イメージで関連付けされてしまっていたようです。(東洋曹達さんごめんなさい。今の東ソーさんですね。(現在は芝のファーストビルに移転。))
さて、昔その東洋曹達東京本社があった敷地こそが今のアークヒルズなのですが、この場所と虎ノ門の地名のはざまに、昔も今も桜がとても綺麗な道があります。今の桜並木は植林されたもので、「桜坂」という名前も新しいものかもしれませんが、このエリアの一番のお花見スポットです。私は桜の季節になると、霞ヶ関方面から事務所に戻るとき、わざわざ神谷町からスゥエーデン大使館の脇を抜け、この桜坂を通ってお花見をたのしむんですよ。
写真はライトアップされた「桜坂」と名残惜しい桜。奥のお店はキハチです。オープンエアのテラス席がいくつかありますが、このシーズンはプラチナシートになります。何度も来ている私ですが、残念ながら桜のシーズンには一度もテラスに陣取れたたことがありません…。
…この雨で桜も終わりですねー。
なんてあたりまえなんですけど、いわゆるパトロンを意味する語源の"タニマチ"は大阪の谷町のほうなんですってね。
昔、お給料を貰えない下っ端の関取衆から、このあたりの幾つかのお医者さんや歯科医さんが治療費をとらなかった事にその地名の由来があると言われています。
ほかにもお食事を振舞われたり、お小遣いを貰ったりと、関取や芸人さんたちエンターテイナーにとっては、とーってもありがたい人たち…が住んでいたというエリアなんですね。
実際大阪の谷町筋は江戸時代はかなりのアップタウンだったそうで、天王寺あたりまで立派なお屋敷がずらり並んでいたとか。
…今はビルが林立する普通の都会…
「ビルが林立」という意味では、東京の谷町も変わりませんが…。
さてその東京の「谷町」は、わが職場より至近、丁度東京全日空ホテルあたりから溜池までの地域を指し、地名としては赤坂一丁目から二丁目あたりを言うようです。
昔、赤坂福榎町といったあたり(赤坂二丁目から赤坂通りに坂を上がる付近のエリア)の隣がそう呼ばれたらしいけど、谷町という地名はいまは現存しておらず、首都高のインターチェンジの名称と「溜池」という交差点の名前に、その由来と名残を探ることが出来るのみです。
共同通信社ビルからアメリカ大使館やホテルオークラのあるあたり、…正確には虎ノ門ですが、このあたりは昔からお屋敷エリアだったみたいで、ここから下のエリア…つまり「霊南坂」の下、(つまりアークヒルズや泉ガーデンのあるあたり)は急な崖になっていて、反対側の福榎町を挟み、崖の下は所謂「谷」でした。溜池交差点はその崖のさらにくぼんだ沼地だったところ、まさしく溜池であったわけで、今でも大雨が降ると水たまりが出来てしまいます。
この谷の北側斜面には昔から無数の墓地があり、このあたりから六本木まではずーっとお墓の町であったようです。(六本木の裏通りは、今でもお墓だらけよね)
住友グループが自社地を中心に再開発した「泉ガーデン」は、ほんの数年前までこの谷を望むお墓のエリアでした。「霊南坂」という溜池の下から延びる坂の名前も、なんかそんな感じでしょ。
実はここのお墓風景…私、子供の頃の記憶が残っているんです。
…アークヒルズは…その昔何があったか覚えていますか…?
記憶は定かではないのですが、森ビルがこのあたりを再開発する前の風景を、私はぼんやり、けれどもある意味でははっきり覚えています。
「東洋曹達」と崖のコンクリート壁に大きく書かれた真っ黒で怖い感じの文字。子供の頃のある日、私は父の運転する車の後部座席から「あれはなんて読むの?」と聞きました。「とうようソーダ」。漢字なのに「ソーダ」という答えが意外で、このフレーズは耳から強烈に、そして目にはその文字のすぐ下にあるたくさんのお墓と卒塔婆の光景とともに、私の記憶に焼きついたのでした。
全く関係ないのに、私の頭の中で「東洋曹達」とお墓は密接な関係のあるものとして、長い間恐怖イメージで関連付けされてしまっていたようです。(東洋曹達さんごめんなさい。今の東ソーさんですね。(現在は芝のファーストビルに移転。))
さて、昔その東洋曹達東京本社があった敷地こそが今のアークヒルズなのですが、この場所と虎ノ門の地名のはざまに、昔も今も桜がとても綺麗な道があります。今の桜並木は植林されたもので、「桜坂」という名前も新しいものかもしれませんが、このエリアの一番のお花見スポットです。私は桜の季節になると、霞ヶ関方面から事務所に戻るとき、わざわざ神谷町からスゥエーデン大使館の脇を抜け、この桜坂を通ってお花見をたのしむんですよ。
写真はライトアップされた「桜坂」と名残惜しい桜。奥のお店はキハチです。オープンエアのテラス席がいくつかありますが、このシーズンはプラチナシートになります。何度も来ている私ですが、残念ながら桜のシーズンには一度もテラスに陣取れたたことがありません…。
…この雨で桜も終わりですねー。