ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

板長 戦跡ツアー 1

2014-01-04 15:55:15 | ありのまま記 一話完結編。
父島には戦争の跡地を巡る
戦跡ツアーなるものがあります。



同じ小笠原諸島にある
硫黄島は第二次世界対戦のとき、
戦場となった島で、3日間で
約2万人の犠牲者がでた戦地です。

父島は硫黄島から300キロしか
離れておらず、地上戦を想定した
作りになっています。
現在も建物や、砲台、軍の備品などが
山の中に当時のまま保存されているので、
貴重な資料となっています。



硫黄島での決戦で大きな傷を負ったため、
また、武器や、食料も全く足りなかったため。
父島、母島では地上戦に及ばなかったそうです。

降伏後、米軍に武器を渡す際、
「こんな少ないはずないだろう、
速く、隠している武器をだせ!!」と
疑われたほど、少ない武器で戦おうとしていたそうです。

この話しも今回の戦跡ツアーで
教えてもらった事です。

板長こと池田さんと、
小笠原の戦争跡地を
巡るツアーに参加してきました。



池田さんは小笠原諸島、日本返還後
父島や硫黄島の遺骨収集や、戦争跡地の
記録カメラマンとして島にやってきました。



この森のなかの道無き道を、
40年以上、何百回と山に入り、
「ここに道があるなら、
近くに発電所、炊事場があるはずだ。」
と推測し、今まで、土に埋もれていた
居住跡や、様々な遺品を見つけてきました。

見つけた建物がどのように、
どの部隊が使っていたのか。


(ここは、部隊の居住跡。ガイドがないと、道との区別もつきませんでした。)


正確な情報を知るために、
東京の史料図書館にも何十回と通いつめて、
文献を読み、当時、父島で戦っていた方にも
何度も会いにいったそうです。

島に帰って来たらまた、山に入り
半年かけて、土に埋もれた防空壕をきれいにしたりと
地道な作業を繰り返し、父島の戦跡を蘇らせてきました。



12年前、もう歳もくってきたし、
実家の福島に帰ろうと思っていたところ。

「池田さんがいなくなったら、
見守ってくれる人がいなくなる」
「推薦状も書くから、どうか島に居て欲しい」
遺族の方や、戦争経験者の方々に沢山の言葉を頂いて
父島に残る決心をしました。

そして、ここで、戦った人たちの
歴史をちゃんと伝えたいという気持ちで、
戦跡ツアーガイドを始めることにしたそうです。



お墓に献花をするように、山に入り、
掃除をして、「忘れられないように」
島育ちの僕らや、観光客にも優しく、教えてくれています。



僕は、板長の事は全然知らなかったのですが、
今も島で暮らす、小学校の担任の先生に
「私がお金だしてもいいから行って来なさい!!」
と勧められたので、今回参加することとなりました。

次回は印象に残った場所を紹介したいと思います。


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