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牛の話。


 筆者は福岡在住、初詣といえば太宰府天満宮であった。近所にも天神さま(天満宮)のお宮があった。そして、天神さまの境内には必ず牛が居た。
 天神さまとは菅原道真。道真公と牛との関係は深く、道真公の生まれが丑年であり、道真公の葬送の牛車が動かなくなった地を廟としたなど、道真公と牛に纏わる伝承は多い。故に、牛は天満宮において神使とされ、天満宮の境内には必ず臥牛があり、それが当たり前のことであった。

 が、或るとき、天神さま以外の宮にも臥牛が在るのに気づいた。それが撫牛の信仰であった。「撫牛(なでうし)」とは自身の躰の病んだ部分と牛の同じ箇所を撫でると病気が治るという信仰。
 そして、撫牛で知られる東京向島の牛嶋神社などが素戔嗚尊を祭神として、撫牛は疫病の神、牛頭天王と深い拘わりをもつという。牛頭天王とは京都、八坂神社の祭神、素戔嗚尊と同一とされている。(wikipedia)


 太宰府天満宮は京都の北野天満宮と共に全国一万二千社の天満宮の総本社とされる。平安期の昌泰4年(901年)、右大臣、道真公は藤原時平らの陰謀によって大宰府に左遷され、翌々年、失意のうちに薨去する。
 その後、疫病が流行り、相次いで皇子が病死、さらに清涼殿に落雷があり、多くの死者が出たという。それを道真公の怨霊の祟りとした朝廷は北野天満宮を建立して道真公の霊を祀り、太宰府の墓所には太宰府天満宮を造営する。やがて、道真公が優れた学者であったことで天満宮は学問の神とされた。


 また、古く、北野天満宮の地には「火雷天神」が祀られ、清涼殿に雷を落としたとされる道真公の神霊は、火雷天神と同一視されたという。元来、火雷天神は雷神、雨を齎す農耕の神であった。そして、道真公の神霊は各地に祀られていた火雷天神と習合し、故に「天神」と呼ばれている。

 そして、道真信仰の背景には御霊信仰の存在があるという。「御霊信仰」とは天災や疫病を怨みをもって死んだ人の怨霊の祟りとして、それを鎮める信仰。
 桓武天皇の時代、蔓延した疫病を鎮めるため、神泉苑で「御霊会(ごりょうえ)」が催され、京都、上下御霊神社に崇道天皇、井上皇后、他戸親王、火雷神(道真公)など、政争で憤死した人々の霊が祀られている。


 また、前述の牛頭天王を祀る京都、八坂神社がもとは火雷天神堂であり、火雷天神と同一視された道真公の神霊は牛頭天王とも拘わる。「牛頭天王」は天災や疫病を司る神仏習合神で、祇園精舎の守護神とされる。
 そして、疫病を鎮める牛頭天王の祇園祭が御霊会(ごりょうえ)を起源としていた。明治の宗教政策で各地の八坂神社、祇園神社は牛頭天王同神ともされる素盞嗚尊を祭神としている。

 道真公の神霊は「火雷天神」と同一視されて天神とも呼ばれ、「御霊信仰」における祟り霊ともされて、天災や疫病鎮めの御霊会に拘わっている。そして、それらの基層には祇園信仰の「牛頭天王」の存在があった。


 牛頭天王は中国神話の神、「蚩尤(しゆう)」を起源にするという。蚩尤とは兵主神、兵器の神であり、暴風雨を操って戦いを起こす神。獣身で二本の角をもつ牛頭であった。
 中国神話において蚩尤は夏の君主、黄帝と戦って敗れ、蚩尤の一族は兵主の地、山東半島から韓半島に渡ったという。日本書紀では素盞嗚尊が韓半島の曽尸毛犁に天降る。曽尸毛犁は鉄を産し、蚩尤の信仰、牛頭山ともされる。素盞嗚尊はここで牛頭天王と習合して列島へと渡っている。

 中国最古の地理書、山海経に蚩尤(しゆう)は暴風雨を操って戦いを起こす神として「天神あり、牛の如く」と記される。大陸では古く、蚩尤が二本の角をもつ牛頭の天神とされていた。平安期に道真の神霊と同一とされた火雷天神の起源とは蚩尤であった。天神さまの境内に二本の角をもつ牛が居る訳(わけ)。牛神を祀る天神の基層信仰。


 また、道真公の葬送の牛車が都府楼の北東(うしとら)の地で動かなくなり、道真公はその地に葬られる。艮御(うしとら)とは「鬼」のこと。牛頭の二本の角は鬼の姿とされ、「艮御神(うしとらみがみ)」の信仰を生んでいる。

 桃太郎説話に投影された吉備の鬼、「温羅(うら)」は吉備の古い神。韓半島渡来とされ、温羅は鉄の文化を吉備に持ちこんで繁栄を齎す。が、その繁栄を恐れた中央王権に討たれる。温羅(うら)とは艮御(うしとら)、鬼の姿をした神。そして、温羅を祀る吉備津神社の艮(うしとら)社は牛頭天王社であった。

 敦賀の気比神宮では、吉備の桃太郎神像が守護とされる。そして、気比(きひ)が吉備(きび)と音を同じにする拘わりがあった。敦賀(つるが)の地名由来、角鹿(つぬが)の地主神ともされる韓半島渡来の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の存在がある。都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)とは「角があるひと」の音ともされる。やはり、鉄の文化に由来して、鬼の姿とされる神。

 阿蘇の鬼「鬼八」も阿蘇の古い氏族とされる。やはり、中央から派遣された氏族とみられる健磐龍命(たけいわたつ)に討たれる。忌避された鬼八に纏わる草部吉見神の伝承にも牛神が拘わっている。そして、阿蘇は鉄製武器に由来する地であった。


 太宰府天満宮の正月7日の「鬼すべ」神事では、氏子たちが縄で造った角を頭につけた鬼の族と、鬼を追う族に分かれる。やがて鬼は堂宇に追いこまれ、煙に燻されて退治される。
 古く、鉄の文化に由来して、蚩尤(しゆう)の祭祀やそれに纏わる兵主神などの信仰が、渡来人によって各地に持ちこまれ、やがて、のちの為政者にその祭祀が忌避された痕跡ともみえる。


 菅原道真の神霊、天神の背景にみえる忌避された牛神、鬼ともされた神、蚩尤(しゆう)祭祀の痕跡。平安期に天神が御霊信仰に変質する訳も、それに起因するのであろうか。民は忌避された神を別の神名で呼び、新しい神体を重ねている。(了)

 

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