ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

石巻、りあすの森スタッフ ’平井 崇昇’ 「震災後、たどり着いた仕事」

2014-02-22 15:16:08 | ぼくらのありのまま記
第一話「震災後たどり着いた場所」

目次はこちらから。

りあすの森が目指すところ。
こんな会社の理事長が立ち上げました。
っていうはなしです。
石巻の技術が東京駅の屋根に使われているんだって!!
今日からです。よろしくお願いします。

たら
今、いろんな人にインタビューして
まわってんだけどさ。
理事長とかね。ハーモニィ関係の人とか。



平井
なんについて?

たら
どんな仕事をして、
どんなことを大切にしているのかとか。

平井
喜んで。


たら
北海道で鮨握ってて。
なにが価値があることなのか
わからなくなっちゃってて。

平井
ふふっ、鮨握ることだべぇ?ふふ


たら
いやっ、そうなんだけどさ。
毎日怒られ過ぎでもうこりゃあ、
価値がみいだせないぞと思って。

平井
そうなんだ。


たら
この半年、毎日、いらない、じゃまだ。
お前と働いていると気が狂う。そんな感じで。

平井
へぇ。


たら
それで、握るの嫌になっちゃってさ。
気仙沼もそうなんだけど。
とりあえず楽しく握りたいなっていうで、
逃げて来てる状態なんだよね。

平井
じゃあなに?今休職中なの?


たら
そう、休職中。貯金でなんとか暮らしてる。
それで今、ここにたどり着いている感じ。
かまちゃんは、震災後、どうやってここまで
たどり着いたの?

平井
おぉおぉおぉ!!
まぁ、まず、震災前から
やめることは決めてたんだよ。
自分のやりたいことがあってさ、
ハーモニィセンターのなかでは
もうできないと思ったから。
あの、それで、やめたわけだよね。


たら
ああ。

平井
で、震災後もとにかく、
いろんなことがぐちゃぐちゃでさ。
2011年の5月くらいにハーモニィへ辞めることを伝えた。


たら
そうそう、
相馬のブログにいきなりかまちゃんが
いつのまにか出てこなくなって。

平井
うん

たら
気付いたら、仙台で
馬の活動してるって話しを誰かから聞いた。
っていうような状況だったんだよね。
自分の中での理解としては、震災があって、
仙台に避難して、そこで、支援活動をしながら
そのまま居着いちゃったっていう感覚だった。

平井
ああ、そっか。なるほどね。前提として。
付き合っている人が仙台にいて。それもあり、
仙台拠点に、始めようとずっと思ってた。
で、やめる準備をしていた矢先に
震災があって。そのとき仙台にいて。
ハーモニィ辞めてからは、
震災復興関係のボランティアとかで
動いてたんだよね。




たら
うんうん

平井
で、ちょっと落ち着いたなって思った頃。
たまたまざおうハーブっていう。
ハーブ会社があって。

たら
ハーブ?香草の?

平井
そう。ここの社長から
「馬を飼かうのが夢なんですよね」という話しが合って、
見学にいったら飼えそうだったので手伝うことになった。
一年間くらいハーブ園も手伝いながら馬を飼う準備をしていたら。
すごい暴風が吹いたのよ。日本中で。

たら
2012年?

平井
そう。
風がふいて、ビニールハウスが壊れて
立て直すのにも予算がかかると。
それで、馬を買うのをやめて
「そちらにまわしてくださいって。」俺から言ったの
それで、馬を飼う話しもゼロに戻って。


たら
うん。

平井
で、その後、今のりあすの森から声がかかったんだよね。
りあすの森はどういう状態かというと。


たら
りあすの森は?
震災以降できた団体なの?

平井
そうそうそう。りあすの森の理事長は
この「よし」あるじゃん。
これ「よし」なんだけど。

たら
「よし」って場所?

平井
「よし」って草、草、草。
「よし」とか「あし」とか言うんだけど。

たら
ああ、「葦」ね!!


葦。震災前は葦の草原だった場所。

平井
うちらは「よし」って言うんだけど。
その葦わらの茅葺き屋根の葺き替えをする会社なの。

たら
へえ!!

平井
茅葺き屋根の職人て今、
少ないんだけど。
さらに葦っていうのは今、
中国産が多いんだけど。
ここの地域では、
自分たちで刈って、乾かして使っている訳よ。
それが、今、日本中で評価が高くて、
その業界では有名な方なんだけど。


たら
伝統芸、職人の技ってことだよね。
その葦葺きは、産業として成り立っていたの?

平井
震災以前はわからないけど、
震災以降とても大変そう。
そもそも、里山もそうなんだけど。
ちゃんと、人が管理する。管理して、循環を作る。
それが今(経済合理的な社会)では、うまくできないわけで。
そんな循環は、自然にも地域にも価値があることだから、
だから、それにストーリーをつけて、提案していくっていう。


たら
うん。

平井
で、葦葺きなんて、昔は日本中見られた景色で。
それは仕事というよりも、地域でまあ、
「今日は屋根葺き、だれんちのやるべか」なんて
地域の仕事だから、(主に動く職人はいたかもしれないけど)
産業ってことでもなかったんだよ。

たら
家で、お母さんがご飯をつくるような感じだね。
でも、よく、続けてる人がいたね。

平井
そうそう、熊谷さんは
そういう提案が上手なんだよね。
今から、熊谷産業に行くけど。
そこは壁も葦葺きになってて。
あの、葦ふきって今、
もう消防法の関係で新しく作れないのよ。
修繕はできるけど、新規はできない。

たら
へええ。

平井
だから、壁にも利用できないかって、
震災以降作った熊谷産業の事務所は、
今、モデルルームも兼ねた建物になってるんだよね。




こちらが葦壁。


で、(地域でも生産されている)石のスレート、
スレート石屋根も手がけているんだけど。


こちらが雄勝スレートの屋根やね。

東京駅最近、変わったんだけど、その屋根を手がけたのも、
理事長の会社なんだよね。熊谷産業というんだけど。


たら
すごいじゃん!!!


こちらがその時のポスター。


平井
で震災以降。熊谷さんがこれは復興じゃない、新興だと。
「あたらしい村をつくらなくてはいけない」っていうことで。
今の、事務局長と、東京の人なんだけど、
意気投合してつくったNPOがりあすの森なんだよね。


たら
へえー!!

次へ

今日はここまでです。
乾燥をおくる。
arinomamaki@gmail.com

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