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黒い神の系譜。


 武内宿禰が鹿児島神宮でどういう扱いをされているか、それを確かめるのが鹿児島神宮参拝の目的のひとつであった。


 武内宿禰は「黒い神」とされる。筑前、粕屋の山田。黒男山(くろどんさん)の麓、黒男神社に武内宿禰が祀られる。筑前、大野城や春日の黒男神社も武内宿禰を祀る。別名、九郎天神、九郎(くろう)とは黒。豊前、宇佐神宮、摂社にも黒男神社。他に中津の薦神社、摂社の黒人社、国東、重藤の黒雄神社、筑後、田主丸の黒島神社など、すべて武内宿禰を祭神とする。そして、肥前武雄、朝日町の黒尾神社は武内宿禰の母、影媛を祀る。黒男神社、黒雄神社、黒人神社など、九州北半における「黒」の社(やしろ)は武内宿禰に纏わる。

 豊前、吉富の八幡古表神社と中津の古要神社に、宇佐神宮放生会に奉納される「傀儡子の神相撲」がある。養老三年(719年)、日向と大隈の隼人は反乱を起こす。朝廷はその鎮圧を宇佐神宮に祈願。豊前国司、宇努首男人は宇佐宮の神輿を奉じて日向、大隈に入り、隼人を征討する。その後、隼人の怨魂のたたりで悪疫が蔓延したため放生会を行なって隼人の霊を慰めるべく、この神相撲が演じられたという。

 神相撲では劣勢だった西方が大将の「住吉大神」の活躍で挽回して勝利し、住吉大神の偉大さが謳われる。この住吉大神の傀儡子は他の神々よりも小さく黒い。隼人の霊を慰める黒い住吉大神とは隼人の神。そして、住吉神には武内宿禰が重なっている。
 また、宇佐神宮では武内宿禰を祀る黒男神社は、神域の外に鎮座している。武内宿禰は忌避された隼人の神として、黒い神とされたものであろうか。


 鹿児島神宮は大隅国一宮。隼人域の中枢、大隅の旧隼人町に鎮座する。別名、大隅正八幡宮。社地は日向山と呼ばれ、前面に鹿児島湾が開け、桜島が噴煙をあげている。社伝によると、神武天皇の時に彦火々出見尊(火遠理命、山幸彦)の宮処であった高千穂宮を社(やしろ)としたと伝わり、北西の溝部に彦穂々出見尊の陵墓とされる高屋山陵がある。

 祭神は彦火々出見尊とその妃、豊玉比売命。八幡神を合祀し、相殿に仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、中比売尊(応神天皇妃)を祀る。また、古記に句呉の「太伯」を祀ると記される。
 そして、神域の外、参道に三之社。火闌降命や大隈命、豊姫命、磯良命などが祀られる。火闌降命(海幸彦)は隼人の祖であった。
大隅命は隼人の首長ともいわれる。本来の主祭神は三之社に祀られる火闌降命、大隈命あたりではなかったか。

 八幡神に関しては、続日本紀の和銅7年(714年)の記事に「隼人は道理に暗く、荒々しく、法に従わないので豊前の民、二百戸を移住させて、統治に服するようにした。」とあり、この時に豊前の民が八幡神をこの宮に移植したとも。また、平安期に宇佐八幡が各地に別宮を造ったのに伴い、八幡神が合祀されたともいわれる。


 果たして、鹿児島神宮も黒く塗られていた。神殿の柱などは朱塗りであるが壁は黒。全体としては黒い社殿の印象。隼人の宮として王権に忌避され、黒く塗られたものか。
 が、武内宿禰を祀る摂社、武内神社は本殿脇に凜と鎮座していた。その朱塗りの社(やしろ)の優美なさまは、九州北部で黒い神として忌避された神の面目躍如。


 隼人域に「弥五郎どん」の信仰がある。日向、山之口の的野正八幡宮、日南の田之上八幡神社、大隅、岩川の岩川八幡神社。それらの宮の祭事に巨大な弥五郎どんの人形が登場する。その異形ぶりは迫力満点。弥五郎どんは隼人の王。地元では武内宿弥ともされ、海幸彦、山幸彦の親戚筋にあたるといわれる。
 八幡宮の浜下りにおいて、大刀を腰に差した武内宿弥が巨体をおっ立てて市中パレードとはさても豪快。豊前の神相撲で小さく黒い神とされた反動か。隼人域の民が武内宿弥を崇めるのは、武内宿弥が狗人の系譜であることに他ならない。前項において、狗人の兵が武内宿禰に従い、神功皇后の三韓征伐に従軍した事象が重なる。

 360歳まで生きて、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五代の天皇に仕え、神功皇后の三韓征伐、応神天皇の即位といった輝かしい功績をみせる武内宿禰。が、のちに武内宿禰は黒い神として忌避される。武内宿禰が忌避された理由(わけ)とは隼人の神であったからか。それとも、討滅された蘇我氏が武内宿禰を祖としたからか。(了)

 

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